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トップハート物語(5893)立志伝敢闘編
20/07/26
2015年(平成27年)4月中旬。
 昨日は、夢を見ているような雲の上を歩いていた。カリスマフードコンサルタントの来社に有頂天だった私は、ホテルでの会食の時に何度も自分の事業姿勢を窘められた。そして、食事を終えて、
 「社長が本当に考えておられる事業を行っていくのであれば、お手伝いをさせて頂く。私はこれまで、何度も方々から一流企業から顧問を依頼された。しかし、3年お付き合いをさせて頂かないと、信用しない。社長とも全く会ってそれほど経過していないし、信用していいのか分からない。自分はブランドだから、ブランドは失敗できない。もう金銭的な意欲は無い。今でも、毎年数億円の収入はあるので全国展開したいというベンチャー企業をお手伝いさせて頂くことにした。」
 そう言って、私のアイデアを称賛して
 「絶対に今の時代に合った、チャンスが来ている。これをフランチャイズ化するなら、設備投資は不要だし、大きな金額を手にすることが出来ると思う。そのお手伝いをさせて頂きたいので、1時間ほど社長と二人だけで話をしたい。」
 そう言って頂き、ホテルから新大阪駅に直行し、喫茶店に落ち着いた。
 その間もずっと、フランチャイズチェーンの展開の話を頂いた。その作り方を指導して頂くことになり、具体的に喫茶店での会談になったのだ。
 一つは、新たなスタイルによるサロンの展開に対するフランチャイズ化、続いて飲食業で働く中堅幹部職員のスタートからのライフプランに合わせたスキルアップ教育のフランチャイズ化。そして、士業を中心としたコンサルタント教育の組織化。
 その3点で、話を進めたのだ。その点でも共同作業と顧問的な動きと、サポート的な動きを合わせて話し合った。そのいずれもが、大変な内容となり、私がいい加減な気持ちで過ごすことが出来ないと思わざるを得ない気持ちになった。
 これまでは、ヒトに着いて行く、サポートするなどの気持ちででかいことを言って居たが、自分が中心となると大きな空に投げ出されたような気がした。遣りたいという気持ちはあるのだ。
 「必ずやれる。凄いプランだ。世間が求めている正義だ。正義はだれも彼も応援する。」
 そんな持ち上げて頂いた。
 協力して行くビジネスに着いては、それぞれの立場を尊重して早目に動いて形を作る。次に、動き出すと顧問になって指導してくれると言う。また、フランチャイズの展開は合同説明会なるモノを設定してくれると言うのだ。
 「士業の組織化は社長が設立して、運営をしなさい。サポートはします。絶対にうまく行く。」
 そう言ってくれた。
 これからは、大事な組織づくりの動きをすることになる。
 来月9日の土曜日に細部に亘って東京品川駅ルノアール於いて行い、昼食を挟んで具体化を急ぐことになった。
 その日、つまり昨日は、その後、後見相談者から電話があり医師の診断書が取れたとのことで、向かった。
 今回は、政令指定都市に住んでいる方なので、政令指定都市にあるNPO法人管理者に全てを任せることにした。
 一緒に行って、挨拶をして紹介をして直ぐに診断書を頂き、外に出た。駐車場が近くに無くて路上駐車をしたのだ。
 今日は、午前中も午後も大変忙しい日を過ごした。あれほど、新たに設置した相談支援事業所管理者に
 「4月は予定を真っ白にして空けてあるから、相談に乗れるし事務も手伝うから。」
 などと言って居たものだから、彼女もその気になっていた。
 それが、いざ4月が始まると、次々と予定が舞い込みそうはいかなくなってしまった。そのために、彼女は不安を持っていると思うが不満もあっただろう。
 「4月は真っ白にして待っていると言って居たのに。」
 そう言われたが、返す言葉もなく謝った。
 そのためではないが、株式会社から特定非営利活動法人に移籍して労働契約が必要だった。
 検討したが、新たな契約なので平成25年3月に就業規則を改定して賃金規定も改めた。それは、今年の処遇改善加算の取り扱いにステップアップが加味されているので、それを念頭に初めて賃金規定を作成したのだ。
 その対象者の第一号となった。何故なら、彼女以外の社員はその規定以前に任じられているので、改正した賃金規定に合わせると賃金が下がる人も出て来るのだ。
 彼女の場合、固定給が3万近く昇給して事業所責任者手当が付いて合計8万円も昇級してしまった。
 但し、これまでは労働者として超過勤務手当が付いていたが、今月から管理者手当に替わってしまうので、労働基準法に該当しないことになり、自由出勤の自主管理となる。
 まだ、30代だからこれからの活躍が楽しみだ。
 午前中は11時に東京から期待している全国展開のカギを握っている業者が来た。その彼達に私のプランの一端を披歴した。勿論、彼らから最初は営業トークを聞いたが意味がない内容で一蹴した。
 私のプランは有効に聞こえたようで、ずっと感心して聞いていた。それが、果たして共同事業となるかどうか。彼らが私の内容を聞き、そのプランだけ持って行く恐れがあるのだ。それが、心配なだけで。
 午後は、遣りなおしとなった後見申し立ての書類を作成するためにご本人の親族が来た。再作成して、持ち帰り再度裁判所と日程の打ち合わせをする。
 本社管理者から異動して来た社員が何もできずに重荷になって来た。
愛川欽也さん死の直前まで「仕事に行こう」、妻うつみ宮土理は憔悴
サンケイスポーツ 4月18日(土)7時0分配信



