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トップハート物語(5646)立志伝敢闘編
20/03/14
2014年(平成26年)8月中旬。
 昨日、金曜日の夜に会った東京大学大学院と京都大学大学院を出た俊才の40代男性と懇談した。その学歴と能力を生かして、将来的には地域支援事業に関わって貰おう思って居た。
 その手始めに、高校受験を迎えている新規事業所の責任者の娘と学力を付けたいと願っている居宅介護支援事業所管理者の娘と、今度准看護師を目指すために受験する介護責任者の学習を見て貰おうと思って、話をして快諾を得た。
 その席で、
「条件を提示して下さい。」
と、言ったが、彼は
 「佐藤さんが決めてくれるでしょう。そんなに沢山は求めません。佐藤さんの最初は利益を求めず、という姿勢はよく存じております。」
 そう、彼は返事していた。
 私は安心せずに、翌朝、お礼と共にメールで再度条件提示を求めた。その際、私のプラン、つまり地域支援事業として彼を活用する、簡単に言うと生活困窮者の子弟への学習サポートプランを披歴したのだ。
 十分理解できていると思った。その彼から返事が来たのは、当日ではなく翌日のことだった。駆け引きに出ているなと感じた。
 いつも彼は、必ず当日に返事をくれた。私の心の中では、
「佐藤さんが決めてください。幾らでも結構です。」
そういう期待と、
「相場程度で。」
 という言葉と、最悪
 「1日1万円くらいで。」
と、いう返事が入れ代わり立ち代わり廻っていた。
 その間、その学習指導の対象となっている、新規事業所責任者からmailが来る。スタートする日程などを連絡したと言う。しかし、肝心の条件はどうなっているのか聞いた。
 「聞いた方がいいですか。」
 「勿論。」
 しばらくして、返事が来ないと言って来た。
そして、翌日の今日、彼女に対しての返事の前に私に彼からmailが来たのだ。
『条件の件ですが、安くないと思うのですが、時間(3時間以上)・人数に関係なく、1回1万円でいかがでしょうか?
交通費往復の1040円は、別でもコミでも構いません。
教材費が発生した場合は(そうはかからないと思います)、別途いただきます。

もし、この条件でよろしければ、毎月月末締めで請求書を発行させていただきま す。上記が高ければ、佐藤さまの言い値でいくらでも安くしますので、ぜひそうおっしゃってください。』
 こんな調子だった。
 もちろん、もっと沢山言葉が羅列してあったのだが、私が家庭教師の相場を調べたのでは、高額だ。あれほど、地域支援事業のスタートとして考えていると言った筈だ。二家庭とも、高名な塾と全国的な学習塾に通っているのだ。
 半分程度は負担してもいいと思って居たが、月20日と考えて1万円で20万円か。その負担を捻出するのに、相当の覚悟がいる。当然、母子家庭の新規事業所責任者と子沢山の居宅介護支援事業所管理者の家庭では負担が大きすぎる。
 私が考えていた、小さく産んで大きく育てる方式とはあまりに縁遠い提示額だ。幾らでも安くするとの言葉は嘘だ。この土地で、痛い目に幾度となく遭って来た。そう言って、契約してその日程の前日の夜に電話があって、
「こちらの希望額に値上げしてくれなければ明日は行かない。」
 と、何度言われたことか。
 また、
 「ただ働きでもいいですので雇って下さい。」
 「時給10円でもいいので、働かせて下さい。」
 「給料は利益が出てからでいいですので、何でもいいので仕事を下さい。」
 「何でもしますので、好きなように使って下さい。」
 そのいずれもが嘘だった。
 ただ働きでも、と言った昨年までの介護管理者は収益が大幅に悪化した時に言った言葉だったが、ちゃんと請求をして来た。時給10円でもと言った、若い男性は破格の報酬を与えたが、こんな程度では生活していけないとほざいていた。利益が出てからと言った中年の無資格男性は、当然、給与をくれないと生活できないと言って来た。
 採用されるまでの、嘘なのだ。平然と、嘘をつく。幾らでも、と言って居た人間が1日1万円を要求するだろうか。深層心理は、そこにあるので結局は始まるまではそう言って置きながら、いざとなったら来ない、値上げ要求に通じる。地域支援事業を運用している最中だったら、とんでもない信用失墜に通じる。
 対象となる彼女たちには、その内容は送らずにこれからの心構えなどをmailしていた。それらは、既にこの地域では最高の塾で最高レベルのクラスに所属しているのだから、当然指導を受けている。そんな、卒業して20年以上も経っている彼が何を言っているのだ。混乱するだけだ。
 新規事業所責任者に何も言葉を付けずに転送した。私が判断を歪めることになったら、と大事な時なので避けた。
 1日1万円の二家族で半分でもその負担は大きいとの返事が来た。
東京大学大学院と京都大学大学院卒業の彼は、独立して自営業となった。しかし、彼の資格は特殊で仕事は無いだろうと思って居たが、やはりだった。5月に会社を退職して、
「全く仕事が無く毎日日まで、子供の将来をどうしたらいいのか心配になって来た。佐藤さんから頂いた仕事で何とか収入があり生活が出来た。今後も、佐藤さんについて行きます。私の事を考えてくれて仕事をくれると思って居ます。社員にして下さい。」
