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トップハート物語(5512)立志伝敢闘編
19/12/23
2014年(平成26年)3月下旬。
長い間、遠方に行っては打ち合わせ。何度も何度も繰り返した。足掛け3年を経過した。何の結果も出て来ない。無駄な時間と金銭を消費してしまった。
 一人の利用者を援助する限界をケアマネージャーとして感じて、成年後見制度の中に足を踏み入れた。京都の御仁の声掛けがあって、グループに参加した。
「将来は全国に拡げる中核として。」
との、発足にあたって話があった。 
 重鎮なので、その話を信用して将来の夢を追った。京都で数回会合を開催して、愛知、奈良を加えて近畿と4地域の顔が揃った。
 愛知に行ったり、私の事務所で会合を開くが具体的な話がなくて、時間を無駄に過ごす。愛知に行った辺りから違和感を覚えた。この成年後見制度の重鎮と言われる京都の声賭けをして集めたその張本人の御仁が、東京大学に学んだ多くの市民後見人の集合体にいい顔をするためなのか、この地区にそんな組織を作るのは反旗を翻すと思われるのが怖かったのか、突然
 「東京大学のサポート機構と重複するので、解散したいと。」
 言い出したのだ。
 私は事前にその思いを感じていたので、
「資金を出し合って団体の構築を進めよう。登記をしよう。」
と強硬に言ってみた。
 形だけは、そうしようかと言う言葉を発したが、代表の言葉は小さい声で、みんながどうやって金を振込するのかと言っても、はっきり言わない。
 次の会合時に、解散を言い出したのだ。
 御仁は、自分の思い通りに東京大学サポート機構の委託を受けて講師として動き出した。
 はしごを外された、私たちは諦めて三々五々散っていった。
 私は、それ以外に、当NPO法人の会計監査のお願いで、その御仁の団体事務所の下にある財産管理センターの管理者に監査をお願いした。
 その行き来をしているあいだに、はしごを外された同志の愛知の代表が声を掛けて来た。やはり、
「もう一度我々だけで組織を作ろう。」
と。
私は賛同して、交流が始まった財産管理センター管理者も引き込んだ。
数回打ち合わせを行い、具体的な会合を開催するように愛知の代表が進める。言うことは大きいが、具体的なことは何もない。
 私は自分の特定非営利活動法人の顧問弁護士に意見を求めたり相談したりするのに、紹介をした。弁護士事務所にて、何度か打ち合わせを、護士を交えて行ったが、要望だけで具体的な組織構築は怪しいと、私も思ったが弁護士も思った。
合宿と称して、京都の山奥の旅荘を取って泊まり込みで話し合いを行う形を取ったが、結果的に何の話もせずに眠ってしまった。一言も、具体的な話はしなかったのだ。
 オカシイ人たちと一緒になってしまったと思ったが、我慢した。出来るだけ、一緒に何かをしたいと思っていた。
 フォーラムをしようと進めたのだが、参加者の名簿や連絡などは私に押し付ける。弁護士のときもそうだが、1円も出さずに依頼だけ私にさせる。これが、フォーラム参加者のリストをと言われたが、返事はしたがしなかった。
 ホテルを取って、旅行会社に受付を頼むとか愛知の代表は言っていたが、多分何もしないだろうと思っていたが、やはり約束した旅行会社の社員も誰も来なかった。
 このように、人との約束を守らない集団に愛想を尽かしていた。
 そんな時に、急にあれほどそのようなフォーラムなどを拒否していた、京都の御仁がメールを送って来た。
 直前まで声を掛けていたが、そんなもの出来る訳がないと反対をしていたのだが、こちらが案内所を出す寸前にメールを送って来た。
 内容は、同じ月のそれも我々がやろうとする日の前の週で会場は同じでフォーラムを開催するというもの。
 自分がこの地域ではボスだという意識が強く、同じ会場の同じ月で同じ相手にフォーラム開催のメールを流したのだ。
 当然、我々より名が通っている彼の勝ちだ。私どもは開催を見送った。そして、その御仁の会合に吸収されることになったのだ。
