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トップハート物語(5284)立志伝敢闘編
19/08/21
2012年(平成25年)8月初旬。
暑い記録が各地で出ている。既に気温40度を超える地域など珍しくなくなった。観測史上最高気温を記録する地区が列島の半数近くに達している。勿論それに伴って熱中症で倒れ搬送される人数も半端ではない。これから、この地球はどうなってしまうのだろう。
 毎年、この暑さの記録を更新し、雪や寒波も目立って厳しくなってきている。加えて、集中豪雨で各地に被害が相次いでいる。
その中でも、何事もなかったかのようにいつものことはいつものように動いている。
朝出勤して、レモン水を何度も作って飲んだ。トイレも何度も行く。昨日の事が浮かんでくる。弁護士事務所かへ一緒に行った。近くの駐車場に車を置いて3人で一緒に行ったのだ。帰り、途中まで送った。駐車場まで100メートルくらいの距離だ。角を曲がるのだが、その角を私もはっきりしない。しかし、ひとつめか二つ目だ。大したことはない。ひとつめが違って居れば、戻って二つ目を曲がればいいだけだ。
曲がって数十メートルの処にパーキングが有り、そこに停車させたのだ。そこに辿り着くのは容易なことだ。4時半に弁護士事務所を出て、私はNPO法人常勤理事が迎えに来ているので途中で別れた。
車に乗る時に、電話が有った。
「一つ目の角を曲がったのですが無いです。」
「それだったら、二つ目じゃないですか。」
私は、そのまま事務所の守口市に戻った。約30分以上。百貨店で買い物をするのに、駐車場に入れて店舗に向かった。電話が有った。
「お疲れ様です。どうしましたか。」
「見つからないのです。」
「そんな馬鹿な。運転して来た者に代ります。」
「代っても、私も分かりませんよ。そこの土地の者じゃありませんから。」
何しろ、車で3、40分のところにある弁護士事務所の周りなど全く分からない。市をいくつもまたいだ位置にあるのだから、どこにいると町の名前を言われても全く分からない。
とりあえず、駐車場に戻ってipadを開いてから電話をした。出ない。もう一人の者に電話した。出ない。本当は、私も電話などしても分からないし掛けても出ないなら、掛かって来ても出ないということも思ったが、まだ、一緒に全国組織を作るのに親しくしている訳じゃないので、感情的にならないように我慢した。何度か連絡したが出ない。
不愉快になっても、我慢して暫く待った。電話が掛かって来た。全く分からない、という。自分の今歩いている町名を言ったが、全く分からない。弁護士事務所の周辺の地図を出して拡大してみるようにしたのが、言っている、町は近くに無い。一体どこをどう歩いているのか。
常識で考えても、あれしか歩いていないのだから、そんなに遠方に行く必要が無い。
「こんな風だから老人は嫌われる。常識で考えても、弁護士事務所まで歩いて5分も掛からない。距離にして数百メートルだ。その近辺を探せば分かるはずだ。ばかばかしい。」
どこかサッパリわからない。そのうえ、
「下がるんですか。」「上がるんですか。」
などと、京都から来ているものだから訳の分からないことを言う。
相手を見て言葉を出せと言いたいが、もう分からないから黙っていた。そうすると、今度は「南ですか。」「北ですか。」
其れだって、関東の者にとっては分からない。私は右とか左とかいうのだが、通じないわけない、しかし、頭が痛くなったので切った。
暫くして、30分程度待った。車の中で待ったのだ。電話が有った。今度は警察署にいるという。
「どう行くか教えて下さい。」
「どこにいるか分からなければ、指示できない。」
「目印を教えて欲しい。」
そう言ったので、やっと教えて大体の目星がついたようだ。
それから、また30分後。
「やっと、見つかりました。」
一体どこに行っていたのだ。30分も歩くという距離は半端じゃない。常識が無いのか。
来週の約束だったのに、突然10時に中国から帰化人が来た。介護プログラムの研修を受けている。その彼が、同じような失業者と面談してくれと連れて来た男性を面談した。
