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トップハート物語(5642)立志伝敢闘編
20/03/10
2014年(平成26年)8月初旬。
やっと、済んだ。これでも、始まりと気を引き締めている。被後見人の困難な引っ越し作業が取り敢えず、第一段階を終えた。
 被後見人の性格なのか、立退き作業が始まる中、立退きを受け入れるのだが、次の移転先が決まらない。早く引っ越したいと言いながら、納得しない引っ越し先と条件。寝たきりで、転居も体調と相談しながら作業を行う。
 話が持ち上がったのは、3月末だった。既に、後見の申立が済んで面談に書記官が訪問した時からその話があった。現場を見て貰って、帰って行った。持ち主という方から連絡があり、その物件を他の業者に売り渡したという。
 新たな持ち主の代理人という者があらわれて、開発をするので立退き合意書に印をなどと早急な話で来たが、私はまだ後見人に選任されていた訳ではない。申し立ての段階で候補者となっていただけだった。
 それから、何度も立退き要求があった。刻々と、周辺が立ち退いて行く。不安を被後見人は抱くのだが、物件を見に行って了解するが、暫くすると断る。
 「方向が気に喰わない。」
 「住所が、嫌な思い出のあるところだから嫌だ。」
 「この住所地から変わるのがいや。」
 「平屋の一戸建てで、近隣の音が聞こえて来るのは嫌だ。」
 方々、体調を見ながらヘルパーさんが不動産屋を廻る。
 一旦受け入れるが、断る、の繰り返し。
 後見の審判が下って、後見監督人が付く。
 やっと、受け入れて契約寸前だったのが、2階建てだから嫌。
 交渉の結果、2階も借りて家賃を今の住居とほぼ同じにして貰った。そうなると、2階にも誰も住まないので大丈夫だと説明してもきかない。
 いよいよ、訪問介護も居宅介護支援事業所も自分たちの仕事ではないので、匙を投げる。
 ついに、ご本人しか近隣で住む住人はいなくなった。
 後見監督人と話をして、ついに決断をしてご本人の意向を尊重するという考えに立って、最後の話をして、ここにとどまるならそれでいいだろうという考えになった。
 開発業者も、
 「居るなら居るでも結構です。8月から工事を始めますので。その部分だけ残して解体して、立て替えます。」
 そう言い残して、あれほど何度も当事務所に来て説得を私に行っていたが、諦めムード。何故なら、後見人が付いて、後見監督人の弁護士が付いて、裁判所の許可が必要なのだ。これだけ、法曹界ががんじがらめでついているのであれば、もう手出しが出来ない。
 最後の説得というか、説明にあの2階建ての住居に引っ越すことを了解したご本人。
動き出すのには、まだ当分時間が必要だった。まず、不動産屋が求めた個人保証人の選定が必要だった。私は後見人という立場から無理。家族も考えたが、埼玉では如何ともしがたい。結局、元社員で現在登録として働いている男性に依頼。快く、受け入れてくれたので、何とかなったが、それまでの時間も費やした。
 今度は、契約書の作成などの時間と、家庭裁判所の不動産処分許可申請に対する必要性の判断の時間。結局、必要となってその書類作成。加えて、追加で後見監督人の同意書作成。その判断を求めた。
 その間、持ち主や、元の持ち主との話し合いも続く。転居合意書に対する署名を求められる。しかし、裁判所の許可なしでは動けないしましてや日付を入れるとなると後々無効になることも予想される。
 攻防は続く。元持ち主から、火災保険の解約を打診して来た。まだ、転居していないので難しい。続いて、持ち主がまた変更される。転売したのだ。果たして、これまで約束して来た100万円の立退料の存在は霧消となるのか。
 結局、立退きだけは前の業者に残っている。今度は、新たな転居先の持ち主が早く契約しないと、無くなってしまうとのことで契約書を受け取り日付なしで書き込む。保証人に署名を貰い、印鑑証明や実印を押印して貰う。
 刻々と事実だけが動いて、裁判所の許可を求める。申し立ての相談をして数週間。申立書類を提出して既に10日間。借家であった方が借家に転居する。金銭の余裕もあり、立退き開発に追われている。それで、通常の決済システムが動いている別世界の裁判所。
 転居するためのシステムの話し合いを、関係者で行う。まず、体調の変化が激しいご本人の移動と、それに伴う転居先の環境維持。何といってもこの暑さに対する設備、クーラーの設置だ。結果的に私のクレジットと会員を利用して「ジャパネットたかた」に依頼することにした。
 直ぐに設置可能だというのが分かった。続いて、引っ越し作業をする業者の選定だ。思いついたのが、当社の社員のシングルマザーが付き合っている男性が引っ越し業者と関係があるので、依頼する、近日中に見積もりに来ることになった。
 あとは、ご本人の体調だけだ。転居がはっきりしたので、業者が立退料を振り込むと言って来たが、まだ、裁判所の許可が下りないので拒否した。受け取って、あとから許可前に受け取ったとなったら問題だ。
 その間、私が個人的に経費を負担することにした。
 そんな中、今度は契約書に添付する住民票が無いのでサービス業者が委任状を持って行ったが、結局、ダメで今日の朝一番で私が市役所に行って受け取って不動産業者に届けた。
 福祉レンタル事業者に新たなベットを日程のずれの無いように手配して貰った。
家庭裁判所に行った。入所している体が拘縮している方の後見申し立てをした。ご本人受け取りで施設に配達された書留が受け取れない。文字が書けないからだ。受け取りにはどうしたらいいのか、判断を受けに行ったのだが。
 「裁判所に戻ってきたら、対策を考えます。」
理研・笹井芳樹氏自殺 疲れたという内容が書かれた短い遺書