 臆面もなく、あれほど何度も声を掛け再開を促しても拒否していたはずの御仁は、私どもが彼抜きで推進したのに、それを実現直前で潰して平気な顔をして中心に位置して自分はその位置が合うとばかり紅潮した顔立ちで存在していた。
 遠くは広島から来た方もいて、会合は一見順調に船出したかにみえた。御仁の話では、その時には
 「3ヶ月に一度開催したい。」
 提案したようだ。
 その場には、所用で私はいなかった。
 その3ヶ月はとうに過ぎているのだ。つまり、やる気は最初からなくて、当方のプランを潰す効果だけを狙って遠方から来た人たちを蔑ろにしたやり方は、気持ちが汚いと言われる京都の御仁のなせる技だった。
 それで終わらない。愛知の代表や私などの、後見人サポート機構の体たらくを見て社員として名乗りを挙げて改革を進めようと進言したが、御仁は
 「そんな組織に入ったら、切られて終わりだ。気が進まない。」
 と、拒否していた。
 この続きは、また時間のあるときに。
 さて、朝から出て銀行に行き処理をして、モニタリングに出ようと思った。3ケース連絡をしたが、2ケースが不在だった。この3ケースは、大東市の居宅介護支援事業所からの引継ぎで受けたケースだ。残りの1ケースは、メモで居宅介護支援事業所の管理者から
 <娘さんに連絡してから行ってください。>
と、あった。
 娘さんに連絡した。
 最初、言葉を交わして挨拶をしこの電話の意味を話し始めたが、全く返事も相槌も打たない。聞いているのか確認すると、気のない返事をした。ケアマネージャーであることを、告げるとやっと愛想のいい返事をした。
「これから向かいたいのですが。」
「今日の今日は無理です。前に言ってくれないと。」
「前とはどの程度ですか。何日前ですか。」
「何日もいりません。来るときに連絡くれればいい。」
 よくわからない、いまいくとの連絡でいいのでは。
 普段家にいて、利用社宅の近くに住んでいる。
 「私が立ち会う必要があるのですか。」
 「別に、利用者がいればそれで十分ですが、娘さんに電話するようにメモがあります。」
 最初は、惚けていたが
 「管理者にそのようにお話したのじゃないですか。」
 「ああ、最初だから顔を合わせる必要があったから。」
 そんな感じで、余りいい印象を抱かない意地悪な気持ちを持っている人だと思った。
 仕方がなく、夜に予定していた利用者の介護人に電話した。施設に立ち寄ってから向かおうと思ったのだ。
 「もしご在宅でしたら、これから向かってもいいですか。」
 「いや、これから出かけないといけない。」
 「そうですか。」
 「だったら、10分後に戻りますのでいいですよ。」
出かけると言っていながら、もうでているのだ。
 ショッピングセンターの中のような声が聞こえる。 
 朝、電話した。利用者の介護人なのだが、肺の病気で入院していた。
 利用者宅に行ったヘルパーさんから、介護人が自宅にいたとの情報を貰った携帯電話に電話したのだ。
 「退院はいつですか。」
 「退院しています。」
 「いつですか、全く私に話がない。」
 とにかく、出鱈目な人生を生きて要介護者の財産を食いつぶした。すっからかんになった、要介護者と同居して二人で生活保護を受給しているが、認知症の利用者の生活保護費はどこに行っているのか不明だ。
 面と向かった、介護人は息も絶え絶えに立てない、動けないと申告する。
 最初は同情しているが、段々と地が出て全く正常な息遣いと大声と捲し立てる言葉が出てくる。演技を途中で忘れている。
 利用者の入所申請書を作成して、モニタリングが終わった。
 一旦部屋に戻って、昼食を摂って出発した。予定の3時より50分前に着いた。日本で最大の社会貢献団体の本部だ。先日、会長に会って紹介された後見担当理事は以前から面識があり、先日の私の地域包括支援センター主催の成年後見制度の講演会にも来てくれた。
 その紹介で、事業担当の常務理事に会ったのだ。最初から、喧嘩腰で話にならない。70歳は超えているのだろうか。人の言葉にケチをつけるだけで、新たな話の展開ができない。自分の言葉に自信を持っているので、厄介だ。
 組織を利用して金儲けを企んでいると思っているか、議論しても始まらないが私も受けてしまった。しかし、途中無意味な時間だと気付いて引いた。引くと、相手も関係が切れるのが嫌なのか、切らさないような穏便な態度になる。
