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トップハート物語(5731)立志伝敢闘編
20/04/27
2014年(平成26年)11月初旬。
 昨日、アメリカの女性が脳腫瘍に掛かって余命数か月と宣告されて、自ら医師に処方して貰った薬を服薬して予定を自分で建てたとおりに身近な人に見守られて亡くなったニュースを放映していた。 
 そして、今日の朝には同じ病で
 「来年を迎えることは出来ない。」
 と、言われた女性が生きる、生き抜く宣言をして
 「この世の中から消えることは怖くはないが、私が居なくなったことで悲しむ人が居るのが気掛かり。」
 と、言うようなメッセージを残していたのを放映していた。
 私は、その直後マンションを出て歩きながら思った。
 当社には丁度今まさに、ガンとの戦いで休暇をとっている者と、出産で休暇をとっている者がいる。手術が終わったが、これから放射線治療とホルモン療法が始まる者。時を同じくして、出産した彼女から写真が届いた。
 その両方の要に居る私だ。二人の接点はほとんどない。特定非営利活動法人と株式会社、働いている市も異なる。年齢はくしくも同年代の女性だ。がんの治療を受けている彼女は卵子の保存を図ったが失敗したようで、毎日、家に引きこもって泣き腫らす毎日だと言う。
 治療が終わるまで出勤を見合わせるように指示してあるが、出勤したいと強い希望が責任者にあったようだ。みんなが辛い思いをして、彼女の行く末を見守っている。
 もう8年前になる、同じガンが検診で見つかった彼女は、やはり同じ年代だった。既にレベル3の診断だった。
 頑張って出勤するが、ついに精神的な抑圧に堪えられなくなり、申し出があり退職。それでも、登録者として勤務して貰って居たが緊急入院した今年の春。風の便りに、悪化して最後は自宅にて。。。。。
 しかし、その事実を確認しようと自宅を訪問した者は拒まれて入室できず。家族も何も言わず、未だに結果が分からない。
 ヘルパーさんもそのような方が居た。手術して在宅に復帰していた。療養中だったが、近隣のケアをお願いした。喜んで働き出した。
 半年後、ついに帰らぬ人となった。その妹は知的障碍者だった。年老いた親が居たが、ついに寿命を全う。妹一人だけになった。周りと当社のケアが中心に一人で在宅生活を送って既に数年。本人の施設に入りたくないと言う希望を最大限に汲み取って市も決断した。
 人生とはどこから始まるのだろうか。私もつらい思いをしたことも幾度もある。しかし、死の苦しみには至らない。
 この周りの社員たちが一体どうなるのか、それが心配で生きがいとなっているのだ。世間では、既に定年を数年過ぎ去った年代の私がこのように、若々しくいつも好き勝手なことをしていられるのは、みんな社員のお蔭だと思って居る。
 しかし、この社員たちが将来も手を携えて自分たちの生きざまを全うできるかとなると、そうはならない。難しい人たちなのだ。自覚することが出来なければ、難しい。何を自覚するかと言うと、自分の能力だ。努力する気持ちも無い者もいる。その者が、果たして世間で通用する人材になるかどうかという事だ。
 そんなことを考えて、人材教育は資格やスキルだけではないということを知らしめないと行けないと思って居る。その時間を設けたいと考えている。
 朝一番で、介護支援管理者が来た。今日、あの問題の新人が来ると言うのだ。
 「朝6時半頃に、『今日出勤します』と連絡が来ました。出勤じゃないのですが、面と向かって話し合いしないと終わらないので、来るように言いました。ただ、『研修センター責任者のところに朝寄っていいですか。』と言うので、どうぞと言いました。」
 いつも、この研修センター責任者は裏でゴソゴソするので不快な思いだ。研修センター責任者の適任者がおらず、自分が辞めたら困るだろうと思って居るので、遣りたい放題だ。
 調子のいいことを受講生に伝えて、気に入った者だけを口をきいて私に褒めあげて紹介する。しかし、その者は調子のいい話しか聞かないので、介護をする気などない。調子のいい話とは、自分の配下として研修センターで使って楽に働けるようなことを言うのだ。
