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トップハート物語(5861)立志伝敢闘編
20/07/06
2015年(平成27年)3月中旬。
 会議が始まる前に、大阪市にあるNPO法人責任者が来た。一応、動いているが成果は余りないのだ。それが気に掛かる。実績をそろそろ上げて欲しいと思うが、そうはいかないようで、話をしたり人と時間を過ごしたりするのが成果だと自分を説得しているようだ。そのことを言いたいが、チャンスがない。ショックを与える訳には行かない。
 その直前に、本社のある地域に存在している居宅介護支援事業所管理者からmailが入った。彼女は既に私と同じ経験をこの会社で勤めている。
 以前の会社の同僚で、私が会社を立ち上げる時に一緒に来た。その際、来るか来ないか迷った挙句、誘われていた以前の所属法人を蹴ったので
 「私は裏切りますから覚悟して置いて下さい。」
 そう言った彼女の言葉が耳に残っている。
 その彼女は、沢山の功績を勃興期から残していた。しかし、ある一定、つまり介護支援専門員になった時から、勉強をしなくなりみんなと交わらなくなった。つまり、我儘で通して来た。何年も。
 その間に、法令も替わり後輩が多くの資格を取得して時代に先駆けていた。その点、彼女はその意欲が無く、我儘な言動を繰り返し仲間から浮いて来た。ただ、重鎮なので誰も何も言わず、触らず関わりなく生きて来た。
 後輩のケアマネジャーが彼女より多くの利用者を確保して数人の非常勤ケアマネジャーを使用するのに、彼女はうまく行かない。トラブルも結構な数に上る。しかし、ケアプランに対する信頼は市でも高く評価されている。
 収支が悪くなるにしたがって、彼女の収入と収益のバランスが崩れ出した。他のメンバーは新たな資格を取得してそれぞれが新たな収益を担って居るのに、彼女だけが新たな資格を持っていないばかりに、問題になって来た。
 そのうえ、ケアマネジャーの業務に負担が大きく会社としてケアマネジャーを抱えて置くメリットが見えなくなって来た。その組織を見直すようにと始まった改革プロジェクトをことごとく邪魔をして潰してしまった。
 ついに、私が出て彼女に将来の設計を求めた。その選択肢は、辞めるか新たな組織に転職するか、社内独立に移行するか。
 「結論は自分で出して、報告するように。」
 と、申し渡した。
 そして、その結論が出たようだ。
 『今日の夕方時間を取って頂けますか。』
 とのmailが来た。
 結論は、退職だろうと私は自分で勝手に考えた。
 何故なら、新たなプロジェクトが進んでいて、ことごとく関わりを拒否してついには置いて行かれてしまったのだ。
今更、そこに入る気持ちもないだろうし、みんなの口からは遠まわしであるが拒否する言葉が多く
 「あの方とは誰も一緒に仕事は出来ないでしょう。」
 そう言う言葉が代表的な言葉なのだ。
 その気持ちを察した私はいつもの同情心がもたげて
 『今日は厳しい。18日だったら午後に時間が取れるので何時でも指定してください。私も新たなケアマネジャーだけの組織を考えているので、相談したいと思って居ましたので。』
 そう投げかけた。
 結局18日の午後に会うことになった。
 別会社の社長だとみんなが言って居るように、その風格だが、一瞬にしてその立場が無くなるのは、やはり時代に遅れてしまったからなのだ。
 彼女を中心として、新たな組織を作り上げたいと思って居る。その原案はあるのだが、それを話す前に、もし次の会社が決まって居たら終わりだ。
 その思いを持っていた時に、キラキラ目の珠緒ちゃんが来た。
 「何か最近、彼女おかしいです。今まで、厳しくチェックしていたのに急に投げ遣りになって、実績で上げてと言うように、なんか変です。」
 やはり、決断をしていたのだろう。
 それを、私の同情心でどう変わるのか分からない。
 10時から、研修センターで新たなサロンを中心としたサービスへの検討会が始まった。既に4回目で行政が出席している。全て、終わってから
 「社長さんに申し訳ないと謝罪しないと行けない。」
 そう言って、何度も謝罪していた。
 それは、補助金が貰えるはずの私どものプランが、行政のお墨付きだったこの会議が、実際はネックで補助金申請の前にこの会議が始まったので、補助金を出す組織から拒否されたのだ。
 その点は、事前に確認した時には行政は大丈夫と言って居たのだ。それがダメになったので、その点を何度も謝罪していた。
 それが終わり、昼に育児休暇を取っている社員が遊びに来たので、イオンモールの和食の店で、数人が集まって歓迎をした。彼女も戻って来て欲しいのだが、高額な給与がネックになっているので、余り誘われない。ただ、彼女に取得させていた資格が4月から大いに有効になるので、1年以内には戻って来て欲しい。
 その足で、施設に向かった。被後見人の施設料の支払いと、頼まれていた色鉛筆を届けた。そして、銀行へ向かって残高の打ち込みをした。
その間、鹿児島県から電話があって、後見の相談があった。親族がこの地区に居て、地域包括支援センターから紹介があったというのだ。
 先日の愛知県からといい全国的に、当後見センターも知名度を上げて来た。

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