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トップハート物語(5297)立志伝敢闘編
19/08/28
2013年(平成25年)8月下旬。
暑さも、和らいできた。やっと、気温が猛暑を下回ってきた。今年の夏の猛暑が始ってはじめて、日中29度を記録し30度を割る日が来た。
数日前、丁度昼食するためにマンションに戻っていて何の気なしにテレビを見ていると、あの「藤圭子」が自殺したと報じられていた。私と同じ年だが、若い人にとっては誰かわからない。「宇多田ヒカル」の母親だ。
私が上京し、就職をして働き始めた頃に、暗いイメージでデビューした演歌歌手だ。「圭子の夢は夜ひらく」が今でも心に残っている。暗い人生を歩んで来た私にとって、そのまま受け入れられる曲だった。

赤く咲くのは けしの花 白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく

十五 十六 十七と 私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも 夢は夜ひらく

昨日マー坊 今日トミー 明日はジョージか ケン坊か
恋ははかなく 過ぎて行き 夢は夜ひらく

夜咲くネオンは 嘘(うそ)の花 夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
嘘を肴(さかな)に 酒をくみゃ 夢は夜ひらく

前を見るよな 柄じゃない うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た 夢は夜ひらく

一から十まで 馬鹿でした 馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり 夢は夜ひらく 夢は夜ひらく

なぜ自殺したのかは不明だが、その人の人生なのだから詮索しても仕方がない。
何か、不幸を背負って生きているイメージが作られていた。
結果はわからない。
さて9時になると、守口の居宅介護支援事業所管理者が来た。昨日の、研修センター責任者の背信行為をどう扱ったらいいのか、戸惑っていた。彼女は若手のグループの一人だ。
「どんなにあがいても、これから人を使う事業は終わりだ。こんな無意味な時間を過ごさないといけないなんて、どうしようもない。これからは、自分のことを考えて。自分将来の生活を考えて行けば、ステップアップしかない。ステップアップするということは、会社のためになる。一人では厳しいので、支え合う仲間同士を作って進んでいって欲しい。」
そんな話をした。
 昨日も、この地域の支援責任者とサービス提供責任者に同じような話をした。そうすると、
 「自立支援センターの設立を、いくつかの市からも依頼受けています。その対応は可能でしょうか。」
 「いいか、政令指定都市から言われて、取り敢えず1箇所予定している。あとは、みんなの資格取得しだいだ。」
 「相談支援専門員の資格は持っているので、あとはケアマネジャーの勉強頑張ります。」
 「後任を育てることも大事だし、自分のことも大事だ。二つ同時にするのも大事だ。みんながそうやって、あとをついてくる者に身を持って示せば少しは大丈夫。最低限の基盤を築き、あとは知的集約的業務に移行するようにして欲しい。」
これで、若手リーダー的メンバーが4人から6人に増える。
少しずつこうして増やして、基盤を築き直す。
 「みんなにとっては20代、30代、40代と大事な青春時代かも知れない。しかし、その時代を努力し犠牲にすることによって、必ず将来幸せな時代が来る。その時を、どう生きるかが自分たちの生き方だ。」
 私は身を持って指針を示さないといけない。
口先だけでは、誰もついてこない。付いてこなくてもいい。私はいつでも、いつ辞めてもそれだけのものを既に手にしているのだ。
思い返せば、休む間もなかった。それは、母親も同じだ。間断なく働いていた。しかし、
「今が一番幸せです。」
と、言ってくる母親が育てた者は私だ。私も同じ道を歩み、今幸せだ。
働くということは、辛いかもしれないが、私とってはごく自然のことだった。
逃げ帰るところがなかったのだ。ずっと、なかったのだ。母親も逃げなかった、その後ろ姿を見て過ごした。ずっと、みて過ごした。離れていても、見て過ごした。限られた人生、努力して過ごすのも人生。その方向に進んだだけだ。
もっとたくさんの人生がある。人の数だけ、人生がある。その一つの方向を歩んだだけだ。それが、母親と同じだっただけだ。
人生を考えさせてくれた、振り返させてくれた「藤圭子」の自殺のニュースだった。
夕方、その支援責任者からメールが来た。研修センターの責任者の疑念は誤解だったというのだ。
『受講生が不安なので相談したら、やるだけやってダメだったら考えたらいいと言われた』というが、そうすると、その受講生が混乱を引き起こすような言い方をしたということか。そんな人間採用していいのかという、新たな問題になる。

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