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トップハート物語(5389)立志伝敢闘編
19/10/17
2013年(平成25年)11月下旬。
 この日も間違いなく24時間有ったはず。しかし、由紀ちゃんが来て話をした3時間がこの日の全てではないだろうか。
 これまで、先月の半ばに突然無責任にも断りもなしに居なくなった前の介護管理者の尻拭いをずっと耐えながらして来た彼女。責任だけは取らされ、言い訳もさせられてずっと耐えてきたのは、入社時に親切にされて自分の心が立ち直ったからなのだろうと、勝手に憶測をしている。
 平成18年6月入社になっている。既に7年以上経過している。入社するまでの事は今でも鮮明に覚えている。他社でハローワークを通じて就職のための介護資格の研修を受けて、実習に当社に来ていた。同行訪問指導の社員から勧誘するように推薦を受けていた。
 社員を通じて面接をしたいと連絡をとったが断られる。二度あったが、断られる。私も電話するが面接すら断られた。時間を置いて再度連絡。
 「就職するつもりはありません。」
断られる。
また、時間を置く。三度目のアタック。
 やっと、面接だけ受けて貰えることになった。大東本社の近くのファミレスにて面接。ふっくらとした顔立ちで、キツイ顔をして不承不承受け入れた。低姿勢で貫き通した。私はこれほどまで何度もアタックしたのは珍しいことで、初めてだった。
 余りに厳しい顔つきで、不満が顔に現れて迷惑を掛けられているという感じだった。失敗したかなと、思ったがとにかく前介護管理者に預けた。
 直ぐに、責任感があり事務処理能力を発揮して
 「彼女が居なくなったら介護事業所は成り立たなくなる。」
 そう言って、人事異動で本社に動かそうとした私の意を抑えた。
 それから、段々と性格も分かって来た。真面目で責任感が強く、余計な事は言わない。責任は全て自分に、手柄は他人にという精神だった。しかし、その精神ゆえにみるみる痩せて周りが心配する。私も何度も病院に行くように勧める。行かない。定期検診も重要な検査は拒否する。
 大変な彼女の深層心理。開くことができない。言葉を掛けると、直ぐに泣く。人を庇う。真剣な話ができなくなる。そんな関係が続いて、心配が一段と増す。益々、複雑化して書類作成が必要になる介護制度。記録、書類作成は全て彼女が行うようになっていたようだ。
 介護管理者が全くできない。PCすらまともに使用する事が出来ない介護管理者に代わって、何から何まで作成する。それも、夜になってから。帰るのが段々と遅くなる。9時が10時、10時が11時、11時が12時、そして0時、1時、2時と。
 その間、前介護管理者は口先に磨きをかけて
 「ヘルパーさんは収入が多くなるように金額の高い仕事を回して、自分たちは軽い仕事をします。溜まった事務仕事は夜やる。残業してもつかないから。」
 と、嘘を言って人の良さをアピール。
 そのうえ、新たに投入した新人社員を定時より早く帰宅させて
 「子供が小さいから大変だから。」
 「残ると残業代が発生するから。」
などと言って、自分たちだけ残業代稼ぎをして夜に彼女に仕事をさせて昼間はまるで自分がしたように振舞っていたようだ。
 私にもそのように見せ掛けていた。
 ひとり、無能な介護管理者に代わって尻拭いをしていた彼女は黙って口を噤んでいた。
 周りはそれを知っていたが、何も言わない、言えない。
 下にいた者は、介護福祉士、ケアマネージャー、二種免許、成年後見人、認知症ケア専門士などの資格を取得して次々巣立って行った。社内独立だ。
 介護管理者は全く勉強せずにヘルパーの資格のままで、プライドだけは高く表面を取り繕う悪行だけはしていた。部内でご馳走したり、夜食を振舞ったり。しかし、それは全て不正請求を繰り返していたのだ。分かっていた。分かっていたが、黙っていた。
 どうやって、退社してもらうか。それを、考えていた。
 周りの雰囲気が変わって、収益が目に見えて落ち込み始めた介護部門だけ。何もしない、昼間は好きな幾らにもならない、車の運転だけで時間を潰し夜残業代稼ぎが余りに酷すぎて、これまで我慢してきた者達によって排除されてしまう運命になった。
