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トップハート物語(5314)立志伝敢闘編
19/09/05
2013年(平成25年)9月上旬。
朝から数人の社員が来た。
その中に、中国から帰化した研修生がいた。真面目だが、研修内容の初任者研修教科書が理解できない言葉ばかりと、やる気を無くしている。漢字や平仮名は分かる。
「片仮名で書いてある文字の意味が分からない。日本語ではなく英語やフランス語などの和訳で、イチイチ調べないとダメだ。」
 試験成績も余りよくないと聞いていた。
 その彼が、ヘルパーの資格を得るのを諦めている節がある。しかし、働きながら学ぶ制度は資格を取得するのが条件だ。その条件を満たさないと、国の助成の対象にならない。
 彼は、ガイドヘルパーの資格に照準を変えたようで、その講習を受けたいと研修センター責任者に言ったようだ。
 その研修は、今受けている初任者研修と日程が被るのでダメだと言っている。諦めたようだが、なんでも途中で投げ出すのは日本人ではない。
 10時前に、隣の事務所に入った。もともとは、隣の事務所が手狭になったので、支援部門だけを移したのだ。その目的は、支援責任者が融和を嫌って自己中心で動くようになったので、他の者が離反したのだ。
その奴のために、わざわざ席を設けたのだ。しかし、その一人だけ移動する意味を理解したようで、去って行った。
 また、元に戻したので部屋が空いた。そのに市民後見センターを設置したのだ。その後見センターに、私が今度始める行政書士事務所を置く。
 その9月1日から登録をしているので、営業的な連絡が幾つかある。その中で、書籍を専門に販売する大手業者セールスマンが10時に来た。
 そこから3時間半に及ぶコミュニケーションが始まったのだ。きっかけは、私が兼業している会社のホームページを見せた時に、私の経歴に仙台出身というのを見たようだ。
 「佐藤先生は仙台生まれですか?」
この行政書士登録をした段階から、関係者がみんな「先生」と呼ぶようになった。業界の自己満足だ。先生と呼ばれるほどのものは何もない。まず、それなりの実績を出してからだ。
 「そうだよ、君も仙台出身じゃないだろうね。」
 「いや、転勤で仙台に6年間住んでいました。」
 「仙台のどこに住んでいたの?」
 「先生はどちらですか。」
 「俺は、五橋だよ。」
 「若林区ですね。私は、泉区です。」
 「泉は、俺が学生時代はまだ仙台市じゃなかった。あまり良く知らない。」
そんな、ことから始まって
 「私は仙台に一番思い出が有り、楽しい時代でした。よく国分町に飲みに行きました。」
 「国分町は高いでしょう。でも、最近は、リーズナブルなお店が増えたからそうでもないか。」
「いや、最初は、近くの中華料理屋などで、腹ごしらえしてから国分町に向かいます。あまり、食べないように飲まないように。」
 懐かしい、話で1時間以上。
 段々と身の上話になり、彼の生まれは横浜で
「大学は東京の港区にありました。」
そうか、慶応大学か。
 有能な人間だったようだが、建設会社から転職したようだ。最初の会社で札幌支店だったようで、転職して戻りたかったようだが、経験があると札幌配属だったようだ。北海道一面を営業担当し、かなり寒い思いをしたという。
 「東北の青森も寒いですが、北海道は異次元の寒さです。」
そう言って、釧路や帯広、網走などの寒さの違いなどを話したあと
 「冬の北海道と東北を長年担当しましたが、冬に路面が見えたのは仙台だけで感激でした。仙台は暖かく、風情がありました。今の季節など街中を散歩しても、気持ちよく物思いに耽ったりしました。」
 そんな、ことなどの話を聞いた。
 「一番の思い出は、私が住んでいる早乙女の近くに東北高校が有り、丁度宮里藍ちゃんが在籍していて、高校生でトーナメント優勝を飾った直後に街で会ってゴルフバックにサインをして貰いました。当時は漢字のサインで『宮里藍』と書いてあり、今の英語とは異なり、当時のサインをゴルフバックに貰った者はそういないと思います。」
 そう、卓球の福原愛、スケートの荒川静香などその時代に仙台の街で見掛けることができたのだ。
 そのあとから、怒涛のようにここにいる彼が、ここの街を非難し始めた。
 「ここから早く出たい。この街は、ここ人間はなんでも金です。目先の金で人を裏切ったり騙したり。今でも、その考えに付いていけません。通勤電車の中でも、態度が悪い。満員の中でも脚を広げたり、荷物を座席において知らんふり。まだ、出ていないのに入ってくるしぶつかってくる。これが、東京だったら袋叩きです。」
 そう言って、憤慨している。
 勿論、私も同感に経験してきたので、一緒にその事例を挙げながら1時間。
 最後の30分だけ仕事の話をした。
「実は、私が東京で資格を取得した際には、書籍を揃えるのに30万円程度と言われていた。」
 「そんなに必要ありません。必要な、本当にこれからする仕事に関しての書籍を揃えてください。私は営業マンですから、それは多く購入して頂いた方がいいでのですが、長い付き合いをしたい。そんなことを言っていた。
彼も不満が、ストレスが蓄積していたのだろう。
 夜、6時から元新規事業所の管理者の退職に伴うけじめの一献を企画した。大丸百貨店のグルメフロアの「天ぷら・鯛めし与太呂」で2時間ばかり行った。NPO法人常勤理事と新規事業所での上司だった責任者を同席させた。
 話は、余りないが、彼がこれから独立して立ち上げると言い張るのでその言を、他の者も証人として聞くように図ったのだ。
何故なら、彼は、当社の研修を受ける理由がそれなのだ。私を慕って、自分も金融から脚を洗って真っ当な長続きする仕事に就きたいと言って、来たのだ。
私は口より、実践と思って新規事業所での管理者の任に就けたのだ。
 ところが、初日だけ
 「ここの事務所に寝泊まりして働いてもいいですか。」
そう言ったが、翌日から全くその気もない。
給与を支払い、高い交通費を負担して半年以上抱えたが、果たしてその金額以上の効果があったのか。それを彼が実践した時に評価が出る。
 

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