一見しただけで、介護は出来ないと思った。粗野な感じで、配慮して人に支援が出来るような人物ではない。外見だけで判断は出来ないが、そういった環境に居た方だと思った。
失業しているかどうかが条件のひとつで、その点を聞くと最初は仕事をしていないと言っていたが、
「人から紹介が有れば、棚を取り付けたりしています。」
「自営ですか。」
自営ではないが、などとはっきりしない。
 雇用の条件を話すると、
「金額はいいが生活保護が切られるのはどうも。」
 「二重取りなど出来ないでしょう。」
タオルで隠していた手が見えた。
指が4本無い。しかし、それを理由に断る訳に行かない。就労支援を勧めた。
 私の心は行政書士に向かっている。厳しい業務の確保だというが、私の場合ベースがるので、本気になれば多くの仕事が来る事は確実だ。ただ、問題は、現在の仕事がおろそかになるんではないだろうか、ということだ。
余りの暑さもあるが、今日は午後から休むつもりだった。
世界陸上が3時から。夕方7時半からNHKで毎年楽しみにしている、思い出のメロディーがあるのだ。世界陸上は女子マラソンに期待がある。野口みずきが出る。彼女は9年前のオリンピックで優勝した。金メダル選手なのだ。その後、故障しスランプになり長い低迷期を過ごした。既に35歳になって居た。
最盛期を終えたアスリートの最後は哀れだ。その場面をどう迎えるのかがそれぞれの考え方だ。何度もマラソンで優勝した瀬古も、高橋も最後は厳しい時間を過ごした。野球の松井だって、イチローだって最後は見ていて泣きたいくらいのあがきだ。
長嶋だってそうだった。その点、柔道の山下や相撲の千代の富士の引退はその苦しい時間は短かった。悟る気持ちが勝ったのだ。
その野口みずきは厳しいのは分かる。何故、その最後を見届けたいのかというと、世界陸上の放送CMのようなもの流される中で、野口みずきが苦しんでこの代表を如何に勝ち取ったかを放送していた。
今年の実業団駅伝で彼女が何年振りかで出場して惨敗だった。その時に、泣きながら控室に戻る時にファンが声を掛ける。
「野口さん、ありがとう。走ってくれて嬉しかった。本当にありがとう。嬉しいよ。有難う。」
その声を聴き、私も泣いたが、本人もタオルで顔を覆って、そして、腰を畳んできちっと頭を下げてお礼をしていた。泣いていた。
その場面が、どうしても忘れられない。私も、そのような場面になったらそのような言葉を吐けるような人間になりたいと思った。それなのに、私の場合は失敗を許さない気質が有り、思ってもその時には忘れてしまう。
一番苦しんでいる時に、とどめを刺すような言い方を私はする。それを、どうやったら直せるか。そのような場面に感動するのにその心は何処に行ってしまうのだろうか。
結果は、途中棄権だった。野口みずきの人生は、終わる。あとは指導者としてどうその気持ちを後輩に伝えていくかだ。それが出来るかどうかで、次の人生がある。アスリートが引退した後に生きる道は、それほど多くない。その最後の場面を背負って生きて行かないといけない。人は金メダルの時を忘れ、最後のあがきと途中棄権だけを覚えている。人生で大事なことは、最後をどう迎えるかだ。
夜、NHKの思い出のメロディーを見た。オープニングは毎年コンサートに行く太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」だった。私が初めて45年前に購入した「学生時代」を本人ペギー葉山さんが歌ってくれた。まだ、声が出る。驚いた。岩崎宏美さんの声も、渡辺真知子さんの声も、北原ミレイさんの石狩挽歌もすごく好きな歌だったので声が出ているので嬉しかった。
本人が出ても、全く歌になって居ないのは聞くに堪えないので切り替える。晩年は目にしたくない。それなのに、こまどり姉妹は大したものだ。
その歌を題材にした映画を見に行ったのを思い出す。3本30円だった。

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