STAP細胞論文の共著者で、理化学研究所の笹井芳樹副センター長が、首をつっているのが見つかり、死亡が確認された。
理研の竹市雅俊センター長は「この情勢、彼にとっては、非常に苦しい情勢、状況だったのは明らかで。もう少し我慢してほしかった」と話した。
笹井氏は5日午前9時ごろ、兵庫・神戸市にある所属する発生・再生科学総合研究センターに隣接する建物の階段で、首をつっているのが見つかり、その後、死亡が確認された。
笹井氏の研究室の秘書の机の上に、総務課長と人事課長宛ての遺書が見つかっているほか、笹井氏が首をつった現場からも、複数の遺書が見つかっており、そのうちの1通は、小保方 晴子研究ユニットリーダー宛てのもので、疲れたという内容が書かれた短いものだった。
笹井氏は、ヒトのES細胞から目の網膜を作ることに、世界で初めて成功するなど、再生医療の第1人者として知られており、STAP細胞については、小保方氏を指導する立場として、論文の執筆に参加していた。

笹井副センター長自殺 小保方 晴子氏宛ての遺書も
STAP細胞に関する華々しい発表会見から190日目となる5日、論文の共著者である笹井芳樹氏が、自ら命を絶った。
小保方氏宛ての遺書には、疲れたなどといった内容がつづられていたという。
2014年1月に開かれた、STAP細胞論文の発表会見に、小保方 晴子研究ユニットリーダーとともに出席していた、理化学研究所の笹井芳樹副センター長。
1月28日、笹井氏は「わたしたちとしては、『頑張れ小保方』ということが、センターでございますが」と述べていた。
5日午前9時ごろ、兵庫・神戸市の理化学研究所発生・再生科学総合研究センターCDBに隣接する先端医療センターで、首をつっているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。
発見された現場は、笹井氏の研究室がある建物の4階と5階をつなぐ階段の踊り場。
その後、複数の関係者に向けた遺書のようなものも見つかった。
中には、小保方氏宛てのものもあり、「疲れた」といった内容が、したためられていたといいう。
理化学研究所の加賀屋 悟広報部長は「秘書の机の上にあったものが、1つあります。それとともに、現場のところに、遺書のようなものが3通あったと聞いている。秘書の机にあったものは、人事課長・総務課長宛てのもの」と述べた。
勤務先で自ら命を絶った、笹井氏。
最後にどのような思いをつづったのか。
くわしい遺書の内容は明かされていない。
STAP論文の指導役として、また、共著者として、信頼を寄せていた笹井氏が自殺したことを受け、小保方氏は。
理化学研究所の加賀屋 悟広報部長は「どういう形で(小保方氏に)伝わったか、わかっていないが、『非常にショックを受けている』という報告は来ている」と述べた。
36歳という異例の若さで京都大学の教授に就任し、万能細胞、ES細胞研究の第一人者として、世界的に知られる存在だった笹井氏。
5日午前9時ごろ、首をつっているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。
共著者として関わったSTAP細胞論文について、研究不正があったと結論づけられたあとも、「小保方さんの科学者としての資質については、非常に豊かな発想力があり...」などと、小保方氏をフォローしたうえで、STAP細胞については、最も合理的な仮説と話し、存在する可能性を示していた。
また笹井氏は「(STAP現象が)存在しないと思っていたら、共著者に加わっていなかった」と述べていた。
しかし、2014年6月、STAP細胞論文の共著者、山梨大学の若山照彦教授は、第3者機関による解析結果を示し、「STAP細胞があるという証拠はないというか、否定するような結果が出ている」と述べていた。
さらに7月、STAP細胞論文を掲載した科学雑誌「ネイチャー」は、論文の取り下げを発表した。
これらを受けて、笹井氏は「STAP現象全体の整合性を疑念なく語ることは、現在、困難であると言えます」と、STAP現象を証明できないことを認めるコメントをしていた。
最近の笹井氏の様子に、理研の同僚は異変を感じていたという。
理研CDBの斎藤 茂和副センター長は「普段の元気良い、ちょっと愛嬌(あいきょう)のある笹井さんの姿が、最近は少し衰えているかなという印象はありましたが、こんなふうになるとは思っていませんでした。(笹井さんはどんな方でしたか?)思い出すと、なかなか話ができなくなる...」と話した。
一連の疑惑が取りざたされて以降、笹井氏は、心身ともに疲労しており、2014年3月には、1カ月ほど、心理的なストレスから入院していたこともわかった。
竹市雅俊センター長は「どうして、こういうことになってしまったのかということに対して、私たちは、もう一度よく考える必要がある。この情勢、彼にとっては、非常に苦しい情勢・状況だったのは明らかで、もう少し我慢してほしかった」と話した。
小保方 晴子氏の代理人弁護士は、笹井氏の自殺について、「大変驚いている。ご冥福をお祈りしたい」としたうえで、「小保方氏の心のケアが一番心配で、早く対応したい」と話している。




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