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トップハート物語(5391)立志伝敢闘編
19/10/18
2013年(平成25年)11月下旬。
 夕方前、妻からメールだ。
 『午後2時、安らかに逝ったと実家から連絡がありました。』
 と、あった。
 ここ半月近く、危篤の報が有り戻って病院にて面会したりして妻は行き来した。数日前は小康状態との連絡が有り、年を越すこともあるだろうと話をしていた。先週だったら大変な予定の中で、行くのは無理だったが今週は幾つかの日はどうにかなる。群馬県沼田市まで新幹線でどの程度掛かるかこれから調べようと思う。
 予定は、今日火曜日は午後1時から8時まで行政書士の連続研修が有り難しい。あす1日空いている。しかし、翌日も夜遅くまで日程が入っている。つまり、空白は明日1日だけなので、日帰りとなる。通夜しか出席できないが、12月には日を空けて改めて弔問するつもりだ。
朝から出ていた。銀行にて振込、医師会訪問看護ステーション、特別養護老人ホーム、デイサービスなどへ提供表を配る。マンションに戻って電気釜、食材を持ってこの守口の居宅介護支援事業所に入った。事例検討会の前の調理実習なのだ。私が最近購入した電気釜でご飯を炊いて欲しいというのだ。
 コメは先日の宮城県人会にて配布された「ひとめぼれ」新米を提供した。
 その間、朝一で検討した委任状を作成した。私が数年前にケアマネージャーをしていて、今は管理者に担当が代わっている。その方が身寄りも無く、緊急搬送されて入院している。症状は余りよくない。
 脊髄の形が異常だと手術を勧められて、踏み切った。しかし、結果は寝たきりになってしまった。恐ろしい。元気で夫の介護をしていたのだ。それが、生まれた時から異常があり、何か症状が現れてきて主治医の診断の結果手術が一番だと言われた。
 不安だったのだが、医師の懸命な説得に折れて手術に踏み切った。数ヶ月で元に戻り異常な症状は無くなるとの説明だったが、なくなるどころか意識ははっきりして清明なのに、首から下が全く動かない。退院して1年以上も過ぎた。
 その間、夫の介護はできずに逝ってしまった。毎日、援助しているヘルパーさんは信頼を得ているが、その状態を察知した悪い親戚を名乗る夫婦や叔母さんが出入りして動かない。一日中いて、あちこちの引き出しをあけたり通帳や印鑑を要求したり。
 訪問介護で本人の要請により預かっていた。金銭管理もしていた。しかし、保険の満期通知が来て、保険外交員が来てなにやら話をするのだが、本人は会うのも拒否。そのうち、通知が勝手に契約を新たにして保険料は同じだと言って来た。全て、ヘルパーステーションのサービス提供責任者を通じて、本人確認をしながら進めようとした矢先に体調悪化で緊急入院。
 しかし、保険外交員の勝手な契約書作成や署名押印などされては権利擁護ができないので、また、保険証書などを預かっているのも訪問介護事業所として逸脱行為だと言われかねないので、交渉の権限を受けたいと示唆した。以前も、任意後見の話をしているが、財産の管理は自分でしたいと意思があるので暫く待つことになった。入所という話もあるが、保証人の問題もあり、早急に理解を得て自分がその立場になることを告げようと、事前にケアマネージャーが病室を訪問して了解を得た。
 夕方、病室を訪問して保険に関する委任状を受けることになった。
 その際、確認した症状はあまり芳しく無く意識も朦朧としていた。どうなるのかわからないが、早急に後見の申し立てをしようと思っている。本人の了解は貰ったが果たして医師の意見はどうなるのか。
 ケアマネージャーと管理者が集合した事例検討会の様相は、多くの者たちがそれぞれの立場で支援を行っているので、みんな連絡があり過ぎて座っている時間がなく、検討する課題も提示されないままに終わった。調理に2時間ほど。多くの提供品が有り、十分なご飯とオカズでお腹を満たすに至った。
 記念写真も余り多くなく、気も集中できなかった。
 2時から予定通り、レンタルの管理者と事務所責任者を交えて今後の話し合いをした。レンタル管理者がケアマネージャーの資格を取得したので、その取り扱いだった。8年掛けて休日や日にちをとって他の事業所のケアに入り実務経験を積んで受験したのだ。その努力は認める。
問題は、資格を取得したからといってケアマネージャーの業務にと言われても、その人件費の問題がある。レンタル管理者をしていても、何の営業もせずに当社のケアマネージャーからの依頼があるだけで、他からはない。
そのために、その人件費を生み出すことができなかった。何度も何年にも亘って、営業行為をするように指示したが全く生返事だけでしない。今回のケアマネジャーの選任条件は営業をすることだった。
 何度も、居宅介護支援事業所責任者通じてその指示をしたが、やはり頑張りますといいう返事だけで何もしない。人が連れて行くと、ついてくるだけ。一人ではしない。1月までの3ヶ月にレンタル事業所管理者なので営業をすると言っていたが、実際この11月になってもしない。
 多分、このタイプはその期限の1月までできないものを如何にもするように言ってその時まで引っ張って行って、終わりにしようとしている筈だ。その時には、居直って今までの殊勝な態度は一変して会社の悪口を言うのだ。
 それが見えていたから、責任者を前にして再度確認したのだ。
 「条件は大丈夫ですか。」
 「大丈夫ってなんですか?」
 「聞いていないですか、何度も責任者が言ったはずですが。」
 と、言った途端、やはり始まった。
 勤務時間は彼女の家庭事情で常勤時間はクリアするが社員の時間はクリアしない。だから、パートだ。それを盾に
 「パートの私がなぜ営業をしないといけないんですか。それは社員がする事でしょう。」
いわゆる、自分は社員が持って来た仕事を処理するだけだと言うのだ。
 今まで、頑張ります、やりますと言っていたのが、ヤレルがやらないのではなく以前から出来ないのだ。
 人と話ができないのを、そう言って正当化する詭弁というものだ。
 「最初から分かっていた。こういう結果になるのを。だから、早く結論を出して処理しようと思っていた。」
 そう言って、幕引きを図った。
 「社長がいて邪魔だと言うなら辞める。」
とか、
 「会社に必要がないなら、今日で退職する。」
 とか、結果は想定した通り。
頑張るとか、やるとか言われて信用して幾つか紹介したり指導していた責任者は慌てた。しかし、そんなことは分かっている。
 レンタルも彼女の人件費だけで終わりだ。一般経費が出ない。赤字を何年も垂れ流していた。やっと、これで無くなる。踏ん切りがついた。
 「レンタルは1月末で廃止します。」

群馬県沼田市に義父の通夜に向かう。

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