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トップハート物語(5488)立志伝敢闘編
19/12/08
2014年(平成26年)3月上旬。
朝から忙しい。忙しくてどうしようもないが、自分で忙しくしている傾向もある。
 朝8時過ぎに、このフロアにある居宅介護支援事業所管理者が来る。大分話をした。利用者のこと、クレームがあった事例。などなど。
 その中で、彼女が報告したいことがあった。
 「以前、突然、私がケアマネージャーとして担当していた利用者から断られた。その原因が分からなかったが、聞きもしなかった。ところが、私の利用者が通っているリハビリテーションにその断った利用者も行っていた。そのときに、待合室でみんなで話をしている内容で、自分に関係のあるようだと教えてくれたことがあった。それは、その断った利用者が『私の前のケアマネジャーはよく動いてくれていて、断って可哀想なことをした。あのジャム屋の上のケアマネジャーだけど』と言っていたが、あんたのことだろう。そう言われた。その内容を聞くと、派遣されてきた初めてお願いしたヘルパーさんが酷くて断るのに、ケアマネジャーも一緒に断らないといけないと思って包括支援センターにお願いしたようです。その包括のケアマネージャーが最悪で、そのひどい内容をみんなの前で名前を出して言っていたそうです。」
 彼女は、真面目で一生懸命になるタイプで、あの断られたという時には落ち込んでいた。
 「原因がヘルパーさんで、私を評価してくれる話しを聞いて嬉しくなった。」
 そう言っていた。
 続いて、車庫証明を取ろうと努力しているが時間もなく何もできないままに凄い時間が過ぎて、販売会社からクレームが来ている。それも再三。仕方がなく、新規事業所の管理者の内縁で自動車関係の仕事に就いている者に依頼することにした。
 新規事業所の管理者が来た。その話は直ぐに終わったが、問題は入社半年目で結婚もしていなくて妊娠し、仕事も出来なくなった社員に対する情報だ。辞める訳でもなく、仕事もしない。結果的に欠勤になるし、社会保険は個人負担分を支払うことになる。それを、いうと
 「私に辞めろと言っているんですか。」
 そう言い始めた。
 何しろ、それまでは和気藹々とみんなと交わっていて、妊娠したからと仕事を軽作業にして欲しいような要求があった。しかし、ヘルパーさんの仕事以外できないのに、一体何をさせるのだ。そんな要求は無視していた。まだ、はっきりとは求めていないし、この時点では顧問の社会保険労務士から
 「妊娠を理由に退職を強要したような言葉を吐かないように十分配慮するように。」
 そんなことも言われていた。
 そして、はっきり妊娠が分かって気分が悪くなったとか言うのでついに欠勤に入った。その過程で、今度は言葉尻を掴まえて色々な問題が生まれようとしていた。その報告があった。結論的には、
「半年勤務したのだから、有給休暇が有るはずだと労働基準法で決められていると聞いた。その有給休暇を使ったあと退職します。」
 そう言っていたという。
しかし、別な言葉で、太っているから流産しても分からないかもしれないと管理者から言われたと言い、弁護士や労働基準監督署に相談する、などと言ってきたと。
 「管理者はそんなことは言っていないし、流産などといいう言葉は使ったこともないので、謝るのは絶対にありません、と言っています。」
 「そのことは、訴えるなりなんなり好きにしたらいい。当社も弁護士もいるから、代理人として通知してもいい。問題は、退職の処理で事務的なものを遅らせる訳にいかない。」
 そう言った。
 「いいか、あれほどみんなで仲良く和気あいあいに過ごしていた人間が、こうやって金が無いから、駄々を捏ね出す。取れるものは取ろうとしているのだろう。人間は、変わるということを知ったろう。特にお金があるのとないのと雲泥の差が生き方にある。金がないと、犯罪に走る。人のものに手を出す。誤魔化す。周りの人間すべて同じだ。俺だって、信用したいが、いつも考えるのはこいつが裏切った時にはどんな態度に出るだろうかということだ。」
 身につまされる、立場に彼女は立っている。
 そういった話が一段落すると
 「私は今度家を出ることにしました。」
 「どういうこと。」
 「今住んでいるマンションを娘と出ることにしました。」
 「遅かれ早かれ、多分そうなるだろうと思っていた。しかし、どうして出るの。自分が借りていたんじゃないの。」
 「いや、借主は彼です。」
 変な話だが、彼女は5、6年前に当社に在職中に離婚した。
直ぐに、元カレと同棲した。娘がいるのにだ。つまり、内縁関係で住んでいた。それが、男の元を離れて娘と二人暮らしをするということだ。 
 生活費やレジャー費など、彼女がみんな出していたようだ。それだけ、彼女の収入は高額だった。彼女から声を掛けたようで、彼女は自分で言っているが肉食系だという。
 その彼女がそういう生活をしていると、娘がこれから高校生となる時期なのに問題が生まれるだろうと思っていた。ドロップアウトでもされたらどうするのかと心配していた。
 「早いほうがいいと思っていた。そんな経済的な負担大きい男とずっといたら大変なことになると、将来を案じていた。良かった。」
 午後から、外出した。銀行に寄り、遠方の銀行に行ってついでに一休さんが住職をしていた一休寺に行った。本当にここにいたのだと思うと、感慨深い。
夜7時に、隣のイオンモールの刺身の美味しい店で待ち合わせしたのは、数年会っていない遠方で頑張っている三十代前半の若い奴だ。突然、電話があり会いたいという。
 「突然、急に会いたくなって。電話の佐藤さんの声を聞いたときには涙が流れて来ました。」
 と、言って来た。
「佐藤さんにお世話になったのは19歳の大学在学中でした。」
 そんな話から始まった。
全く変わりのない姿だった。
 私の事業所で修行を積んで、親族の会社に入り元々は他の事業の後継者として指導を受けていた。ところが、その事業は斜陽産業で業績は上向かないので自分が学んだ介護に事業展開を求めた。
 いろいろ苦労はしただろう。しかし、もう10年近くなると思う。実績はどうだということはまだ評価できないが、頑張っていることは確かだ。
 悩みがたくさんあったという。その一端を聞いた。社員のことだ。人材はどこでも頭を悩ます。特に獅子身中の虫がいる。その対応だけですごく時間と精神が取られるようだ。
 また、驚いたことに週3日は事務所に寝泊まりしているという。
 その結果が現れるといいが、体を壊しただけとなると悲惨だ。
 その点を十分注意した。
 私と、同じような事業に進んでいるが、自分でも独自で考え挑戦しているものもある。
 その中で、最近私が関わった認知症の方の転居について最後の始末に成功仕掛けているようだ。そんな産業がこれからはイイのかも知れない。
 話は尽きないが、3時間ほど話し続けた。
 ホッとしたのか、喜んで戻っていった。
色々と彼とのこと、両親とのことが蟠りとしてあるが自分が胸にしまいこんでいけばいいと思っている。


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