愛川欽也さんの遺影を胸に斎場へ向かう妻、うつみ宮土理。深い悲しみにじっと耐えているようだった(撮影・今井正人)(写真:サンケイスポーツ)
 キンキンの愛称で親しまれたタレント、愛川欽也(あいかわ・きんや=本名・井川敏明=いかわ・としあき)さんが15日午前5時11分、肺がんのため東京都内の自宅で死去したことが17日、所属事務所から発表された。80歳だった。昨年冬から闘病し、テレビ東京系「出没!アド街ック天国」(土曜後9・0)を先月降板したが、死の直前まで「仕事に行こう」と繰り返していた。この日午前、密葬が営まれたが、喪主を務めた妻でタレント、うつみ宮土理(71)は目を伏せたまま言葉を発しなかった。

 生涯現役を貫いた“あなたの街の宣伝本部長”が、永遠の眠りについた。「アド街」の冒頭あいさつ「おまっとさんでした」の生声は、もう聞けない。

 東京・渋谷区の自宅前に17日午前8時ごろ、霊柩車が到着。愛川さんの眠る棺が運び入れられ、うつみが遺影を持って助手席へ。東京都内で密葬を済ませた後の午前10時50分、うつみは遺骨を抱えて帰宅したが、報道陣の問いかけにも憔悴した表情で、うつむいたままだった。

 所属事務所によると、愛川さんは昨年冬、体調不良で精密検査を受けた際、肺がんが判明。本人の希望で周囲に病名は伏せ、入院せずに在宅治療を受けながら「アド街」の司会を続けた。1995年4月15日の番組開始以来20年間、1度も休まなかったが、先月7日放送の1000回特番で降板。今月に入って容体が急変したが、親族に見守られて息を引き取る直前まで「仕事に行こう」と寝言のように話していたという。

 多彩な芸を発揮した人生だった。高校を中退後、声優のほかラジオの深夜番組を担当。翌74年には日本テレビ系「11PM」の司会でテレビに進出。フジテレビ系「なるほど!ザ・ワールド」の司会も務めたほか、映画「トラック野郎」シリーズやテレビ朝日系土曜ワイド劇場で俳優としても活躍した。

 私生活では一般女性と結婚し、長男の俳優、井川晃一(56)と長女をもうけたが、19年間連れ添った末の78年11月に離婚。その翌日にうつみと再婚し、不倫の末の再婚と騒がれたが、以来36年間、おしどり夫婦として知られた。

 かつて「葬式も墓もかみさんの演出に従う。臨終の間際までいつものようにかみさんとべらべら話していたい」と希望。その願いに近い最期だったようだ。

 ただ、72歳だった2007年、自ら主宰する劇団の看板女優(当時28歳)との不倫が報じられたことも。その際「悪いことはしていない」と語り、韓国に留学中だったうつみからは「あんたカッコいいじゃん。世間はその年で“現役”だと思うわよ」と擁護されたことを明かして、笑いを誘った。

 健啖家で大の中トロ好き。最期まで仕事に家族に仲間に恵まれ、好きなことをまっとうした人生だった。

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