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トップハート物語(5853)立志伝敢闘編
20/07/02
2015年(平成27年)3月上旬。
もう3月も半ばに近付いているのに、寒い日が続く。今日も雨模様だった。こちらでは寒い中の雨だった。雨は嫌だが、真剣に仕事をするのは土日くらいだからと、思って頑張った。
 遣らねばならない仕事が沢山あるのだが、続かない。そこで、色々他の今はどうでもいい仕事を織り交ぜてやっている。
 まだ、社員の給与明細を出していない。その作成をした。何と、4人分の計算が間違って居て、再度遣りなおしだった。遣りなおしという事は、既に振り込んだ金額の訂正で、その4人全員が不足していたのだ。一番多い社員で2万円近くになる。一体どうしたのだ。
 最近、近所の地名を聞いてもどこにあるのかも思い出せないとか、勿論、個人の名前など既に思い出せないのは昔からだ。頭の中で何かが起こっているのが自覚できるのだ。
 時々、痛くなったり、一瞬ちくっとしたり。その範囲も前頭だったり側頭だったり。私に取って、計算が出来なくなったという事は致命傷だ。あれほど計算や数字が好きで完全無欠だったので、以前は信頼を得ていた。今は、不信だけになったのだ。
 半日を費やして、その計算は終わった。次は経費の計算だ。かなり私の持ち出しが続いているのだが、今月、大きな入金が予定されているので少しは改善するか。
 気になっていることがある。今度の人事異動は4月1日に行う予定になっている。その際、本社管理者をこの地区の介護部門に異動させる。所属を介護部門にするのだが、実は、すしチェーン事業のスーパーバイザーをやっていた。その経験を買って、本社管理者にした。実績は上がったが、ここ1年停滞している。
 それを、どうやって上昇させるかをやっていない。だから、
 「誰がやっても、自分が居なくても同じ。」
 と、言う結論を話した。
 期待は、同時にさせる研修関係の業務だ。果たして、
 「不安です。」
 「何が不安なの。」
 「やったことが無いので。」
 「みんな同じだよ。俺だって、やったことが無いけれど始めた。俺だったらやる気が生まれて楽しみになるけどな。」
 「いや、ワクワク感もあります。」
 と、言って居たがどうか。
 彼をフリーにしてと思って居たが、それでも介護や支援の実務はして貰わないと行けない。徐々に、スーパーバイザーのようになってほしいとは思うが、一挙には難しい。
 その際、本社にて実績が上がった、周辺が若いのにと尊敬することとなった。私からすれば、まだ、序の口なのだがそれを言ってはおしまいだと思って居たので、我慢していた。
 その異動に際して、
「介護支援事業所管理者が充てにしているようで。」
と、私に言って居た。
それは、自分の自信と立場を自己評価して、現場に少しでも入って欲しい管理者と実績を持っている自分のプライドと兼ね合わせて、そんな表現になり、俺はそんな仕事しないと言って居るのだ。
どうして、このような業界でたかが少しの実績を上げたからと言って図に乗るのだ。謙虚であって欲しいと思うので機会を見つけて話をしないと。
自立支援相談支援事業所を申請する。現在のこの地区の介護事業所の隣に部屋が空いていたので、そこを借りた。10日までに申請を終えたいのだが、その作成をやっと始めたのだ。
半日も要さずに出来上がった。あとは、添付書類を準備しないと行けない。定款とか登記簿謄本とか。そんなものを準備して、電話、ファックスを最低用意する。その際、創業補助金やら第二創業補助金などの兼ね合いがあって、直ぐに手当てできないかも知れない。
 助成金と言えば、先日、NPO法人の採用で管理者が動いてくれた。やっと、人材を得て入社に漕ぎ着けようとしたが、ネックがあった。現在勤務している。その勤務中に就職活動をしていた。当社にハローワークから紹介状が来た段階で、パート雇用に応募して来た。
社員として自信が無いと言う。
「土日も、夜でも朝早くでも勤務できると言って居ます。」
「これまでも、何人もそう言って来た。しかし、契約した途端に土日は出勤できないと言い出す。同じだろう。しかし、シングルだったら特定求職困難者になるので助成金が出る。その間に、教育して人材に育て上げる。」
 そう言って、いったん戻して社員で応募させた。ところが、
「助成金の話をハローワークにしたのですが、他の会社で勤務中の応募だという事でダメでした。」
全く、そんな知識は無かった。
残念。知識一つで90万円の収入が無くなった。
 久々に、先日、以前良くメールで遣り取りしていた岩手県の福祉施設で働いている男性のブログを拝見した。東北は、雪がメインだ。雪が無ければ東北ではない。その雪景色が分かるようなブログに、ふるさとを思い出した。
 そして、私が登録しているアドバイザー協会から相談が来た。一般市民で、銀行勤めをしていたが病気で退職、奥さんとも離婚。やっと、病気も癒えて無職からの脱却を目指して相談があった。
 驚いたことに、私の母親が住んでいる仙台は宮城野区の方だった。丁寧に、過疎地での起業を考えているとのことで、自分のサロンプランをアドバイスした。こんな日は、本当に郷愁感が生まれて来て寂しくなる。
 iPadで、古い時代、私がまだ小学生から中学生になる頃の歌を聞いた。まだ、私には新鮮な思いがあるので、やはり認知症状かな。

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