 由紀ちゃんを次期責任者に指名した。前介護管理者は天然のキラキラ目の珠緒ちゃんにさせようとしていたが、不正も見抜けず引き継ぎも出鱈目な形でやれば、混乱が起こり自分の存在が大きくなると思ったようだが、それは私が受け入れない。混乱しないできっちり受け継げるのは由紀ちゃんだけなのだ。
 全てにおいて、彼女が行っていたのでなんの混乱もなくスムーズに移行した。前管理者は何の仕事もしていなかったので、引き継ぎの内容は無かったのだ。
 それから、ひと月経った。売上が順調に伸びた。みんなが大変だと思っていたので、行動を起こしたのだ。前介護管理者がいた時には何もしないからといって言えない感じだったのだ。みんなが思っていたことが少しずつ出て来た。
 「前管理者が居なくなったので、売上を上げるためにどうしたらいいのかとか、経費をどう抑えるのか。色々考えたり話し合ったりするようになった。」
 そう公然と言いだした。
 それはそうだろう、この守口の介護サービスは私から引き継いで月額700万円の売上を記録していた。人員もこれほど居なくて、みんなが力を併せて動いていた。今はどうだ。動かない何もしない、人がいない忙しいという言葉だけの言い訳だ。できない言い訳が横行していた。
 そして、最悪が今年の2月だ。ついに500万円を切って450万円にまで落ち込んだ。言い訳に来るのはいつも由紀ちゃんだった。可哀想でどう言っていいのか分からなかった。
 由紀ちゃんが、話し始める。責任者として自覚を持っていた。沢山話をした。これほど話をしたかったのだ。
 第一は、困難事例の相談だった。寝たきりで身よりも無く、緊急入院した。幾つかの保険の更新通知や夫が亡くなったので受取人の変更などの処理だ。勿論、訪問介護事業所の仕事ではない。しかし、信頼を得て寝たきりになってから相談を受けたりしてきた。
金銭の管理も書面を交わして行って来ている。しかし、その行為はもう限界だ。悩んで相談に来て指示して業務を遂行させる訳に行かない。全て、私が引き受けて処理することにした。その処理というのは、本人の意向を受け確認してから委任状を貰うことだ。それからの話になる。
 第二は、収支の問題だ。やっと、自分たちで考えて何とかしたいと思うようになった。特に、福祉車両の新車を購入して28日が納車だ。本体価格186万円だ。介護タクシー部門がこの守口の訪問介護部門にあり、その責任者が前介護管理者だった。
 私が開業当初の責任者で、15分300円で月間10万円の売上とそれに伴う通院介助が沢山あった。直接的な収益ではなく間接的な収益を狙ったのだ。それが、今年にはついに2万円程度の収入になり車両が5台もあるのが、前介護管理者の遊びの車になってしまった。
 彼女たちが社内で話し合って
 「みんな原価を知って、どうやったら売上が伸びるか話し合っています。最近多いのが有料老人ホームからの通院介助です。中抜きになるのでどうか検討しています。」
 「前もそうだが、中抜きだっていいじゃないか。前後の30分とか1時間とか身体で貰えればいいじゃないか。社員は問題ないとして、登録のヘルパーさんへはどういった金額を支払うかそれを決めて下さい。1時間1000円とか。」
 「専門の者を決めてもいいですか。」
 「どうぞ、それは社内で決めて下さい。たとえば、有料老人ホームでの自費は研修中の者3人いるのでそれを使用してもいいじゃない。」
 そう言った、具体案を検討しているのは嬉しい。
 前介護管理者がいなくなってそういう雰囲気になってくれて本当に嬉しい。
第三は、有料老人ホームからの依頼が多くなり専門チームを作っていいかということと、有料老人ホームでも介護付きと介護外付けとの見分け方をどうしたらいいのかということだった。ネットで開いて具体的な見分け方を教えた。
第四は、会社の理念や目標というか向かう方向を示したものが欲しいと言われた。これは、一昨日の人事会議での話の時も
 「会社の理念を教えて下さい。あるんですか。」
 そう、彼女に言われた。
