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トップハート物語(5595)立志伝敢闘編
20/02/12
2014年(平成26年)6月中旬。
 朝一番、キラキラ目の珠緒ちゃんが来た。
 「健康診断の案内はまだですか。みんな6月に行っているので、1年が切れてしまうと言っています。」
 昨年からの1年間のうちにと思っているようだが、そうではない。今年度1年間の間ということだが、それでも遅いのに変わりはない。
 NPO法人常勤理事に言っているんだが、中々進まない。いつも、これからの人生どうするのか、と心配している。何も、結婚しているから大丈夫だとか子供がいるから大丈夫だとは思っていない。
 シングルが沢山居るし、それは別にいいのだが、仕事をするという姿勢を心配しているのだ。
 顧問の社会保険労務士が10時半の約束時間に来た。ところが、何故か知らないが彼女が来るときにはいつも雨なのだ。今日もそうだった。前々から日程を決めているのに、どうしてこんなに雨の日が続くのか。
 暫く、世間話をして仕事に入った。問題は、就業規則の改訂を含む賃金の問題だ。加算の条件のキャリアアップと賃金の問題がある。職務と賃金の明記だ。例えば、管理者となった場合には幾ら幾らの手当だとか、勤続何年だと幾ら上がるとか。
 そんなもの私どもには関係がないのだが、その賃金表を作らないと加算が得られない。その表を作ってあるが実行するようにしたら、大きな歪が出てくる。まず、管理者という名称は実際の世間で言う管理者とは程遠いマネジメント能力だ。
 そこに手当を付けて、管理者だから超過勤務手当はありませんよとなったら、一体どうなるのか。誰も管理しない状態で、仕事をすることによって時間が消費されて超過勤務手当に繋がる。
 いま、賃金表には管理者の手当が5万円となっている。その通りに管理者として遇したら、現在の行なっている160時間以上の勤務は超過勤務手当として支給している制度が無くなって、大幅に給与が低下する。
 なぜなら、みんな管理者クラスはその制度によって10万以上の手当を得ているのだ。多い時で20万円近くになる時もある。
 そんなことはできないし、やったら組織が崩壊するのでより良い制度の運用をすることにした。超過勤務手当に役職の手当が含まれることにしたのだ。
 他にも幾つかの問題を解決した。12時半になっていた。お帰りになって、直ぐに出た。
小雨降る中を出発した。最期に残った振込する銀行支店。最大のターミナル駅前支店だ。車で小一時間。往復2時間。途中で食事。もし、これが近くの銀行支店での振込だと1名だったので108円の振込手数料が掛かる。今日は、その1支店だけだったのでその金額だけ浮いた形になった。多分、ガソリン代はそんなにかからない。ただ、時間と昼食代。それが掛かった。
 損得の問題があるが、それもまたいい。そのターミナル駅近隣に車を停めて私だけ降りて支店に向かった。その帰り、歩道の横に数坪の小さな花壇があった。そこには、本当に小さな花を咲かせていた花たちを見過ごせなかった。
 iPhoneで何枚も撮った。これは、あすのブログになる。
 戻りながら、イオンモールに立ち寄った。私たちがいる事務所の隣のモールではなく、少し離れたところにあるモールだ。そこの回転寿司屋に入った。美味しかった。ネタも大きかった。満足して戻って来た。
 しかし、途中で忘れたことに気づいた。法務局にて「登記事項証明書」を貰って来ないといけないことに気付いたのだ。認知症がここまで進んでいる。出る時には覚えていたのだ。
 直ぐに戻ろうかと考えたが、4時に約束がある。往復したら、今3時なので5時にしか戻れない。どうしようかと、迷いながらiPhoneを見ると、なんとメールで約束の奴から
 『5時近くになってもイイですか』
何という幸運さだ。
 戻り始めた。証明書を貰うのに準備していた必要書類を確認した。忘れているのがあった。やっぱりダメだった。戻った。
 妊娠中の彼女が来た。トップクラスが纏まって退職する時に、入れ替わって入って来た可愛いが脳力も実力もある奴だった。そのガタガタに成るはずだった組織を彼女が支えてくれた。
 交通費が多額に掛かるような旦那の実家のある遠方に越した。彼女は申し訳なさそうな感じだったが、その時の恩は忘れない。大丈夫だと言った。
ただ、
「その交通費も所得になるので、覚悟してな。」
 と、言った。
結婚したこと、妊娠したことが嬉しいのか、余りに幸せモードを外に出すので、困ったことも起きている。
外にケアに行った時にも出すので、障害者家族がクレームをつけてきたこともあった。
子供が大きくなった時の事や、名前をつける難しさを経験上から話をした。
彼女が戻ってくるかどうか、それがこれからの当社の浮沈が掛かっている。
その後、私のPC入れ替えに業者が来た。
その業者は元々コピー屋だった。当社のPC関係の仕事をボランティアでしている間に、仕事としてできるようになった。
段々と、吹っ掛けてくる様になった。
少し、この地域の奴らの精神を批判した。
「私もここの人間ですので、単純には受け入れたくない。」
と言っていた。

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