 そんなことを言っていたが、これで折角のチャンスを失うことになる。
 あれほど、私が目先の利益を追わない、しかし、ちゃんと面倒を見てくれると知っていた筈なのに。
 「明日、事務所に居ますか。」
 そう言って、新規事業所責任者から言って来たので、午前中は居ると返事した。
台風が連続して日本列島を襲っている。大きな被害が相次いでいる。一体、日本を取り巻く気象はどうなってしまったのだろう。
 夜、1年ぶりの「思い出のメロディー」を見た。7時半から10時までの長時間だった。台風関連のニュースで開始が10分遅くなった。思い出を懐かしむ歌が始まって感動した。
 黛ジュンから始まった。声の出ない人も居るが、それにしても80歳を超えても今の歌手よりは完全に上手で、比較すること自体悪いことだと思える。
 私が初めてレコードなるモノを購入したのは、ペギー葉山の「学生時代」だった。今年もオリジナルで聞くことが出来た。あのレコードジャケットを机の上に立てかけて、何度も見て、何度もかけた。
 寒い、一人の部屋だった。中学三年生の時だった。あれからもう50年だ。東京オリンピックが行われた年だ。あの時、何を考えて将来はどうなるだろうと思って居ただろうか、思い出せない。将来などなかったのだ。貧困の家庭に将来などない。
 ただ、働くことだけを考えていた。早く、どんなところでもいいから働きたかった。働いて、自分の力で生きて行きたかった。自分の力だったら、自分の置かれている立場を受け入れることが出来ると思って居たと思う。
 多くの歌が流れたが、私にとっての思い出のメロディーはその歌だった。三浦光一さんの「柿の木坂の家」だったか、その歌は私が9歳の時の歌だったから、既に55年を経過している。ご本人が来て謳ったが、凄い年と年齢を感じさせない歌声だった。
 感動と、テレビ画面の周りに流れるテロップで、避難勧告が示される。西日本だけで100万人という多くの人たちがその対象となっていた。
 昼間、妊婦が来た。もう8か月だと言う。子育ての話になった。その、新規事業所責任者のお子さんは秀才で、この西日本でも最高クラスの高校受験をするそうだ。しかし、うらやましいと言う彼女に
 「合格の可能性があるとは、塾の話だろう。塾は一人でも多くの進学校への合格者を出して宣伝に使いたい。合格したらめっけものだ。しかし、不合格になったら知らん。合格者数は発表されているが、不合格者数は発表しない。一か八かで受験させて、合格したら自分の手柄として宣伝に1プラス、不合格だったら残念でしただけ。塾から言われてその気になったら終わりだ。大体、この区域で全員が受験する模擬試験があるのだろうか。みんな塾の言葉を鵜呑みにしているだけ。そのあとはどうだ。暗記と詰め込み教育で、やっと合格して世間に出て使い物にならない奴が沢山いる。考える力、創造する力、それをどうやってつけるかは親の力だ。」
 有名高校や有名大学に入ったと言う満足は人生のホンの一瞬だ。自慢など、裏返せば失望や憐れみがある。全国から集まって来る大学に行って、やっと世間の広さや自分の位置が分かるのでは、遅い。
 「いつも、自分の娘の学力の高さを自慢しているのが、心配だ。ずっと、うまく行くことはない。いまは、学力最低の中学校でトップかも知れないが高校でまずその力が試される。そうなった時に、どういう位置にいるか。それなりの学校には行ったら着いて行くだけの能力がないと、また学習塾の世話になることになる。大きな負担になる。」
 そんなことを話して、1時間半過ごした。
 夜は、念願のカレーを作った。今までのルーを使用せずに、少し高い横浜のルーを使った。美味しい。やはり、ルーもいいものを使わないと美味しいものは出来ない。チキンカレーを作った。ニンジン、玉ねぎを細かく切って大量に投入。チキンのモモ肉も小さく切り分けて、ニンニクと胡椒で下味をつけた。じゃがいもは入れないとあったが、入れた。それでも美味しかった。
 もう一つ作った。ちゃんこ鍋だ。ルーを買って来たので、そこになんでも入れた。肉団子、厚揚げ、キノコ、小松菜、鮭、豆腐、ネギ、メヌケなど。これは、半額で讃岐うどんを買って来たからだ。それを入れて煮込みにして食べようと思って居た。あとは、食材が余っていたので。
 二つ作ったが、食べたのはカレーだった。体重が急に昨日増えたので気になっていたが、我慢できなかった。そして、今日の朝体重を量った。何と、1.2キロ減っていたのだ。信じられないが本当なのだ。
 この体重減少傾向を続けるために、なんで減ったのが考えた。一つは、クーラーを点けていると思っていたが、ついていなくて汗を沢山掻いた。キッチンは暑くて汗を大量に掻いた。カレーは発汗作用があり、汗を沢山掻いた。
 スイカを食べて、尿が30分おきに何度も多量に出た。そんなことが思い浮かんだ。いよいよ、80キロピッタリになったので、ついに明日は70キロ台かと希望は持っているのだが、いつものように、戻ることになる可能性が大きい。
 仕事は、一段落しており、考える時間が作れるようになった。書類の整理もしたり、社員の時間を作ってと言う依頼にもある程度応えられるようになった。
 来月は11日から4日間北海道に行く。夜行列車で行くのだが、天気が心配になった。4日間の旅はどうだろうか。楽しみだ。

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