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トップハート物語(5531)立志伝敢闘編
20/01/08
2014年(平成26年)4月中旬。
 昨日の後見申し立ての手続き上とは言え、天涯孤独にて過去を消し去って生きていく決心をした方に、悪いことをしたのだろうかと心が晴れない。言葉を発しない、手が折れ曲がって拘縮している。
将来が全く見えないまま、その姿を家族に見せたくない。迷惑を掛けたくないので、自分の娘や妻がいた過去を消していたのだろう。それを、後見制度の申し立ての仕組みの中で、親族への問い合わせをしないといけなくなった立場上、戸籍謄本などを素にして確認できたのだ。
「あーっ、あーっ」
と、言葉にならない大きな声を上げて泣き叫ぶ。
その姿は、あの松本清張名作の「砂の器」最後の場面だ。
自分の息子の写真を見せられて、ハンセン氏病棟へ入所している父親が写真を手にとって
「知らねえ、知らねえ」
と、泣き叫びながら写真を強く握りしめてその親子間にあった苦労の時代を思い起こすのだ。
涙なくしては見られないシーンだ。
その現実が目の前にある。心に深く残った。
今日のスケジュールの主は、新人の面接だ。当社の受講生の中から、有能と思われる女性を追いかけてやっと卒業を迎え手に入れられるのだ。これまでは、大勢の優秀な生徒の中から、さらに優秀な生徒を勧誘してきた。それが大きく変わったここ3年。
私は講習関係から手を引いて、他の者に任せた。その人間の問題もあるが、生徒の質が大きく変わった。本当に働いて金銭を手にしたい者が修了と同時に働き始める。意欲を持って一生懸命に働きたいと思って受講する。
しかし、今はどうだ。就労支援という名目でハローワークを窓口に、生活費という金銭の保証を貰って、挙句に受講料は無料だ。大勢の生徒が来るが、最近は若い女性と定年退職した男性に限られてきた。
若い女性は、給付金目当てで授業態度も悪く教室を壊す。定年後来る男性は、働きたいと思う気持ちがあるが自分の立場をわきまえない。正社員を求めて、無駄な時間をすごす。そのうえ、若い女性の生徒が多いので悪さをする女性に迎合して嬉しがっている。
そんな教室に時々担当してはいるが、私が担当する時間は比較的おとなしい。それでも、私も以前は高度なカリキュラムで担当していたが、現在は少し諦めて教室に望んでいる。
例えば、以前は外部に出て地域の実態を調査させた。1週間という期間を与えて、地域の市役所福祉課や地域包括支援センター、またはサービス事業所を訪問して実態調査をして発表させる。
または、法人設立して模擬の運営をさせる。NPO法人設立などは、すぐに名称やメンバーを入れれば申請できるところまで行った。
その中には、民間事業所を立ち上げたものやNPO法人を立ち上げた者もいる。また、ロールプレイなどもふんだんに取り入れたりして、現実に即したカリキュラムを組んでいた。ところが、今は給付金目当てで意欲がなく退学処分をするものも出て来た。
ひどい奴らに困惑したり、トラブルが頻繁に起こったり。また、問題は、就労支援は就労できる労働者を育成することで始まった。当初は、就職支援はハローワークの業務だった。ところが、今はどうだ。紹介事業の認可もない我々育成事業者が紹介事業、つまり就職をさせた実績割合で給付金が決まるシステムになった。
ハローワークが自分たちの専任事項を捨てて、我々に押し付け始めたのだ。だから、就職できる会社を紹介したりしている。
ところが、派遣会社が同じように就労支援を行っているが、派遣会社に登録しただけで就労のカウントをされるのでいい加減だ。その登録で就労のカウントということは失業率が下がる材料となる。
この就労支援の受講中も失業ではないから失業率が下がる。就職して働く意欲もない若い女性の、確かに稼ぎ場と言えば言えないくもない。そんな実態で数字をごまかして、どんな未来がこの日本にあるのか。
数人が事務所に来て話をしていった。特に、介護タクシー担当者が
「運転する者が不足して、折角、準備して貰っている介護タクシーが稼働できないのです。」
現在、7台の介護タクシーがあるが、稼働率が悪くなった。
介護タクシーを稼働できる資格を有しているのは社員だけだ。その社員の多くがケアに出る。または、介護タクシーを運転して身体的な介護をするのは登録ヘルパーさんになる。ということは、介護タクシーを他の専門者にして貰えれば社員が身体的な介護には入れるので、外に出る金が少なくなる。そういうことだ。
その為に、少し動いたがなぜもっと早く言ってくれないのだ。
面接は1時から行った。今時の若い女性風の新たに資格を取った新人だ。先日、事前の面談を行って概ねの考えを聞いた。自信満々だった。しっかりして、自分の主張をして親もヘルパーをして同行した経験もあり、
「辛い厳しい方が自分に合っています。」
そう言って、安心させたが今度は異なっていた。
勤務時間も合わせて、自信も無いと言っていた。ガックシ。
それでも、育て方によっては充分使えるヘルパーになると自分を励ました。
条件を提示して、21日からの勤務となった。
久しぶりに牛丼の吉野家で遅い昼食を摂った。沢山の客がいた。価格競争に翻弄されて苦戦していたがやっと復活した。私は、牛丼は吉野家しか食べない。
後見の依頼をされた方の高級マンションを下見に行った。豪華なマンションだった。


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