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トップハート物語(5120)立志伝敢闘編
19/05/24
2013年(平成25年)3月上旬。
 夜11時前には床に就いた。私が今生活しているマンションは、年中布団が敷きっ放しで電気ジュータンに電源が入っている。いつでも暖かいが、危険もある。埼玉自宅では自分の部屋に寝るのだが、敷き布団は2枚、掛布団は1枚だがふわふわの暖かい毛布2枚とタオルケットが掛けてある。
東北仙台での子供のころをふと思い出した。暖房器具が十分ではなく、ただただ布団や「どんぶく」など沢山のあるものを掛けて寝る。ただ、足の冷たいのはどうしようもなく靴下を履いて長時間両足でこすって、手でさすって暖かくしてからしか眠れなかった。
 やっと、「アンカ」が使えるようになって眠れるようになった。時には炬燵の中に眠ったが、朝には汗がべっとりついて気持ち悪かった。布団の準備をみてそんなことがまとめて浮かんだ。
ラジオを掛けていつの間にか眠ってしまった。朝は5時前に起きて、コーヒーを飲んだ。コーヒーの顆粒はあるがクリープとかがない。いくら探してもないので、持参しているパックのコーヒーを使用した。いつものこの投稿をする前に、新聞を読んだ。
 その中に、衝撃を受けた記事があった。投稿欄に「介護職 頑張りに見合うように」とあったのを読んだ。埼玉県の50歳代の母親の投稿だ。
 『23歳の長女が2月末で退職しました。
  1年11か月、老人介護施設で介護福祉士として働きました。幼稚園教諭、保育士の資格を持ちながら本人が選んだ仕事でした。
 学生の実習の時には入所者の方々と触れ合う時間もあり、皆さんとの会話が楽しいと話していましたが、職員となってからは毎日仕事に追われ、お年寄りと触れ合う時間がなく、自分が思い描いていた介護ができないと悩んでおりました。
 先輩の励ましで何度か壁を乗り越えましたが、やはりしばらくは福祉の仕事から離れてみたいとの結論を出しました。
 サービス残業は当たり前で、行事の準備をするために休日返上で疲れ切って帰って来る娘を見てきた私たちは、もう少し頑張れとは言えませんでした。
 介護職についている方に「待遇が良いのだから、もう少し頑張れ!」と言える日はいつか来るのでしょうか』
 これを読んで、また読んで。
 何度も読み返して、切り取って鞄に締まった。後から起きて来た妻と話を結構するのだが、この話はしなかった。自分の会社とラップさせてはいけないと思ったのだろうか。少なくても、自分の働いている業界を語る時に、いわゆる3Kと言われるのは「良し」としていない。経営能力のない者が気楽に独立できるシステムが悪いのであって、マネジメントのある者が運営している会社はそのカテゴリーには入らないと言っていた。
 もうひとつ、浮かんだのは当社の社員に見せようと思ったのだ。特に、この地区の介護事業所だ。漸減どころか大きく後退した実績に対して、逃げ口上ばかりでどうしようもないのだ。自分たちの勤務態度や日ごろの言動を見直してもらういい機会になると思う。ただ単に座っていれば給与が貰える、それも結構高額な金額を得ることができるのはどうしてか、考えない。
 施設のこうした勤務状態は肌身では感じることはできない。1日数時間のケアをするだけで、あとはのんびり部屋で過ごしているだけ。それで、一生懸命にやっていると言われたのではたまったものではない。
勤務時間をすべて介護に、そのうえ残業代のつかない勤務を強いられている施設勤務。自分たちの向上心のなさを自覚しないと。辞めるのは向上心の表れだと思っている。
 朝食を摂った。ハマチのカマがメインだ。野菜をふんだんに摂取して、昼前に家を出た。昨夜9時に帰って来て15時間の滞在。その大半は睡眠だった。仕事がしたいと思う気持ちがまだある。早く戻って仕事をしたいと思う気を
 「この歳になってこんなに忙しくなるなんて。もう20年若かったら。」
 そう言うと、長男が
 「20年前だったら、そうはいかないでしょう。介護保険が20年前は無かったでしょうから。」
 そうだった。
 昨日は東京駅で年末に仙台に行く時、チケットと忘れてしまって再度購入した件の精算をしようと思ったが、JR東日本だと言われて自宅の駅に戻って来てから精算をしようと思ったら、緑の窓口が夕方6時までだというので、今日の戻るタイミングで半分精算した。残りは東京駅でJR東海にて行った。
 東京駅で「若狭かにめし」を買って昼食とした。4時半に新大阪駅に戻って来て、6時に事務所に入った。凸ポンが9箱届いた。

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