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トップハート物語(5757)立志伝敢闘編
20/05/10
2014年(平成26年)11月下旬。
余りにもうづ高く積もった書類の山に格闘した。こんなにも積もり積もって、一体どうなるのかと思ったが、一日中処理して半分くらいになった。勿論、急ぐものもあったが、勘弁して貰った。
 3日から7日まで、仙台、大宮、東京と回るがその不在の4日間はこの山を見ても、そのめぐりが重要だと感じているので、早く行きたいと思って居る。
 仙台へ3日は直行する。仙台では、いつも先輩が待っていてくれる。仙台のニュースをいつもメールで送ってくれる。母校の野球などの結果や、大きな話では先日のフィギュアスケート羽生結弦選手の凱旋パレードの模様。田中将大選手が属していた楽天の優勝パレードの模様など。
 また、仙台の七夕祭りの様子や女子大学駅伝大会の模様。果ては、選挙の行方など。多くの情報がもたらされる。この遠方に居ながらにして、故郷仙台の様子がつぶさにわかる。そんな仙台の偉大な先輩である、仙台一高出身の「菅原文太」さんが亡くなったとの訃報に接した。
 仙台で先輩と3日の夜を何時ものように過ごす。生徒会で一年上の役員として接したのが縁の始まりだった。それも、奇縁だ。先輩が、そのキャラクターらしく私が違う委員会なのに間違って、私を先輩の後任だと思って文化祭の時に使われたのだ。
 その縁から、先輩が就職した会社に追い掛けるように続いた。神奈川県は川崎市だ。その入社した半年後先輩は退社してしまった。私は独りぼっちになって戻る家も無く、悪戦苦闘したのだ。
 その後、逆に先輩が仙台から再び上京した。その時は私も退社していて別な会社に属していた。仕事の無いまま上京した先輩が私の斡旋で私の勤務する会社にアルバイトとして来た。
 その仕事は事務職なので、また辞めた。前の会社も事務職としての経理事務が嫌で辞めたのだ。そして、三越の自転車売り場での販売員となって実績を上げたがまた退社。自由が丘にあった高級ファッションブランド会社に就職して水を得た魚のように活躍し、結婚もした。 
 そして、営業成績も順調に上げて、「金曜日の妻たち」の舞台となった田園都市線の住宅街に居を構えた。テニス三昧の生活と結婚を手に入れた。その後、退職して仙台に帰郷、現在に至るのだ。
 今は、東北六県を販路として営業を行って居る。ファッション関係で自営としての活躍は目覚ましい。
 一番の山場は、先年の東日本大震災だった。その地震の報を受けて連絡したが数日間、全く連絡が取れずにいた。数日後、ついに私も被害の状況と、先輩の住んでいた位置を考えて亡くなったと覚悟した。
 先輩の当時の住まいは、山の上だったのだが、実家が海沿いの若林区。一番の被害があった位置だ。何しろ、海の波の音が聞こえて貝を取って味噌汁にしたりして生活した話を聞いていた。
 そして、その地震時のニュースでは、
 「若林区の海岸沿いに多くの死体が浮いています。」
 という事だった。
 まさに、その渦中に先輩の家があり、そこを倉庫代わりに活用して住んでいたのだ。
 連絡も取れずに、諦めていた数日後、突然mailが来た。野菜など食料品を営業に利用していた車に積んで避難所を巡っていたとのことだった。
 避難警報を真に受けて避難したという。それまで、何度となく津波警報が発令されては全く津波など無かったので、みんなは自宅にいたという。車で一目散に逃げた先輩は九死に一生を得ることとなった。
 その先輩との再会は、当社の社員を連れて行く前に、地震の3か月後ふるさとを訪れた。余りの悲惨さに声も出なくなっていた。同級生が沢山亡くなっていた。
 南三陸町では、高校に通学していた沢山の同級生がいたのだ。その町長も同級生だった。一番の友人も亡くした。夫婦家族で亡くなっていた。
 それから、先輩との絆はより一層強くなり、色々と交流を強めて行った。
 年に数度仙台とこの地を往復することとなった先輩と私だ。
 その仙台に3日着き、いつものようにメトロポリタンホテル仙台に2泊する。翌4日は実家に行って昼食を頂く。母親の手作りの食事はいつの頃から食べていない。
 今日、仙台の母親から「笹かまぼこ」が着いたので電話した。相変わらず元気で、頑固さは変わりない。援助を受けるのを殊更嫌って居て、自立する精神を失って居ない。
 その夜も、先輩と過ごして仙台の予定は終わる。5日に大宮の自宅に帰る。子供と会えれば、認知症簡易診断システムソフトの話をしたいと思って居る。新たな開発をしたいと思って居る。
 翌6日は、午前中に家を出て東京は大井町に宿泊する積りだ。ここは、私が20歳から住んだ街だ。結婚して北区に転居するまでの青春時代を過ごした。ドラマは「俺たち旅」歌は「神田川」が流れていた。そんな時代だ。
 貧しくも、楽しい青春時代を過ごした街だ。そこにまだ住んでいる友人がいる。しかし、今回は会えるかどうか。
その夕方から、この東京に来る理由がある組織の支援について話をする。私がお世話になった、東京大学の先生が立ち上げた組織が心配なのだ。その組織に力を注ぎたいと思って居る。
 翌日は、その組織の集会だ。全国から集合して来る方たちに組織を作る提案がなされればいいと思って居る。
 ぶりも再び届いた。それを、新規事業所責任者に取りに来させて渡した。


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