 途中で、言葉を失った。世間話に終始するようになり、仕事の話を止めた。心の中では、打ち切りを決めて次の段階、つまり自分ひとりで行う方向に考えを切り替えた。
 1時間以上話をしたが、無駄だった。昨日の、会員16万人を擁する大きな団体の理事との話でも、ここは理想論ばかりで無理だと感じた。
 事業を構築するとは大変なことだ。自分ひとりでやるのは簡単だが、人とのつながりを求めて行うのは、一筋縄ではいかない。それが、身にしみてわかった。やっぱり、ひとりでやるのが一番楽でいいと思う。私は、余りに大きな考えに固執してしまっていた。
 つまり、全国を相手にとの想いだ。地域のことをまず固めてからの話だ。
 帰りの車の中で同行したNPO法人常勤理事が漏らした
 「折角期待して、幾つかの団体や個人と話をして来ましたたすべて思うように行かなかったですね。」
 負けず嫌いの私は
 「人生などこんなものだ。うまくいく人生などない。だから面白いのだ。」
 明日から、会社の仕事に専念して、来月新たな事業が何とか形を作れるようにしたい。
 朝弁護士からメールが来た。被後見人の借入の問題で、結論的には金銭的余裕がないので、督促状は無視してやりたいようにやってくださいというスタンスでと言われた。
 メールでは、その旨相手に伝えると時効中断の訴訟を起こすとの返事だった。訴状が届くという。
 また、成年後見制度の講演会に来てくれた市民の方から電話があり、
 「非常に分かり易くて、利用してみたいと。」
 そんな話があり、何度も褒められるので嬉しくなった。そうして、後見の相談があり、他県なので紹介した。
 そのような事があったり、現在申し立ての準備に動いている方の金銭管理をしている社会福祉協議会から電話があり、
 「本人の意思を確認するために入居している施設を訪問してから、入出金のデータを出すことになりますが、いいですか。」
 寝たきりであろうと、認知症であろうと本人の固有の権利である後見申し立ては誰も邪魔できない。
 後見の研修の受講依頼も入って来た。後見活動が活発になってきた。
 事務所に5時半ころに戻って来た。働きながら資格を取得する制度の実績報告の作成の問題が進まない。
 朝気づいて、請求の中に社会保険の料金を計算して入れるのを忘れた者がいたので、加算をメールでお願いした。
 今年度は4人の利用があった。最初の男性は、最後の段階で頓挫した。修了しても、働く意欲がなかった。次は2名だ。学校の同級生だ。若いが不正やわがままが目立って、継続雇用は断った。
 最後のひとりは、彼女たちの1学年下で彼女たちの仲間だった。真面目で、4ヶ月を終えた。継続雇用の契約をするはずで、その積りで書類も作成して役所にも報告していた。ところが、連絡なく来なくなった。
 やっと、連絡がついても嘘の理由を建てて来ない。働く意欲がないのだ。役所には継続雇用の報告をしてあった。
 隠しているわけではないが、報告する義務もなかった。しかし、年度終で制度の精算段階で、困ったことが起きた。 
 再計算で、当社の支払い不足が生じたのだ。こちらとしては、ひと月遅れで支払うはずの社会保険料が生産できない。すでに、前月分は支払い済みだ。取立てが必要で、担当者が連絡しても出ない。
 役所からは、精算した証明を求められている。
 継続雇用の報告を取り消さないといけない。
 その報告をするのは月曜日になった。
 夜、役所の担当者とのやり取りが何度もあって、言うタイミンが無く嘘をずっとついている結果となっている。
 その間、暗くならないうちにジョギングに出た。最近、かなりあいだを空けてだが、ジョギングをする。ただ、距離はだいぶ短い。足が痛い。痛くて走れないのだ。情けない。何もしても、ダイエットはうまくいかない。途中でやめるわけにも行かずに、走り続けるが息苦しさではなく、膝の痛さに耐えられずに歩いてしまう状態だ。
 今週に帰省しようと思ったが無理になった。

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