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トップハート物語(5325)立志伝敢闘編
19/09/14
2013年(平成25年)9月下旬。
朝一で、介護管理者が来た。言いたいことは、ただ一つ。退職だ。既に、6度の退職を申し出ている。受け入れてもいいのだが、口先だけの引継ぎで、何もしないし、引き継がない。これまで、私から介護部門を引き継いで8年経過した。
実力的には、上にいたのだが、既に2年前に彼女の強い申し出に放逐した。いや、多くの社員が求めていたものを彼女がまとめて代弁した。私も、それがいいと決断した。その放逐した数人がいなくなり風通しが良くなったと思ったのに、今度は彼女が権力者となりこの守口の高齢者介護及び障害者支援部署を掌握してしまった。
ところが、介護実績が急落して上昇している支援部門が一定の距離を置いて実績を上げ始めた。孤立する介護管理者。自分の将来を予見して1月に退職を申し出たのは突然だった。
そこから、益々実績が上がらず、下がり続ける。問題が露見した。私から引き継いでから、懇意にしていた居宅介護支援事業所などへの訪問をしない。多くのサービス提供責任者に仕事をさせない。単なる常勤ヘルパー化していたのだ。戦力的なダウンが少しずつ続いて、ついには最低になってしまった。
誰も、まともな仕事ができないのだ。他社の上に君臨していた当社が、他社のしない利益のない業務を頂くだけの事業所に成り下がってしまった。ケアはできるが、サービス提供責任者の仕事ができない。つまり、事務処理ができない。訪問介護計画書の作成、ケアマネジャーとの連絡調整、サービス担当者会議での発言、居宅介護支援事業所への挨拶や訪問、シフトの調整などなど。また、制度の変更や法律の改正があっても読みもしないし勉強しようともしない。
ケアも、運転や生活援助などの軽度の作業に動く。非正規ヘルパーには
「この会社は残業代が出ない。」
そう言って、異常に多い残業代を稼ぐ能力だけは持っている。
その管理者はPC操作がほとんどできない。昼間は、好きだと公言している車の運転に終始して、収益となるケアにはほとんどノータッチ。夜になると、残業代を得るために残る。休まない。月300時間から勤務するもので、手取りで30万から40万円を手にする。
その何もできない管理者を陰で支えている、真面目な社員も、管理者の表面的な繕いをするために、同じように残って異常な勤務になっている。二人だけで月額社会保険料を込みで100万円近くの人件費を費消する。
頭が痛いことだった。私が改革を断行した場合、傷も大きい。何しろ、8年間も君臨して、他の者は何も出来ない社員になっているのだ。私が現場に戻って立て直すか、誰かに委託する他ない。その際には、本社の若い男性管理者を兼務でスーパーバイザーとして活用することも検討していた。
介護管理者が抜けて困るのは、その管理者の陰に隠れて自分の勝手を通してきた多くの部下たちだ。何もしなくて、何も知らずに、わがままな時間を過ごしてきた。例えば、アル中のサービス提供責任者の勤務時間は、7時間だ。5時には帰る。それを、管理者は認めている。アル中なので、酒が切れる。切れたら仕事ができない。5時に出て、路上で酒を買って飲んでから帰宅するのだ。
「契約で早期帰宅が認められている。
そう公言しているが、会社はそんなの認める訳にいかない。
管理者が勝手に認めているだけだ。
同じような者は、子沢山だという家庭の都合で勤務時間を短くしたが、他の者と同じ待遇にして欲しいと、管理者に言い張り認めないなら辞めると言い出す。それを、私に認めるように要求する管理者。
基本給は認めたが、超過勤務手当の優遇時間計算を認めない私に、介護管理者が管理上認めてくれと言い張って、仕方がなく認めた。
つまり、時間や曜日に関係なく出勤してくれる社員に対しては、月160時間を超えた時間を超過勤務として扱い、多くの報酬を得られるようにした。ところが、彼女の場合、土日は休む平日も自分の都合で調整をする。子供が夏休みだというと突然長時間勤務して働く時間を多くして、超過勤務を手にする。先月は長期帰省したので140時間しか働いていなくても、固定給は手にした。
そんな諸々の悪弊を断ち切り、痛手を少なくするチャンスを待っていた。ただ、長くなれば、管理者に支払う賃金が、膨大な損失を毎月生み出しているので、どうしたらいいのか困惑していた。
「10月で退職したい。」
「だから、いつも言っているが、継続するのに影響がなければ問題ない。引き継ぎを誰がするのか。」
「分担して出来るとみんな言っているので大丈夫だと思います。」
「思いますじゃ困る。出来るか出来ないかだ。分担して、みんなが仕事を出来て、次のものを育てるシステムを作らないと、多くの人が迷惑する。」
いつもいうことを言った。
ただ、いつもと異なる返事があった。
「介護と支援の総合の管理者ですが、支援責任者が依頼をされれば受けると言っています。」
自分が思い描いていた、人事構想の次善の策をどうやら話をしていたようだ。
本来なら、介護管理者として順番からするとキラキラ目の珠緒ちゃんだろう。難がある。一旦、1月に介護管理者から打診されて受け入れたようだが、私が不安なので、問い詰めた。安易な気持ちでは無理だからだ。