 今日も言われた。きっちり答えないと彼女に失礼と
 「実は、本当にない。こんなに大きな組織になると思っていなかった。ただただ、一生懸命に働いて来て、考えている時間がなかった。ただ、言えることはポリテク埼玉を卒業する際に残してきた文章に『地域に貢献する』ということと『人の立場になって考える』の二点だけはいつも思っているし、みんなにも話をしている。」
 「それを、何か文書にして頂けますか。」
 「分かりました、それはみんなで検討して決めて貰います。」
そう言って、納得して貰った。
第五は、将来の向かう道を図にして欲しいという。
 「私は、これまで佐藤さんの書いているホームページのスタッフブログを時々見ながら、何を目的として研修とか講習とかを受けたり受けさせたりしているのか分かりませんでした。しかし、ここ半年以上をまとめて読みました。やっと分かって来ました。
先日の、この守口の居宅介護支援事業所管理者兼ケアマネージャーがスマホの講習に行ったりしていたのが無駄だと思っていましたが、会議や打ち合わせでそれを駆使しているのが分かり、全部必要なことをしているんだと理解しました。」
 「俺は、本当にみんなの行く末を心配している。俺は結婚前に、暑くて寝られず公園で寝たり仕事もしていない時期もあった。しかし、将来に心配をしていなかった。右肩上がりの経済でいつでも就職できたから。しかし、あの40代終わり頃の証券会社で不況に遭って退職するかどうか迷った時には不安一杯だった。会社を辞めても仕事があるか心配だった。それと、同じ状況が、みんなが俺が不安になった年代になるとそのような環境になる。これから10年、介護など無くなる。どうする、今のままでは。」
 「それは分かりました。将来の介護を見ようとネット検索していたら、医療はあるけれど介護は無くなっている。それまで、介護という言葉はあったのに。一体介護はどうなるんですか。」
 「もともと介護は医療に入っている。介護保険だって健康保険からの天引きだ。請求だって国民健康保険組合で介護報酬の請求処理を行っている。最初から、何れ介護保険は医療保険が吸収することになっている。だから、これから介護福祉士は医療を学んで下さい、何れは准看護師レベルにしてその称号を与えて在宅医療を担うというふうになっている。ヘルパーさんはいらなくなり、軽度の介護は地域支援事業に移行して資格がなくてもできるようになる。その時にはどうするのか、ということだ。」
 「どうするんですか。私たちで出来ますか。」
 「無理でしょう。今更医療など。危険です。しかし、大手の訪問介護ステーションでは既に看護師や痰の吸引をできる研修を受けた者を配置して、報酬単価が上がるのを分かって配置している。当社もやらないが出来るものを配置する必要がある。もう医療ができない事業所は必要が無くなる。だから、医療系に助成資金を投入して在宅サービスに進出してもらうようにする。モラルが介護系は全くない。不正ばかり横行して、改善や改革が全く進まない。だから、締め付けて自然淘汰されるように進めていく。それは当たり前でしょう。高齢者が爆発的に増えて、労働者が減る。つまり、介護を利用する利用者が増えて保険料を負担する人が少なくなれば、どうなるかわかるでしょう。これから、お年寄りが投票権を有効に行使して自然の流れを歪めてきたものを大幅に修正せざるを得なくなる。報酬を減らしたり、無くしたりする会社に勤める気持ちがありますか。それと同じで、報酬が多くなったり、新たに生まれる報酬に向かったほうがいいんじゃないですか、と言っているのです。」
 「私は医療、看護に興味があり勉強したいのです。ただ、今のままでは時間が取れない。」
 「私が常に言っている、知的集約化知的集団の育成とはそのことです。人を使ってまたは現業で働くのは厳しい。それは、医療とか大手の業者がすればいいことで、私はソーシャルビジネスを目指すことで方向が定まっている。だから、常に勉強して下さい、みなさんの知的能力がアップしたら自分のためにもなるし、結果的には会社のためになりそれが自分に跳ね返ってくる。由紀ちゃんも医療を勉強したいならそれに進めばいい。俺も准看護師を誰かに勉強して貰おうと思って、調べたことがある。大体、一日中勉強ではなく半日程度だから、その気になれば大丈夫。」
