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トップハート物語(6044)立志伝敢闘編
20/10/17
2015年(平成27年)9月中旬。
昨夜、お断りの電話をした。後見検定のソフト開発を色々模索した。一生懸命に多くの企業や教育機関にも働きかけた。全く反応が無い。そして、開発会社は自己利益だけを考えて、金額や内容が全く反映されない。
加えて、恩師のS先生を通して高崎健康福祉大学にも扉を開いて貰ったかに見えた。資料を郵送して、先生の助言もあって直接お声を掛けて頂き了解を頂いたと言うH講師に連絡を3度とった。
学校にはいるのだが、掴まらないとの返事が2度。会議中と言うのが1度。ついに、諦めかけてメールを送信したが全く返事なし。返事くらいくれてもよさそうなものを。
しかし、めげては行けないので次善の策を考え始めた。
お断りの電話をすると、断られるのが慣れているのか動揺を隠して案外簡単に引き下がった。私はその方がありがたい。ああでもないこうでもないと、長々と面倒なのだ。そう思って、今日の会合をお断りしようと思ったが先手を打って来た。
「佐藤さん、今日の会合にはおいで下さいね。」
そう言って来たので、顧問弁護士が設定したと言うので
「分かりましたが、今後の後見関連の打ち合わせに顧問弁護士とシステムの話があるので、担当社員を同行させます。」
「分かりました、一人追加ですね。」
「いや、二人です。」
そこで、少し不快な感じの返事があったが了解した。
暫くすると、やはり掛かって来た。
「佐藤さん、お聞かせいただければ有難いのですが、お断りになったのは金額でしょうか。」
「はいそうです。私から何度か言っていますが、これまで5社の見積を頂きました。その事前調査の結果限度額ありますので、その2倍近い金額でしたので。」
「予算はおとりになって居るのですか。」
「当り前でしょう。」
「その相手はシステム屋でしょうか。」
「ソフト開発会社です。」
そう言った話をしながら、納得したようだ。
しかし、あとがあり、翌日もあった。
さて、この日の午前中は被後見人を施設にお連れした。
現在、複合的理由から後見人確定まで日数を要して、後見人活動の自由が利かずに困難を極めている方の入所対応を行った。
ご本人が申立て時点で、家庭裁判所の狭い部屋で面談をされる時に恐怖感を感じてすべての質問に拒否回答。
所内で長時間審議の結果、取下げを求められた。
再度、親族による申立てを行って、その時には既にショートスティ施設を利用。
入所ではないので、自宅はそのまま。
審判決定通知がご自宅へ配送されたが、不在で受け取れずに家庭裁判所に戻る。
再送されるまで、遠方に住んでいる申立人の転送上申書作成に手間取って長時間掛かる。
やっと、施設での審判決定通知書受領が終わって、東京法務局に回送されるまで審判確定から3か月も経過した。
私は、その間、ひと月目の事務報告書を作成して提出してあったが、ご本人が受領していないので確定ではなく、それは出し直し。
そんな中で、ご本人はショートステイなので次の住家をケアマネジャーや地域包括支援センターで確保して、施設面談には私が後見人という立場で同行することとなった。
9月1日にやっと確定して、東京法務局に回送されたが登記事項証明書が貰えない。
東京法務局で登記するまで2週間と聞いていたが、それまで3度大阪法務局に受領に行っているが、2週間を超えてもまだ登記されない。
施設に同行して面接が始まったが、全くご本人は決めた方たちの話を聞いていないとのことで、拒否してなぜここに来たのかを強く言ってうまくいかない。
全く、後見人への丸投げの状態で、私の後見人の仕事とは違うと思い入所するように説得などしない。
今後、白紙から検討する必要がある。
しかし、独居は困難なのは明白なので、方向に問題はなくあとはどう理解して貰うかだ。
こわばった顔が一瞬明るくなったのは、施設内の見学をしていて自分の部屋だと言われて部屋に入った。その時に、二人部屋なので同室になる予定の方との挨拶がなされたのだろう。
その時は、私は他の入居者との会話を楽しんでいて、同行していなかった。
「そのあとは、M荘さんへの申し込みが済んでいるようですね。」
そう言われたが、全く知らされていない。
その後、大阪家庭裁判所から、まだ、ひと月以内の事務報告がなされていない被後見人の件で不快な連絡があった。まともな処理をしていない行政や司法のお蔭で私どもの仕事が全く進まない。その責任を当NPO法人に追わせようとている。
本当に不快なので、戦いをしようと思ったが、思いと止まって期間延期のお願いを届けた。
夜は、一旦ハルカスにある顧問弁護士事務所を訪ねて今後の後見活動がスムーズに行く連絡網をどうしたらいいのか、相談を行った。
その後、太っちょ専務などと合流して宴席に付き合った。私とNPO法人常勤理事。顧問弁護士、専務とジャパンリサイクルの社長だった。酒の席としては楽しい時間を過ごした。ここに、Yさんが居る筈だったのだが、体調を崩した。

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