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トップハート物語(5542)立志伝敢闘編
20/01/14
2014年(平成26年)4月下旬。
 閑散としている事務所。勿論、訪問する者も居ない。ゴールデンウイークと呼ばれる連休スタートになるのか。マスコミは張り切って、11連休などというがそんな連休を取っているやつなどいないだろう。
午前中は、いつものペースで仕事をするがやはり心のどこかに連休という思いがあり、ペースもゆったり。
昨夜、奈良から戻って来て車から下りて部屋に戻った時に財布がないのに気付いた。最近、というかこの月は極力予定を入れないでまとまった仕事をしようと思ってスケジュール表は白、真っ白だった。
その為に、服装は軽装にした。それまでジャケットが中心だったが会社の制服のジャージにして過ごすことが多くなった。財布を入れるポケットは限られている。ジャケットだったら、内ポケットがあるがジャージには無い。
上のジャージの両サイドにあるポケットに入れる。長い間、そこから落ちることはなかった。思い出すのは、相当前、そう5年くらい前に奈良に車なのでジャージで行った時に、車から下りて食事をしようと店に入った時に、その時は下のジャージのズボンのサイドのポケットに入れていた財布が無くなったのに気付いた。
その時も、青くなって店中探して無いので、諦めてそれでも最後に車両に戻って見てもやはりない。念の為に、座席の下を見たがない。落胆をしてカード会社などへの連絡することにして、ふと座席の横のシートベルトを見るとたれているベルトに二つ折の財布が引っ掛かっていた。
青くなって、死んだ心が蘇ったようだった。しばらくは、放心状態だった。それが、二度続いたのだ、ポケットに入れるのを止めた。
それなのに、先日、後見依頼のご本人と一緒に銀行へ行った時に、車から下りて走ってご本人のところに駆け寄っていった時に、後ろから歩いていた通行人に財布が落ちたと告げてくれた。見ると、確かに私のだった。車の運転席にNPO法人常勤理事がいて、その目の前で落としたので、
「気付かなかったか。」
強く言ったが、自分が悪いのだ。
その1週間も経過しないその日も無くした。慌てて、歩いた道を急いで確認しながら戻って車の助手席のドアを開けた。目に入ったのは、前と同じシートベルトのところだった。その財布には、いつも現金10万円クレジットカード、そのほか大事なカード類が十数枚入っている。
もう、ジャージのポケットは無理だと思ってこの日は再びジャケット姿になって朝出勤した。先日の社員20人が集合して焼肉屋で介護福祉士合格祝いをしたが、最後の花束と記念品贈呈で本社の合格した女性社員が泣き出した。本当に嬉しかったのだ。
その模様の写真が500枚もあり、ブログ掲載に何日も掛かるが1日に掲載する枚数も多いので大変だ。また、会社のトップニュースや後見センターへのブロク更新などでこれまた長時間を要する。
それらが終わって、今日の出掛ける用件の処理だ。最低、施設に入居している財産管理などの契約をしたご本人への訪問。その財産は億を遥かに超えるので気を入れて行っているので、その現在残高報告書を作成した。
商工会議所が行っている優良従業員表彰の申請書を作成。毎年一人ずつで、今年は3年目。第一期生の、本社のある地区の居宅介護支援事業所管理者、NPO法人常勤理事に続いて第二期生代に入る。
この同フロアと同じ階にある居宅介護支援事業所管理者が今回の対象者だ。彼女ももう12年を過ぎた。子供を無くして、引き籠もり勝ちになっている時に頼まれて預かった。無資格者だったが、これまでに成長してくれた。
そんなことを思い出しながら、推薦状を作成した。その書類を作っているあいだにも、他のことをしないとメインも進まない。一つのことを最後まで、横道に逸れずにするのは私にとって至難だ。
その途中で、行政書士の成年後見組織コスモスのことを思い出して、ホームページを開いた。保険などに加入手続きを終えているが、何の連絡もない。隣の部屋の後見センターに行く。誰もいないが、書類だけは山積みになっている。
コスモスの入会関係の手続きを知らせる書類があった。昨年の9月に頂いたパンフレットだ。それを、見ると損害保険の証書が届かなくてもホームページで証明書を打ち出しても代わりとして使えると書いてあった。
