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トップハート物語(5849)立志伝敢闘編
20/06/29
2015年(平成27年)3月上旬。
今日の最大のトピックスは、大東市の居宅介護支援事業所管理者との会談だった。彼女は、私が独立する前から私の傍に居た。傍に居たが、協力者ではなかった。私は、ここに来た当初は、雇われのサービス提供責任者だった。
 その雇われのサービス提供責任者が研修事業を始めた。その際の、1期生だった。あれは、平成12年の秋の事だった。あれから既に15年の月日が経過している。その月日をどう消化していいのか。
 「私を信用しないで下さいよ。私は裏切りますからね。」
それが、当社に来る時の第一声だった。
 その言葉をまだ覚えている。彼女は有能なヘルパーさんだった。だから、私が前の会社を追い出される前は同僚でも、彼女の方が上だった。その彼女が残留するのか私が独立する会社に来るのか、大きな転機だった。
 前の会社の社長は、彼女に接待費を使って、ご機嫌を取って大変だった。私は金銭的には何も無い状態だった。無手勝流の素手だった。そのうえ、全く将来性も無く不安の中での船出だったが、彼女の最後の決断は、当社に来ることであったが、先の言葉を私に脅し文句として残したのだ。
 あれから、大変な時には私の代わりに動いたり、崩壊する寸前の時にも火中の栗を拾う行動に出たり。誠実に、こなしてきた業務だが。問題があった。自分の主義主張を通すために、人を全く寄せ付けなかったのだ。
 そのために、多くの人材が彼女の言動が原因で去って行った。大きな死亡事故の当事者でもあり、会社の存在も危うくしてくれた経験も彼女のお蔭で得た。そんな、形の勃興期だったが、安定期に入りケアマネジャーの資格を得て、これまた誠実なその性格が合って尊敬される位置にいた。
 しかし、尊敬と収益は大きなかい離がある。会社にとっては、あまり有効な活動はしていなかった。自分のメンツにこだわり、他者を顧みないケアマネジャー活動だった。その間、私は当社の功労者として、最優遇をして来た。
 一般会社の男性社員並みの待遇をして来たのだ。それは、私が大変な時に支えてくれた恩があるのだから、その恩を彼女が自分の意思で去るまで私のライフプランとして継続した待遇をと思って居た。
 勿論、彼女もそれに応えて多くの利用者を確保して得るモノ以上に収益を会社に与えていた。しかし、限界が近付いて来た。彼女は一人であり、何人ものケアマネジャーの役は無理である。その限界点が近付いて来た時に、研修センターとこの地区の介護部門が大幅な減収に移って来た。 
 そこで、改革を求めたのだ。その改革をどうするか話し合った結果、
 「新たに特定非営利活動法人を設立してそこに移籍する。」
 ことを、本人も交えて決めてそのように動き出したのだ。
しかし、そのような会社に出たら自分の待遇が悪くなると考え始めた。多くの時間と集合する人材の時間、昼食代金など無駄な費用が何カ月も続き、彼女の思い通りになった。潰したのだ。
「肝心な話になると、全く関係ない話をして議論にならずに終わってしまう。」
 彼女の得意な手法なのだ。
 都合が悪くなると、痴呆の態度を示して全くかみ合わない話を延々として終わってしまう。今日も多分そのような話が出るだろうと思って居た。やはり、
 「私は決められないですよ。佐藤さんが決めて下さい。」
 「何を言って居る。昨年、自分も納得して別会社を作って居宅介護支援事業所を移すと決めて、自分たちが具体的な話に移った。そうしたら、自分が潰したんじゃないか。もう、そんな話止めよう。自分がどうしたいのか、話をするために今日来たんだろう。」
 色々言うが、肝心なことは絶対に言わない。
 「もう、そんな余裕がない。みんな、これまで色々な資格や勉強を続けて来た。自分はケアマネジャーと介護福祉士だけだ。それでは、もう介護業界のみでしか生きて行けない。それは幾らでも機会があったのに、それを拒否して来た自分の結果だ。」
 そして、再度、本社管理者が異動、研修センター責任者が退職、この地域の介護部署のサービス提供責任者が転出、二人の社員が彼女たちが作る予定だった別会社設立をして次に備える。
 そんな動きと、若い人たちの退職など動きが風雲急を告げる形となっているのに、全く無風状態で自分だけが行く訳に行かない。
 何度か堂々巡りの結果
 「一番いいのは、このままがいいです。」
 「それなら、社内独立だったらいいよ。自分の稼ぎで家賃や事務員、その他経費を賄って、法人に関わるものは売上の何割か会社に上納する。残金が自分の報酬だ。」
 色々算段して
 「それは無理です。これ以上会社に迷惑を掛ける訳に行きませんので、廃止しますか。」
 そう言って、涙を拭って居る。
 「そんな言い方はしないでくれ。会社のためにとか、俺のためにとか。自分の決断はどうかを聞いている。」
 「どこかに行きますかね。」
 「K義肢だったら受け入れるだろう。君のお客様は多いし、仕事ぶりも模範となっている。しかし、持って行った利用者だけを置いて、試用期間が終わったらさよならかも知れない。それが、大きな会社のやり方だから。」
 「あそこは厳しいですから。」
 そんな話を1時間以上続けた。
 「再度考えて決まったら連絡してください。今日はもう無駄だから止めよう。」
