お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(5074)立志伝敢闘編
19/04/30
2013年(平成25年)1月下旬。
 クレームのあった彼女はケアマネジャーとしての面倒もよく見て、十分な働きをしていた。ただ、それは親族が居ないとか依頼心の強い人たちにとっては良かった。そのクレームは私が担当していたが、彼女に引き継いだ。その時は分かっていた筈なのだが、段々と自信がついて来たようだ。
家族に自分の考えを押し付けるような言い方になっていたのだろう。私の場合は、余程の事が無い限り自分からは余り言わない。助言はするが、求められない事はしない代わりに、求められたことは必ず実現する。
 その彼女はハイテンションな時が多く、代わりに落ち込む事が多い。そのために、私が介護管理者に言ったのは、
 「彼女にそのまま伝えて、彼女の判断にゆだねるように。そのひとつの考えとして、新規事業所の管理者に代わって貰うように本人から依頼させる。上からの提案では彼女のメンツが無くなる。自分の意思でそうしたとの事実を作らせるように。」
 その場面が、食事中にその話があったので私は関知しないとの態度になっていた。
 利用者宅に迎えに行って、私がガイドヘルパーなので外に出す車に乗せるなどは手伝って貰いながら終えた。
区役所に行った。区役所に事前に電話をしていたので、担当者の女性が出て来てくれて、ちゃんと対応くれた。身障者という事で、別な場所で担当者の女性が聞きながら申請書を書いてくれた。私たちが聞いていた、
 「俺は身寄りが無く、一人だから。生まれは台湾で・・・・」
 だった筈だが、時間が相当掛かった。
 戸籍謄本を準備するのに、1時間近く掛かって担当者の女性が
 「大変お待たせしました。身寄りの方が居ないと言われていたのですが、沢山おられて。4親等以内のデータが必要と言われたのですが、多過ぎるのでどこまで必要か家庭裁判所に確認しました。そうしたら、本人申し立ての場合は本人分だけであとは必要が無いとのことでした。」
 結果的には、本人分のデータを貰った。
 身寄りが無い、台湾生まれはその謄本によって否定された。実は私と13年目の付き合いだ。平成12年からずっと介護の支援をさせて貰っている。その当初から、
「身寄りが居ない。」
と言っていたが奥さんに逃げられた、子供が3人居る。
などは、ヘルパーさんが聞いて私も一時聞いた事があるが、事実かどうかわからなかった。
また、生い立ちも何度も
 「生まれは満州で、馬賊に拾われた。終戦後台湾に逃げて、そこで成人するまで過ごした。親戚はみんな台湾だ。故郷に帰りたい。」
 そう言って、数年間
 「今年帰るので、決まったら連絡する。」
 そう言って、具体的な日時を言って、
「ケアを止めてくれ。」
と言い出したこともあった。余りに具体的なので、信用したが
 「どうやって行くの。」
 「飛行機ですぐだよ。」
 「それはいいんだが、飛行場までどうやって行くの。」
 「電動車いすで行けばいい。」
 「電動車いすが無いけれど、どうするの。」
 「友達が持ってきてくれる。」
 などという。
 とりあえず、本気にしているふりをしてケアのキャンセルは依頼があるが実際はしない。その直前になると、いろいろ理由を付けて中止になったと言って来る。今日も、
 「明日から台湾に帰る。」
 と、言う。
 また、公営の住宅に格安で住んでいるのだが、
 「建て替えがあるから、出ないと行けない。早く、ほかの住宅に申し込みに行きたい。」
 そんな計画など無いのだが、みんな言っていると言って聞かずに公営の申し込みに何度か行った。今度は、
 「マンションを買うので、見に行きたい。」
 ケアマネジャーも呼ばれる。
なにかというと、マンションを買うので探してくれという。しかし、お金が無い。全く無い。無いどころか、借金を作ってしまってその処理に公的な弁護士が入って処理が終わった。人がいいので、訳の分からない男女近寄って来て、金を無心して返さない。
その危険性があるので、後見を本人の了解を得て付けることにしたのだ。医師の後見相当の診断書を貰っている。
 一つ一つが勉強なので、今日も本人申し立てなら親族の戸籍などのものは要らないと分かった。

『がんばりましょう』

『みんながついてくるようにするのって大変かな?』

『そうおもいます・・・うちの会社もヘルパー第一で・・・』

『これでよし、はないから・・・』

やってみせないと・・・

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報