それなら、あとはどうするのだ。書いてあった。コスモスのホームページから書類を打ち出して作成すると。ホームページを開き書類を確認した。たくさんあるが、写真はいつかの残りがあるだろう。あとは、住民票だ。自宅から送って貰わないといけない。
再び、今日の出る準備を始める。NPO法人常勤理事が出勤してくる。最後のモニタリングの準備を終えて、スタートした。最初に訪問した、商工会議所はやはり土曜日で休みだった。こんなに土曜日展開しているサービス業があるのに、指導団体の商工会議所は休暇だ。
続いて、近所のモニタリング予定の利用者は電話に出ないで終わった。最後の訪問先の医療機関のグループホームに向かった。およそ、グループホームに入所するレベルの意識状態ではなく、完全なる正常な方だ。それなのに、グループホームに入居されているとは、本人は何も知らされていないのではないか。
卒寿を超えても、役所にて長期間働き最後には都道府県の参与として終えた。しかし、昔の日本男子の気質を失わずにいて悪い結果を招いた。高齢者虐待防止法の適用を受けたようだ。ようだというのは、私には全く何も知らされていない。いないので、分からない。分からないが、市、地域包括支援センター、医療機関、居宅介護支援事業所など連携して何らかの結果を出して遂行した。それも、ご本人には告げずに強行した。
私は分からずに、余りの暴挙に少しキツイ表現で紹介者の医療機関の理事に詰問した。しかし、確かに個人情報を盾に何も知らされないで終わった。
不自由な体で尚も意識レベルは正常で矍鑠としており、求める形で形式的な、いわゆる書類的な処理をしようとしても私はその片棒を担ぐ訳には行かないと、直接的な表現ではなくルール通りの手続きでそれを阻止した格好になった。
当然、意のままにならない私に対して、当初とは異なった態度で接するようになった機関。私は、事務的に契約を交わした内容についてだけ行えば良いのだが、どうしても情が入る。
入るので、最初の話だけを受け入れて対処しようとした。しかし、段々と、ご本人に会う回数が増えるに従って、口を開く内容に衝撃を覚えるようになった。
ご本人が行った言動は度を超えていたのだ。時々見せる、怒りの表現は現在の世の中で通用する常人の姿ではない。その調子で配偶者に当たったのか。配偶者は、どうやら認知症を発症し始めたようだった。その時に、気付かずにそれまでの意識をもって手を出してしまったのか。
最初の軽微な言動ではなく、今日の話ではどうやら警察やレスキュー隊が出動する事態も起こったようだ。虐待防止法の適用など、身近に感じるものは無かったので行政の暴挙だと受け取ってしまっていた。それは、私に情報が来ていないからだ。
財産の一覧表を持参して、確認を頂いた。そのあと、忽然と自宅から消えたと私の訴えていた、その後の話を少しずつ得た情報で判断した話し、弁護士に確認した対処など話をした。
どれも、手続きは受け入れない。思いは、配偶者に会いたい。再び、一緒に生活したいと思うのだ。その裏で誰かが動いて騙されているかも知れないと言っていたのだが、それは私を動かすための方便だったと感じた。
自分はなぜそうなったのか、今どうなっているのかをある程度想像できたのだ。長い官僚生活で培った、行政の対処を十二分に理解していたのだ。
「既にその法律に基づいて実施されたものに対して、対処するのは至難です。ただ、面会したい、会いたいという要望は出来ます。私が、依頼を受ければ原文を書きますがどうしますか。」
全く返事がなく、じっとして
「大変なことをしてしまった。取り返しのできないことをしてしまった。」
そう何度も言って、じっと考え込んで、涙を拭う。
このような話を何度も繰り返すので、辞すタイミングを失ってしまった。
後悔の念に駆られている。
「こんな話をするのは佐藤さんだけです。」
と、言ってくれても途方にくれる。最後に
「死ぬ時に手を握ってくれる人がいたら、全財産を譲りたい。」
帰り、シャトレーゼに立ち寄って大量の甘いものを購入して家で半分も食べた。


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