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トップハート物語(4985)立志伝敢闘編
19/03/16
2012年(平成24年)11月中旬。
『どこも同じ・・選挙です・・医療・介護を救いあげる候補はいませんかね』

『そうですね・・うちもファクタリング利用してます。 』

『思うようには食べられません・・外食は・・・』

『それだけ準備と、期待されている・・を 感じたら頑張る。』

『見直さないんだ 』

『少しは息抜き・・・出来ましたね。』

『おいしいもの食べて気分よく・・次なるものに構えて・・』

『びっくりですよね・・時間といい・・思うようにいかない・・。でも以外に考えてるよりエッ・・って感じかな。』

いい加減な事例が、世の中、普段の状態になってしまった。

社員にもそう言われて慰めて頂きました。

息抜きはお陰様で、出来ました。それでも、会社の心配が忘れる事は出来ませんでした。

行政は、一旦決めたものを訂正することはありません。もし、間違えに気付いたら民間事業者の間違えにして、再提出を求めます。必要があれば、民間事業者に顛末書を求めます。勿論、その際の文章も行政が示してその通り作成させられます。
そんなもの、無責任な新人類には何の意味合いも有りません。

そうですね・・虚偽、偽造・・日本人も嘘つきです。

『頑張る背中見せてください。』

『頭空っぽにはできないですよね 』

『偉いんだ・・・でしょうかね 』

『今の人は・・・と口から出るのは・・・自分も齢とったんかな?』

今日の朝は、大宮の自宅で迎えて居る。
木曜日の15日は、東横イン文京区役所前で朝は起きた。最近は、ビジネスホテルに宿泊する事は無かったので、勝手が分からない事が多かった。カウンターの横にボックスがあり、中にサイズの異なるガウンが入っていてセルフで持って行く。
朝、ドアの把っ手にビニール袋がぶら下がっていた。その中には、フェイスタオルとバスタオルが入っていた。しかし、歯ブラシやカミソリは無かった。自前のものを持って居て良かった。
 チェックアウトをして、最後の振込を近くの三菱東京UFJに行って、処理をして出発した。歩いて新御茶ノ水駅に向かった。最終目的地は、28歳から7年間住んでいた松戸市新松戸だった。約2km強を歩いた。
懐かしくて、写真を撮りまくった。特にお茶の水界隈は、色々思い出がある。神田川は勿論思い出の曲です。先日も、コンサートに懐かしい歌を聞きに行った。

何度も、このiPad は突然切れるので何回もやり直すので、細切れにせざるを得ない。
お茶の水の一番の思い出は、妻が失明すると思い込まされて、それを救ってくれた世界的名医、井上眼科がある。
その隣の大きなビルには結婚前にお世話になった同級生が働いていた会社があった。日本出版販売会社にいた彼に、10代から20代前半に掛けて毎月5000円を借りて翌月返すというパターンを繰り返していた。
 その時に入った、喫茶店「穂高」もまだあった。線路際にあるニコライ堂や湯島聖堂は、この世界に入る前に求職活動で歩いて行った飯田橋ハローワークの途中で立ち寄った。
 そんな思い出に浸りながら、地下鉄の乗車する為に向かったが、余りに深い地下へ向かうエスカレーターが怖かった。懐かしい千代田線の車体を写真に収めた。約30数分後懐かしい新松戸駅に着いた。
ここを出てから33年振りだ。懐かしさに暫く浸ってホームに佇んだ。駅の裏側は全く変わりのない風景があった。畑が広がっている。
元々、この地は一面畑と田圃だった。そこを大手のデベロッパーが開発をした地だった。三菱地所、清水建設、東武鉄道だ。その駅前の一番近くの三菱地所のマンションを購入したのが28歳の時だった。
駅を出た。街並みが拡がっていた。私が居を構えている頃は、まだ街並みは道半ばだった。生活が送り易い環境になっているのだろうという感じがした。
駅前で何度も、iPad で映像を保管した。駅前から見ることが出来た私が住んでいたマンションは見えなくなっていた。ビルが林立していたのだ。流山線の駅も移動していた。その踏切に階段が付いていた。
線路が高くなっていて、超えるのにスロープを歩かないと行けなく、雪の日は必ず滑って転んでいた。
 マンションは14階建てで、3棟でまとまっていた。そのような、マンション群が幾つも林立していて街を形成していた。私の住んでいたマンションは、ケヤキや桜の紅葉に囲まれていて、殊更立派に見えた。巨大な建物を見上げて、こんな立派なマンションを購入出来たのは本当に妻のお陰だと改めて感謝した。
 今年は、結婚前に生活していた品川区のアパートを訪問し、その後3年間住んでいた赤羽を訪れた。そして、次に生活していた新松戸に来た。無一文で、毎月5000円を友人に借りていた生活から、無茶にも結婚してくれた妻によって生かされた。
このマンションは33年前に1750万円で購入した。勿論、ローンを組んだが頭金500万円を妻が入れてくれたので、残金を借りられた。あの当時10万円程度の給与で500万円は大きい。
あの時には、35年ローンだったので完済は63歳かと思った。
居住者の大半は30代後半から40代前半の大手企業の中間管理職だった。段々と、格差を感じるようになったのと、子供がふえたのがあって、今の大宮に一戸建てを求めた。売却益を頭金に4200万円の家を購入したのは34歳の時だった。
残金2700万円は11年で完済して、その後は借入金は一銭もない。~
そのスタートラインに立った場所に今来ていた。広い範囲を歩いた。大学も誘致されていたり、飲食店が増えていた。まだ、学校に行く前の子供二人を連れて入った焼き鳥屋は無くなっていた。
再び駅前に来た頃にはお昼になっていた。昼食は、以前からあったロッテリアに入って、一番人気のエビバーガーセットを頼んだ。期待に反した味で、私は二度と口にする事はない。隣のてんやで海鮮丼を食べれば良かった。
 ロッテリアの窓越しにマツモトコヨシのビルがあった。私どもがこの地にきた時に買い物は、マツモトキヨシのスーパーマーケットだった。この松戸市の市長の名前を企業名にしたのだ。
恥ずかしい思いをして、口に出せなかったが今ではメジャーだ。
懐かしい時間を得られた。こんどは、仙台から出て来て初めて住んだ、川崎市の溝の口や高津に行きたい。

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