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トップハート物語(5349)立志伝敢闘編
19/09/27
2013年(平成25年)10月中旬。
台風が近付いていて、風雨の激しい一日だった。
昨夜から、NPO法人常勤理事の祖母の安否で混乱していた。家族の対応が常識では考えられない内容だった。勿論、介護を標榜してきた彼女の思いとは真逆な対応を親がとっていた。それも祖母の実の子供である彼女の父親だった。
 完全に医療が必要な状態であったが、ケアマネジャーの助言を聞き入れずに独居である自宅に、放置していた。放置という表現が合っていると思う。畳の上に薄い敷物、その上に寝かされている90歳も半ばを超えていた。毎日、数箇所の褥瘡が生まれ、なんとかヘルパーさんが対処して、
 「もう介護の範疇ではない。医療の範疇なので訪問看護入れるとか往診を受けさせるとかしないと、介護ではこれ以上無理です。」
 そう言っても、意味が分からない、怒鳴るだけの対応だったという。
 いよいよになり、高熱を出して39度を越えたあたりからヘルパーさんが息子に連絡して通院に同行して連れて行く。入院を勧められたが、
 「根性で連れて帰ります。」
と言って、無理に帰って来たという。
 介護車両を要望したが、余りに様態が悪いので救急車を呼んだ。 
救急対応の時点で示された、以前掛かった病院は評判の良い病院なのに数箇所断った。それでも、その中の一箇所に行き入院を勧められた。そこを断って、自宅に。自分は逃げてしまって、ヘルパーさんが朝入った時には、また高熱。
 同じパターンを繰り返して、行った病院が問題のあると噂の絶えない病院。危篤と言われて駆けつけた時には、各数値が安定していて、これからの退院に向けた処置を主治医から話を聞いたという。安心して、帰宅して数時間後NPO常勤理事に電話があり
 「おばあちゃんが亡くなったそうです。」
 との、言葉を聞き一同声も出なかった。
 私が平成15年に、家族から依頼を受けて介護拒否の利用者になんとか入り込んで行ったのだ。あれから既に10年の月日が過ぎた。
「介護しているのが楽しい。」
と、ヘルパーさんたちがこぞって希望したケア担当。
ついに大往生だった。何度も危ないとヘルパーさんから報告があったが、子供の対応が不遇な最後を生み出してしまった。結局、高熱は褥瘡から来る敗血症に似たものであったと思われる。医師も否定はしなかった。
褥瘡は骨まで達していたという。
しかし、それに留まらなかった。もうひとりの祖母が緊急入院となったのだ。午後に短期入所していたショートステイから連絡が有り、
「嘔吐を繰り返しているので、家族で通院の対応をして欲しい。」
と、言って来たのだ。
両方の祖母が時を同じくして、全く異なった場所で同じような緊急対応をしなければならなくなった、NPO法人常勤理事の家族は混乱していた。何をどうしていいのか、何度も聞かれたが、
「決めるのは当事者です。その決まったことを私たちがサポートするので、自分たちでどうするのか決めて欲しい。」
 そう何度も言った。
 ケアに対して、クレーマーのようにあれこれとクレームを付ける。意味も分からない、なにか提案すると怒鳴り話にならない。それが、このような緊急事態になると訳が分からないことを聞いてくる。
 亡くなったあとの対応、緊急対応の病院の手配。あれほど、当社にはクレームをつけるくせに、何もしてくれないショートや逃げる主治医などには何も言えない。
 当社の責任者などが適切な対応をして、なんとか事なきを得て落ち着いたのが夜遅くだった。NPO法人常勤理事は、お通夜のために覚悟して帰って行った。
 朝から混乱していた。まず、「働きながら学ぶ」彼が来た。中国からの帰化者だが、その制度が終わったあとの業務を考えて提案したが、いずれも拒否した。そのために、次がないので、8日に契約が終わった。そのことを伝えたのだが、理解できないようだ。