責任感や判断力を求められる、当社の顔だ。その顔が、非力では歴史ある当社のプライドに傷が付き、それが最後の管理者となる。
この半年余りで、気付いたのか。何も出来ない、何も知らない、単なる地位だけではないのに気付いたのかもしれない。
次の候補者は、介護管理者の陰の実施者だ。介護管理者の文書能力、作成能力などの大事な部分を、外に出るものを全て作成していたのだ。しかし、余りに裏に徹していたので、表に出る柄ではないし、統率力にかける。誰かがカバーしないといけない。
すぐに泣くし、迫力に欠ける。優しすぎる。綺麗過ぎるのもある。
次はアル中だ。そして、次は年齢が高いし最近腰痛を訴え脊柱管狭窄症だと言われ、また、脊椎損傷すべり症との診断が口頭でされたという。我慢していたのだ。
そして、管理者に擁護されて、わがままな勤務体系をとっている者もいる。すべて失格だ。問題は、サービス提供責任者でありながら誰もその業務を行っていないという点に問題がある。
あとは、同じフロアにいる支援責任者が浮上するだけだった。責任感も強く何しろ、事務処理能力が長けている。体が強い。我慢強い。親の居ない人生を歩み、辛い思いを内に秘めて我慢してきた。
その彼女に標準を合わせて内々に検討していた。一昨年、実力者で実権を握っていた二人の大物が退職と放逐した。その跡を継いだのが、彼女だった。二人の陰で、全く印象になかった彼女が、引き継いだ途端に実力を発揮して1年半の間に月額150万円年額にして1800万円も売上を伸ばしたのは、彼女の実力が大きい。
その行動力と実行力に掛けるつもりで、言葉には出さずにチャンスを待っていた。
思い掛け無く、1月時点で6度目の退職を申し出て来た時とは異なって、推薦を私の考えていた支援責任者を指名して来たので、7度目の退職を受け入れた。無責任が少しは無くなった。
「それで、退職して何をするんだ。」
これまで、認めてこなかったので聞くこともなかった。
「創作料理屋をします。」
「なに、本当か。お前は料理ができないじゃないか。」
「娘が夫婦でしたいというので、サポートすることに決めました。いま、料理教室などに通って勉強しています。」
「それはいい。それで、場所はどこだ。」
「隣の市です。物件を物色中です。」
「そうか、実は、おれは配食をしようと思って色々調べている。それだったら、昼はしないだろうから配食をすることを検討してくれないか。作ってくれれば買い取るので、配達もこっちでする。または、其の場所を昼間だけ貸してくれ。うちで作って、配食事業をしたい。誰が責任者だ。」
「娘です。」
「それじゃ、その旨を話しして検討してくれないか。」
9時に全国に180箇所の支部を持つ社会福祉事業を展開いているNPO法人でこの地区の副会長が来た。当社の就労支援事業の該当者を紹介するという訳だ。その間に、後見関係の共同事業やエンディングノートの展開などを話し合った。
9時40分、介護管理者の陰のサポート役が来た。監査の連絡はないが、これから介護管理者が辞めて引き継ぐ際に、事務関係は全く出来ていないので監査を受けることを想定して点検をするように指示した。
介護管理者が退職する不安を口にして、泣き顔になり、
「また泣くのか。どうして泣く。泣く理由がわからない。そんなことで将来大丈夫なのか。」
「これまで、管理者におんぶに抱っこしてきていなくなった大丈夫かと心配になって。」
「何が心配だ。何もしていなかったのだから、心配することはない。心配するのは、何もしていなかったので、何をしたらいいのかということだ。これまでのことなど、どうでもいい。これからのことを考えろ。人が一人居なくなっても、組織など無くならない。考えてみろ。本社だって、上二人が居なくなって大丈夫かと思っていた、単なるヘルパーしかしていなかった26歳だった彼が、月400万円程度の売上を2年間で700万円を超える額にした。支援だって同じだ。上二人が居なくなって、全く影に隠れていた彼女が大幅に収益を伸ばした。停滞している介護だって今がチャンスだ。」
「そうですね、やらなければならないならやるしかないと、ほかの人とも話をしていました。」
そう言って、残った者たちが協力し合って頑張ろうと昨夜話し合ったと言っていた。
心配していた、意気が消沈していないことを知った。
安心して、それのサポートをお願いする、新規事業所の責任者とこの地区の居宅介護支援事業所の二人を呼んだ。
「共通認識として情報提供する。」
そう言って、これまであった介護部門の経緯を話し、今日の朝、介護管理者から申し出があった退職願の受理を告げた。
「そのように、意気消沈していない。やる気もあるので、出来るだけ仲間意識を持って側面からサポートして欲しい。」
次期管理者も公表した。
その上で、配食で協力できるかもしれない話をした。
「別にトラブルを起こして辞めるわけじゃないので、将来の布石として、このような外周に出る人とのコラボも活かされるような事例を作っておこう。」
そう言って、賛同を得た。
昼食を摂って、1時半ころまで話をして事務所に一旦戻って、仕事をした。
夕方、着替えて繁華街に出た。スエヒロでしゃぶしゃぶを食べながら懇談した。やっと、足の筋の怪我が治りかけてきた。



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