 今回のとんでもない新人は、前回の者よりたちが悪い。ここのところの3人立て続けて問題ばかりの新人だった。最初の者は今年の春だった。研修生として受け入れて、真面目に働いていたので、資格取得と同時に入社させることになり、契約を取り交わしたのは、出勤日の前日。
 その初日から来ない。連絡が付かない。それで、終わったのだが、社会保険などの加入をしていたので、本当に後始末に手間が掛かった。
 次の奴は、最初は真面目に来ていたが突然、ヒトが否定できないことを理由に長期欠勤を繰り返すようになる。例えば、親が心肺停止で緊急手術、レイプに遭ったので外に出られない、など、共通しているのは電話に出ないし連絡が付かなくなることで、自宅に行って親に話すと言うと、連絡が付く。勿論、辞めて貰ったがその手続きや社会保険料の本人負担などは取れないまま。
 そして、今度の奴は他の者も交えて二度面接して、3度目の確認をして入社。二日だけ出勤で、その間、評判がよく、ただ私は冗談抜きで
 「評判がよく、保育園に預けるので就労証明書を依頼して来て出した途端に来なくなるのがいままでだから、評判がいいのはかえって怖い。」
 そう口から出た途端、就労証明書の書類を持って来て証明を要求してきた。
 絵に描いたように、翌日から来ない。定期代も2万円弱支給して、同行のシフトも組んでいたのに。それから、既に2週間来ない。社員としての地位は欲しいらしく、時々連絡して来て、子供が救急車で運ばれて緊急手術して出勤が出来ないと。
 いつものように、研修センター責任者がブローカーをして、どこかに紹介するのだろう。困ったことだ。しかし、やっと後任を決めた。
 介護支援管理者がその今日出勤すると言う困った新人への対応を話し合った。
 どうも、介護支援管理者はまだ未練があるようなのだ。
 「もし、これからキッチン出勤しますと言ったらどうしますか。」
 「いいか、口だけはそう言うだろう。これまでもそうだった。しかし、また、子供を理由に同じようにされたら、どうする。施設だったら団体で仕事をしているから大丈夫だと思うが、訪問介護は1対1だぞ。どうするの、頻繁にそれが生じて、周りも同じように子供を理由にしたら。」
 「そうですね、今までもそんなことがあってもなんとか対処してきましたが。」
 「現場の問題だ。現場が大丈夫だと言うならどうぞ。いいか、今現在、契約書の案を渡したが、それが終わっていない。契約していないのだから、何の処理もしていない。社会保険や労働保険など。もし、契約したらもう簡単に終わらせられない。」
 何度かそのような話をした。
 あとは、任せることにした。
帰ってから居宅介護支援事業所管理者が来た。
 彼女が長時間いたが、話は特に無かった。彼女は、確かに世間の経験も勤務の経験も余りないので、常識や世の流れを知らない。元々、無資格で来て事務的なモノから教えたが、この会社でのモノだけだ。
 ヘソ出しで、来た。自慢の胸を半分出ているような状態で出勤して、同じ部屋の男性社員を釘付けにしていた。そこから始まったのだ。
 「衣服を代えて来て。」
 「私はこんなものしかないんです。」
 あれから12年、既に40代に昨年仲間入りして、ケアマネジャーをしている。
最近の新規事業には付いていけないのでメンバーから外している。文書を読む、書くことが出来ないのだ。話をすると、会議でも自分の事から利用者の事など、内容が無いので発展性がない。アイデアも無いので、厳しいのだ。
 毎日飲まないとダメだという体になっているようだ。
 今進めている新規事業資料を見せても、一瞥して置くだけで。
 彼女がも戻ってから、定期検診に行った。主治医は隣のイオンモール内にクリニックを構えている院長だ。いつものやさしさで、今日は簡単に終わった。
 昼に、介護支援管理者と問題の新人が話し合ったが、社員としての地位を失うのが嫌なようで、考えると言って戻ったようだ。
 夜に返事が来て、近くで探すという。しかし、他の実入りのいい仕事をしているようで、介護など遣れる訳がない。高級クラブやプロダクションなどと関わっているようで、自分も高級クラブの雇われ店長をしていたようだ。
 労働局から調査の連絡。12月だと言う。地域職業訓練センターから連絡があり、協力を願いたいと言う。しかし、役所の天下り組織なので、偉そうな横柄さだ。

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