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トップハート物語(5394)立志伝敢闘編
19/10/20
2013年(平成25年)11月下旬。
朝一で出発して、被保佐人が入居している施設に行った。入居料を支払う。戻りながら、大東本社に立ち寄り、銀行に入って入金。11時に戻って来て、そのまま車を乗り換えて、この守口のケアマネジャーと一緒に病院へ向かう。
 私が過去訪問介護事業者としての対応と、ケアマネジャーとしてのプラン対応をしていた方だった。その間、主治医の勧められるままに脊髄の手術をして半身不随になってしまった。手も満足に動かない。
 下肢は勿論、動かない。その状態の間在宅生活をしていた。夫の入院と死去に立ち会うこともできなかった。悲惨な例だ。人生を狂わせられた典型だ。
 そういえば、昨日のニュースでこんな悲劇が流れた。
 60年前に出生した病院で赤ちゃんの取り違えがあった。二人の人生は全く異なった。本来の家庭が天と地の差だったのだ。両方の家庭は4人兄弟男性だけが共通だった。片方は裕福な家庭で、大学まで4人とも家庭教師がついて一流大学を卒業し一流企業に勤めていた。
 取り違えられた方は、現在も不動産会社の社長だという。もう片方は、悲惨な家庭環境で、生活保護を受けながら6畳ひと間に母子家庭5人で暮らし、取り違えられた人は家計を支援するために、中学卒業して工員として働く。現在もトラックの運転手だという。
 あるときに、兄弟が、顔が似ていないひとりに疑問を抱いてDNA鑑定をしたところ別人だとわかった。病院に残されたカルテを調べて、取り違えが発覚したという。
 DNA鑑定で兄弟は別の家族だと知ったという。病院側に訴えを起こした。病院側は時効を盾に応じない。その判決が出た。3000万円程度の損害を認めたようだが、そんなもの何にもならない。
 それに匹敵はしないが、悲惨だ。
 病室に行くと、突然居なくなった前の介護管理者と現在の責任者がいた。不快だった。何故なら、彼女が勝手に通帳や保険証を預かって面倒を見ていたという構図なのだ。だから、患者は彼女を頼りにしていた。
 それが、いつの間にか辞めてくれたのでその違法行為が表に出ることもなく終わるのだ。ところが、彼女が病床に現れては困るのだ。彼女に代理権を与えたり、これから発生する保険の受取人などの変更に絡む気もする。それを、求めているのかも知れない。金銭的に問題のある前の介護管理者の動きを封じないといけない。
 病床にケアマネジャー、介護事業所責任者を立会人として、委任状の説明をした。先日は、口頭で了解を得たが今日は文面を説明して、押印をして貰うのだ。儀式的だが重要だ。終わってから、NPO法人常勤理事に迎に来て貰って研修に向かった。
 行政書士会館で、一般貨物の申請関係の講習会を受講した。二人で資料代が6000円と受講料が1000円で締めて7000円。
 夕方4時半に終わってから、京都に向かった。高速道路で飛ばして貰うことにした。
 沢山の分かれ道を間違ったりして、高速道路を迂回したり間違ったのでぐるぐる回ったりしたのは初めてだった。
 飛ばしても、1時間半かかった。会場は市民後見センターきょうとだ。愛知からきた代表と、迎える京都の市民後見センター代表と財産管理センター所長。会議の内容は、先日来トラブルのあった、我々が加入している上部組織の内部問題。
 事務局長は私が支持している。しかし、その言動や厳しさについていけない事務局員が色々なでっち上げを構築して、理事会に訴えた。事務局員7人くらいいて5人が結託したのだ。
 馬鹿げた茶番劇だ。事務局長はカリスマ的な人物で能力は抜群に有り知名度もこの成年後見関係では十分ある。しかし、あとは雑魚だ。雑魚がいくら集まっても雑魚に変わりない。こいつらの挙動が納得できなかった。
 上司の指示や考えに着いていかなければ、辞めて他の職場に行けばいい。それなのに、自分たちが乗っ取ろうとした。自分たちの能力を知らない馬鹿者たちだ。これが、自分の組織で行われたら、と思うと我慢できなかったのだ。
 私はいち早く旗色を鮮明にして支持を表明していた。京都の代表は事務局長が失脚すると言っていた。しかし、私の言い分が当たり前のように決まった。
 馬鹿者たちの訴えを聞いて理事会は事務局長の停職を決めて、自宅待機を求めた。その間、運営は馬鹿者たちの手によって最低の運営を見せた。どうやら、事務局長は復帰をしたようだ。
 その中に入り、運営を自分たちの手で行おうと話し合った。それが第一だ。勿論、その激しい性格が事務局長の問題として表に出たので、反省はしていた。しかし、京都代表は
 「あれは眠狂四郎だ。今にバッサリと切られるよ。」
 そう言っていた。
 そのほか、12月5日の市民後見の京都会議があり、その方向性について打ち合わせがあった。
 案外と早く終わり、8時前だった。愛知代表と近くの飲み屋で一杯飲んだ。色々話をして、彼も今の進み具合に少し不満を持っていたのか
 「今の話は話として、佐藤さんと一緒にやることを決めませんか。私も、佐藤さんを見習って、来年は後見一本で行こうと思います。
 そう言っていた。
 京都の夜は寒い、寒い中をマンションに戻ったのは夜11時を回っていた時刻だった。




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