 朝8時過ぎに来た。
「登録は生活していけないので、しない。」
 そう返事して来た。
「それは自分の自由だ。強制じゃないから。」
生活していけるかどうかは、何度も言っているが自分がそれだけの働きをするかどうかだ。その対価として受け取るのが、給与だ。
 「自分のやりたいことをして給与が入ったらそれは誰でもやる。そんな人などほとんどいない。俺だって、最初の5、6年はヘルパーとして働いた。それから、少しずつステップアップして、やっと今になって自分がやりたいことをするようになった。あれは嫌だ、これは嫌だと言っては誰も雇わない。」
 そう、この朝も言った。
 新規事業所の責任者と約束していたので、彼女が来たので午後電話することにして一旦戻っていった。混乱していた午後にファミレスにて彼と1時間ほど話をして理解してもらった。中国との戦争になっては叶わない。
 ただ、彼の能力を活かして中国語の講座をしてみようと考えている。
 新規事業所の責任者に続いて、この守口の居宅介護支援事業所管理者が来た。いつものように話し合っていると、りんごが届いた。長野から取り寄せた、「秋映」だ。ふた箱64個だ。それを、社員だけひとり2個ずつ分けた。間に合った。
 足りないと思って、同じ品種をまた頼んだ。
 一旦分散して、私は入金業務を銀行にしに向かった。雨が強い。振込が多かったので、時間が掛かり約束のイオンモールに入った。朝と同じメンバーで昼食だ。新人の女性が運転で回ってくれるので助かる。
 4人で食事をして、1時過ぎに出た。私は行政書士の研修会に出席するために会場に向かった。改めて、予定表を見た。なん、何と始まりは2時半からと思っていたが、1時半からなのだ。間に合わない。
 1時間近くかかる会場なのだ。諦めて、電話したが、最初の必ず受講しなければならない行政書士の研修なのだ。何をしているんだろう、そう自分の意識のなさを自分で責めた。
 気を取り直して、危篤で入院している祖母を見舞うNPO法人常勤理事に会うために病院に向かった。病院の前の外で帰るところだった彼女と母親を見つけて挨拶と状態を確認した。
 「落ち着いたので、食事に行って来ます。これから入院継続か退院に向けての処置の説明を受けました。」
 などと言っていたのだが、夜に亡くなった。
 その病院で少し休む積りで院内に入った。当社のヘルパーさんやサービス提供責任者が利用者を援助していた。声を掛けて、利用者とは面識なかったので
 「ヘルパーの知り合いです。」
 と、自己紹介させて貰った。
 暫く休んで、中国からの帰化者と会った。
 話を終えて、事務所に戻ってきた。
 緊急の対応をショートステイから求められて、先ほどの新規事業所責任者に対応をお願いした。戻ってくるまで事務所にて待機していた。8時過ぎに戻ってきた。
 それから、1時間ほど話し込んだ。
 今日でこの守口の介護管理者は退職だが、何も言って来ない。つまり、私はこの日が退職だと聞いていないのだ。他の社員から聞いているだけだ。
 このような、退職の仕方がこの会社の殆どだ。つまり、悪いことをして辞める奴がほとんどなのだ。締めがいい加減だった。
 福祉車両を注文した。200万円近くなのだが、介護タクシーが全く機能していないので、私は廃止を提案した。ところが、新たに担当となった彼女が
 「頑張りますので。」
 「それだったらいい。やる気があるかどうかで、全く結果が異なる。単に車検時期が来たから、車両がおかしくなったからと言って金銭を投入するのは馬鹿げている。」
 そんな当たり前のことから教えないといけない。
 3泊4日に亘って、千葉の幕張で経営者研修を受けに行った本社管理者からメールが来た。無事修了したと、修了証書を写メで写して送ってきた。
 大変勉強になった、と何度も報告に書いてあった。
 内容的に心配していたが、良かったようだ。

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