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トップハート物語(6077)立志伝敢闘編
20/11/04
2015年(平成27年)10月下旬。
 午前中は、久々に会社で仕事をした。これまで、いや数か月前にならないまでは、午前中は必ず事務所で事務処理をしてから、午後外出というパターンが多かった。それが、忙しくなり、午前中も外出することが多くなった。
 だから、全く仕事が進まない。計画立てても、目の前の書類の処理が溜まってしまって、どうしようもなくなった。それでも、会社は動いているので何とかこなしている。
 やはり最近寒くなって、半そででは厳しくなった。それでも、朝は半そでの姿で出て来る。事務所はまだ暖かい。
 その大きな書類を目の前にして、果たしてどうしたらいいのかを思案した。あまり、このような状態を目にしては処理するのが厳しいのだ。
 午前中はそんな訳で仕事に邁進していた。午後近くに動いた。
 今日は、知人が障害のケア計画専門員研修に来ている。その方は、私が東京大学の市民後見養成講座を受けた時に知り合った恩師の引きで、行政書士を辞めて三重から東京に出て来た。
 後見人のサポート機構で働く予定だった。しかし、上京して来た時には既に恩師は戦いの真っ最中で、それぞれがネットであることないこと訴え始めた。その内容が事実かどうか分からないが、とりあえず、金銭問題に巻き込まれたので休職となった。
 その恩師が休職となったので、彼も出て来たはいいが採用されることはなかった。仕方がないからと、アルバイトの案内も貰った。何と失礼な話だ。月給38万円の勧誘があったが、結果的にはアルバイトとは。その際、行政書士事務所は畳んでしまって奥さんと一緒に東京で生活するために、出て来てしまったのだ。
 職を失った夫のために、彼女は働き始めた。それが、障害の就労支援企業だった。その企業が大阪に出店することになった。同時に、信用して恩師について新たな会社の無給社員となった彼は1年間無給となりついに辞めた。
 その前に、相談を受けていた。東京で恩師を励ます宴をもようした時に彼が来て、その時初対面だった。そして、それから何かと相談に乗っていた。
 我慢に我慢を重ねて、三重に戻った。それまでの行政書士は辞めて、行政書士以前の支援学校の職員となったのだ。
 その奥さんも、付いて来て三重に戻って大阪に出来た店舗に通勤を始めて、当事業所の研修を受けたのだ。
 前に二人とも三重の支援学校で障碍者の対応をしていたので、若いのにしっかりした人間だった。
 当社の指導員もまだ30代だが、明るくて誰にでも好かれる人間だったのだが、同行で障碍者のお宅に行った時に
 「この人次から来て欲しい、あんたはもういらないと言われたのは初めてで、私ももう終わりですかね。」
 「それはそうだ。もう終わりだ。」
そう言って、引導を渡した。
 午後からはその彼女と一言挨拶するために、コミュニティセンター『ララ♪こあら』に向かって、食事をしながら少しだけ話をした。折角、指導員が頑張っているのに邪魔できない。
 午後から、出雲の素封家から電話で依頼されていた、有料老人ホームのパンフレットを集めに行った。最初に行った、駅前の「ゆうゆうの里」では、名刺も持たずにパンフレットだけ貰いに行ったのだが、
 「どちら様でしょうか。」
 「NPO法人ゆうかりと申します。」
 「よく存じております。」
そう言われてしまった。
 次に行った、「スーパーコート」では、案内する方が持っているファイルごと持って行って下さいと言われて、貰って来た。
 余りに、町の皆さんの対応がVIPレベルで驚くと同時に、以前、みんなに
「今はトップハートの方が有名だが、これかはゆうかりがそれを超えるようになる。」
そう言っていたが、段々と近くなった。
 特別養護老人ホーム相談員から、後見申し立ての相談があったので、夕方訪問した。本当に各所から多くの問い合わせや相談が相次いでいる。

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