 最も時間を割いたのは、レンタルの責任者でケアマネージャーに合格した者の扱いだった。本人は、やる気満々なのだが何もせずに他の者が仕事を持ってくる姿勢だ。レンタルでも同じだ。一度として他の居宅介護支援事業所にアピールしたことがない。何もしないで、当社のケアマネージャーが紹介して来るのを待っているだけだ。
 その者が、レンタルを退職し居宅介護支援事業所に入社するのだが、条件を示した。1月時点で自分の給与として収益として確保できるケアプランを抱えてくること。最初の話の時にはレンタルで営業活動をして実績を残すという話しだった。しかし、既に3ヶ月も経過したが全く何もしない。
 そのうち、勉強するために休暇に数件のプランを今月から担当させ始めた。その時間は取れるが、普段は営業する時間が取れないというのだ。由紀ちゃんは、どうしても彼女の能力が生かせるようにしたいと思っている。だから、大丈夫とか頑張るとか言っていた一昨日と異なって、
 「サービス提供責任者の辞令を出したらいいと思います。責任者の経験を活かしてステップを積むようにしてあげれば。」
 「それを受け入れてくれるならいいけど、受け入れないでしょう。」
 そのようないい案がないと思う彼女だが、
 「いいですか、彼女がやる気になれば何の心配もない。今結果が出なくても将来出てくるでしょう。しかし、何度も言うように何もしなければ何も生まれない。そんな人に何を期待して経費を負担するんですか。俺が、彼女の事を検討課題として上げているのは、当社の方針、俺の方針を理解して欲しいからだ。」
 長い時間、話は尽きないが後見の講習に参加しているNPO法人常勤理事と昼食の約束をしていたので、連絡が来た。9時から12時過ぎても、立ってもまだ話が続くほど話し合った。彼女も私もお互いを少し理解できた。ずっとだが、益々由紀ちゃんファンになった。
付け足しで、
「一生付き合える友人を作ること。いつでも真剣に相談できる人を作ること。いつでも、自分を支えてくれる人を作ること。」
 そう言って、自分の具体的な話をした。
高校時代の先輩は、既にみんなと会っているし、ユニフォームを注文してよく知っている。社内旅行やクリスマス会などでよく会っている。既に45年もの付き合いだ。
保険会社のお世話になっている方は既に私と40年来の付き合い。いつでも、ピンチ時に的確に世話してくれる。
この大阪に来ても、開業した当時の支えてくれた、ケアマネジャーや看護師さん。いまでも付き合っている。議員の先生。沢山の方たちの支えで成り立っている。
この会社でも、開業当初支えてくれた二人もまだ13年経っても勤務している。
また、クリスマス会が流れたことも残念だと言っていた。
 「本当は10周年記念として、1回限定で実施したのに次もと言われて3回行った。それでも、その浮いたお金で福祉車両や私の使用する車を買い換えた。締めて330万円だ。」
 今年は、強引に進めようとしていた若手グループと年代を変えようとする動きを邪魔しようとした前介護管理者が軋轢を起こしていた。
 協力しないと言葉では言わないが、無視した前介護管理者の動きで頓挫した。何しろ、介護グループが主力なのだ。その主力となる者たちが、前介護管理者の動きに抗することができなかった。
 いま、その者が居なくなり、やっぱりしたかったと言う訳だ。
 もうする気力は無いのだ。
それでも、彼女の思いをどんな形でもいいから叶えたい。
 「準備は大変でしたが、みんなが一丸となるいい機会だと、今年はしないと決まり今分かりました。みんなで、やっぱりしたかったと言っています。」
 来年はどうなるか。もう一段ステップアップして、自分たちに残るものしたいと思う。また、それだったら社員だけの忘年会をするとか、ヘルパーさんを交えただけの忘年会にするとか。
 今年は、各部署毎の忘年会になりそうだ。

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