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トップハート物語(5238)立志伝敢闘編
19/07/28
2013年(平成25年)6月下旬。
朝早く出発する必要があった。それでも、ヘルパー会議で渡す報酬明細があるので担当者に取りに来て貰った。彼女は、北朝鮮国籍でその教育を受けて成人した。だから、日本語がうまく使用できないこともある。また、阻害された生き方をずっとして来たので、捻くれた考えを持って、当社に来た。
 経歴や経験、能力など虚偽多かった。余りに酷いので、その点を追及した。つまり、出来ると言ったことに対して、時間と投資を行ったのだ。
 「PCは資格があるので、エクセルもワードも出来ます。」
 出来なかった。
 「サービス提供責任者をしていたので、経験があります。」
 その事業所に聞いても、そんな人間いなかったという。
 「営業はしていたので自信があります。」
 パンフレットを作成させて、営業に行かせたが全く行かずに、出来ず仕舞い。
 その間ひと月。社員として給与も支払い、その経験を生かそうとした。
 私にとってはいつもの行動だ。
 ところが、全く実力も能力も知識も経験ない。
 その点を質すと、辞めると申し出があった。その際、同じ民族たる韓国籍の社員に
 「辞めないといけないかも知れない。差別だ。」
 と、その民族の常とう句を吐いたようだ。
当社には、その民族関係者がまだいる。中心的な業務をしている。私には通じない言動だ。朝鮮籍の者を差別する概念が私にはない。すべてにおいて、能力主義だ。そんな、ひがんだ常とう句を吐いても意味がない。
 未開地に行って原子力政策問題を吐くようなものだ。それよりも、今後の人生においてそんな考えて生きて行くのでは、余りに悲惨だ。話をした。
 「辞めるのはいつでもできる。どこに行っても、自分が出来ないことを出来ると言って誤魔化し、それがばれると差別だと言い出すのは通用しない。これからの人生を考えて、しっかり一から働いて自信が着いたら辞めればいい。」
 そう言って、私に身柄を預けた。
 それから、もう何年だろうか。5年は経過しただろう。その預け先が、守口市介護管理者だった。同じ民族なのだから丁度良いと思った。その管理者が日曜日に6度目の退職を申し出て来た。それを、受け入れた。
 そして、この月曜日の朝に彼女も
 「管理者が退職すると聞きました。私もう年ですので、いつまでもこの介護は出来ません。これからは、扶養家族の収入内での勤務をしたいと思いますので、10月頃で退職したい。」
 「それでは、登録で継続は出来ますか。」
 「はい、今の社員扱いでは厳しいですが、登録でしたら。」
 今でも、5時には帰宅する。 
 酒が無類に好きで、そこから飲みだすのだ。お酒を飲む職業としていた時期もあった。強くは無く、直ぐに酔ってしまう。
 NPO法人常勤理事によると、
 「金曜日のNPO法人総会で、最後の写真を写す際に佐藤さんが入らないので、彼女が酔って入るように何度も言っていた。その時に、『うるさい酔っ払い』と、言われたのが相当ショックだったようです。それで、辞めると言い出したのではないですか。』
 実は、最近、いやここ数年私は集合写真どころか、ほとんど写真に自分を修めることを止めて来た。勿論、この醜悪な顔をさらすのが一番嫌いだからだ。しかし、もっと理由があり、私が不在の写真を残すことによって、自分が居ない組織を少しでも自覚するようにメンタリズムの手法だ。
 自分たちで考え、行動してほしいのだ。
 8時半に出発して、就労継続支援事業の申請書を提出するために市役所に向かった。1時間以内で着くように図ったのだが、幹線道路にバイパスが出来て道路が空いていた。スイスイと、予定の半分で到着。
 概ね書類関係は少しの修正で終わりそうだ。これで、私のお役は御免となった。あとは請求するだけだが、コンサルタントとしての請求になる。行政書士事務所の設置の為に事務所契約を不動産管理会社する。その為に、自宅に契約書を送付して実印を押して貰うように妻に依頼した。
 帰りながら、食事をして、利用者へ利用票を届ける。病院に行って診療情報提供書を依頼する。事務所に戻って来たのは5時。そこから、2時間ほど仕事をした。マンションに戻って、本社管理者メールした。
 人材確保のプロジェクト責任者だ。過去2回は私が出席をして主導した。しかし、これからは、自主的な運営を望んだ。
 『明日の会議は、私は最初だけ出席をして話をしたら、退席する。時間を決めて終了した後、食事に行くので皆さんに時間を取るように伝えて下さい。』
 『えっ、出席しないんですか。どうしてですか?』
 『出来るだけ皆さんの力で解決するようにしてほしい。これから、どんな大変なことが待って居るかも知れない、そんなときにはみんなで力を合わせて解決して欲しい。その訓練だ。』
 『よく分かりました。残念ですが頑張ります。だらだら話をしても仕方がないので、8時に終わらせるようにします。』
 『大丈夫だ。金は出す。口は出さない』
 『格好いいですね、自分もそう言えるように頑張ります。』
 今日の朝、その重要メンバーの支援責任者が来たので
 『人材確保プロジェクトの話し合いの際には、今までの求人の概念を超えた話し合いをして欲しい。いくらの時給だとか、この時間だけ居ればだとか、求人広告を出すとかもうそのような時代ではない。相手のニーズを知って、例えば社員になりたいとか、その際の受け入れる条件を当社としてどう出すか。どこまでが譲れないラインか、など。求人も、色んな制度を駆使して、福祉大学とか専門学校でも有能な学校に求人を掛けるなど。』
 「そうなんです。人材が居ないともう回れない。佐藤さんから、私たちは教育中心の育て方をして貰って、自分たちもそうしたいと思っても資質が伴っていないのでどうしても切ってしまう。それでも、周辺の地域の障害者自立センターや市役所は、お宅はいつ相談支援センターを作るのかって、多くの地区から聞かれて。」
 「そうだよ、これから自分たちは知的集約化に向かって行かないと。あと10年もしたら、みんな40代からおさらばだ。その時に、日本は救えない状況になっている。みんなのことが心配だ。だから、今のうちに土台を築いていてほしい。おれが、皆さんのおかげでここまで来られたように、皆さんも今の位置に安住するのではなく、下の者を育てて自分がもっと向上して欲しい。」
 そんな話をした。

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