 あれほど、10日以上も期間があって何も決めて来ない。いつもの手に苦笑した。当分はこのままで行くのだろうか。自分でも分からない。立ち上げの時、大きな問題の時、色々なケースの時に彼女の力が必要だった。その逆もあり、危ない時もあった。
 「心配なことがあって。」
そう言って、自分の体の事、娘さんの事を話し始めた。
 自然の摂理に従って行く他ないのか。
 その夜、7時から会議が特選和牛のしゃぶしゃぶを食べながら木曽路であった。今日のテーマは、研修センターの活性化だ。収入が大幅に落ちて、昨年より3000万円も少ない結果に終わった。危機である。その危機をどう乗り越えるのか、管理者8人の知恵を集めるべく、研修センター責任者と専任講師を交えて10名の陣容で臨んだ。
 アイデアが沢山出て、新たな講習とかまた改善策とか提案された。ダメなのをダメ出しして何も生まれないと、私も少しは大人になった。涙を呑んで前向きの話を進めた。7時から10時過ぎまで3時間以上に亘って結果はオーライだった。
 終わってから、今日発表した人事異動の目玉で本社管理者が異動してこの地のスーパーバイザーになる彼を誘って、NPO法人常勤理事、大阪市にあるNPO法人責任者、この地区の居宅介護支援事業所管理者の5人で飲み直しだった。
 本社のある大東市の居宅介護支援事業所の取り扱いに関しての結果が余程気になっていたのか、この守口市の居宅介護支援事業所管理者が自分の行く末を聞きたいのだが、その聞き方が婉曲なので訳が分からない。
 表現力が低くて通常でも通じないのが多いが、なお通じない。しかし、やっと聞きたいことが分かったので、新たな地区への異動とその業務から解放してフリーになれるようにするプランを提示したら、安心していた。
 朝は、守口市の介護支援事業所管理者、介護責任者が来た。実績が悪くて、どうしようもない。その理由がどこにあるのかを自覚して貰って、人事を行う。その人事に納得して貰わないとどうしようもない。
 介護管理者は独特の意識を持っていて、私は余り関わりたくない。自分が責任者として介護部門を預かって2年間で2000万円の収入ダウンを招いた。しかし、彼女なりの理由があり、結果はそうだが責任と言う言葉に関しては何も無いという論理だ。
 自分が立てた計画についても、計画より2000万円も低下していても、言いたいのは
 「計画に書いてある、それを達成するための行動はやりました。」
 「やったかどうかはあまり関係ない。俺が聞きたいのは、実績が急激に落ちているという事だ。その責任はどうする。簡単に言うと、2000万円の収益が落ちて自分たちの人件費は増えている。その差額はどうするんだという事だ。」
 返事はない。
 「その提案をして欲しい。」
 勿論ない。
 痺れを切らして、私が提案する。
 「4月に昇給するが、しない訳に行かない。訪問介護は実質5%ダウンと予測されている。これまで、君たちは2年間で30%ダウンさせた。しかし、自分たちの収入は増えている。会社への収入は今回の改正を見ればまたダウンだ。そこで、職員の処遇改善加算請求をして、昨年に比して5%の時間を減らして欲しい。簡単に言うと、多額の超過勤務手当を5%、200時間勤務だったら10時間合理化や見直しで減らして欲しい。ただ、その減った額を加算で埋めるので貰う金額は昨年と変わらないようにしたい。」
 介護支援事業所管理者が
 「それは、超過勤務しても出さないという事ですか。」
 「何を言って居る。勤務体制や仕事のやり方やシフトの決め方などを通じて勤務時間を減らして欲しいと言って居る。」
「私個人ですが、それで結構です。」
 そう言った介護支援事業所管理者に続いて介護管理者は
 「減らすことは難しいです。遣りたいこともあるし、自分の仕事もある。ケアに入ることも多くなって来るし。」
 超過勤務手当をこの二人だけで30万円も40万円も支払って居る。
 登録ヘルパーさんや若い社員が辞めて行くのが、どこに原因があるのかも知ろうとしない。この二人にあるのだ。他の者に仕事をさせない、登録ヘルパーさんや若い社員には困難事例や身体介護、自分たちはガイドや家事援助をと見透かされているのだ。
 自覚ない者たちとの話し合いは、疲れだけが残ってしまう。
 11時半に出て、不動産屋に向かった。賃貸契約書を提示して、仮契約を終えた。商店街に入るサロンの運営は6月からだ。昨日も、この地域の介護支援事業所の隣の部屋に相談支援事業所を設置するために不動産契約を交わした。
 郵便局に寄って、一旦部屋に戻って昼食を摂った。昨日から体調が悪い。朝は今日の夜の予定をキャンセルしようと思って居たが、会社に来たらシャキッとしたので予定通りだった。
 食事を簡単に済ませて、事務所に来て事務処理をした。直ぐに出て、再び郵便局、銀行と回って近くのマックに向かった。
 行政書士としての業務を依頼されて、その仕事に対する報酬を受け取りする場所がそこだ。驚いたことに、年齢が70歳を超えているのにバリバリに働いて金銭を得る能力は長けている方からの仕事だった。
 NPO法人の総会議事録などの作成だったが、これが行政書士としての業務の第一号だ。これまで、その名称を使って仕事をしたことがあるが、講演会などなので特定非営利活動法人に入れたりしていた。
 そして、長い話に付き合って戻って直ぐに、居宅介護支援事業所管理者との話、夜の会議。戻って来たのは深夜だった。雨が冷たい。

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