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トップハート物語(4945)立志伝敢闘編
19/02/23
2012年(平成24年)10月中旬。
『今日も・・地元をまわりました。デイに行って名前が話題になってる・・・名前だけでも・・いままで買い物すらしたことないお店にも足をはこび・・
地元の人の開業は歓迎です。と、受け入れて・・安心しました。時々、足をむけなければ・・・。 』

『開業と同時にきたヘルパー、土日・祝日・ほかにドタキャン・・それでも日にち変更のケアをいれて・・・不満・・どうも辞める?前の会社もにたような感じで・・同じ・・どこに行ってもできないかな?少ない仕事で・・チャンスをあたえても・・ドタキャン・・努力・忍耐ない・・。』

 もうそのような事例、日常茶飯ですね。段々と、それが普通になって来るのでしょうね。介護業界は人手不足、売り手市場で幾らでも我儘が利くし沢山事業所があるから楽してカネを手に出来て好き勝手に出来る事業所を探して行くんでしょうね。日本人の評価は段々と下がって、国力も下がって一体どうなるんでしょうか。

 知って貰うために、アポイントを取って期待半分諦め半分で回っていた時が、思い出すと一番充実していたような気がします。受け入れて貰う為にはどうしたらいいのかを毎日考えていました。そして、必ず、実行していました。その結果が初めて出たのは、営業開始から一カ月以上過ぎていました。その間、諦めかけた事も有って。今は、自信につながったいい思い出です。辛いと思った事はありません。

 その道を歩まないために、どうしたらいいのかを勉強しています。それを実行するにしても、周りはお手並み拝見という感じで。口は出すがカネは出さない。自分が当事者なのに、なにもしようとしないが如何にも手伝っているようなふりをして、大事なところは知らんふり。

 本当ですか。この頃は、結構毎年昇給率が高かったですよね。どこの日産に居たのですか。私は、偶然ですが、最初の就職口が川崎で、日産の工場に自動車クロックを収めに何度か行きました。余りに広い敷地に驚いた記憶が有ります。居住拠点は川崎の溝口でした。そこから、田園都市線で直ぐの自由が丘に行ったり、少し足を延ばして渋谷に行ったり。楽しい、思い出です。

 朝10時に約束した、元相場師が来た。関わりは、十数年前に株や投信の営業に私の立ち上げたばかりの会社に来た時にさかのぼる。その時に、私が営業に苦労している彼に励ましたという。が、私は全く覚えがない。地道に裏表がなくやれば必ず結果は表れると言ったと言う。私は全く覚えていない。それから、十年後突然今の事務所に現れる。勿論、電話を掛けて来て
 「私を覚えて居るでしょうか。実は、十数年前に・・・・」
 と、言って、その後順調に過ごしてこの地に戻って来たと、挨拶しに伺いたいと来たのが2年くらい前。
 私の励ましがあったから成功を収める事が出来たと言う。私と初めて会って励まされた後、東京に出て外資系の証券会社で実績をあげて独立したという。独立後、お客さんが外資系の元いた会社から移籍したため奪ったとして裁判沙汰になり敗訴。多額の損害賠償金を支払って戻って来たという。そして、再び独立して投資を始めたと言う事だった。その後、数か月過ぎて
 「情報が入って来たので、私を信用して100万円預けてくれませんか。1週間以内に50%を上乗せして返します。」
 そう言って来た。
 別に儲ける積りは無かったが、信用するという姿勢を示して100万円預けた。嘘だったら嘘で諦められる限界の金額だった。そうしたら、本当に150万円になって戻って来た。
「先物数値を見るようにして下さい。」
と、言われてずっと1週間見ていたが、本当に急騰して儲けが生まれた。
それを、受け取った数か月後再び連絡が有り、もっとうまい話が有ると言って来たが何度言って来ても断り縁を切る積りだった。ところが、今度は、
「潜りで取引をしていたと査察が入った。」
と慌てて電話を掛けて来た。
私に発行した預かり証も持って行かれたと。
 「迷惑が掛るので、一旦カネを戻してくれますか。」
 そう言って来たが、そんなバカな話は無いと突っぱねた。
国税の査察だというが、そんな小さな会社に国税が入る訳がないと突っぱねた後、再度訪問を受けた。
 「もう、このような危ない仕事にいつまでも就いている訳に行かないと、妻と離婚して有り金を全部渡しました。ゼロからスタートしたいので、どうやって生きて行けばいいか相談に来ました。」
 「俺に聞いても仕方がない。どうしたいと結論が出たら来たらいい。その結論を応援する事は出来る。」
 結果的に出した結論は、
「これからのことも考えて、佐藤さん同じような道を歩みたい。」
という。
それならとその第一段階として、と教えたのが求職者支援の学校に行って基本的な勉強をする事だった。直ぐに、地元のそのような学校に行き始めて4カ月。そろそろ、実習が始まるので卒業後の道の準備をしないと行けない。何度か来るように言っていたのだが、腰が引けているのか来ない。
何処まで学習が進んでいるとの話は度たび貰ったが、卒業後直ぐに開業するには既に準備が必要だ。
 その事を言っても来ないので、きっと顔や体に似合わずに怖気づいているのだろう。そう思って、自分の意思で来るまで待っていた。やっと、先週電話が有り今日の面談になった。
基礎知識がなく、勉強もしていないので私が言っている事と彼が返事をする事が噛み合わない。その思いが強くて、前に進まない。
 「自信がないので、顧問とかになって指導してくれないでしょうか。」
 「それは、無理だ。ただ、結論だけ出せばそのサポートは幾らでもする。」
 そんな言葉のやり取りで、誠実に進めて行く気持ちは無いような感じだった。暫くして
 「直ぐは無理なので、暫く佐藤さんの事務所で働かせて貰う事は出来ないでしょうか。」
 「それは、構わない。いつから来られるのか、それだけ貰えればそのカリキュラムを作るから。」
 そう言って、空いている日程を出すように言った。
 夜9時半ころ電話が有り、
 「やっぱり12月の卒業を待ってからきっちり行った方がいいですよね。」
 「それは、自分の考える事だ。結論は自分で出せ。その出たものに対しては幾らでも協力する。」
 そんな話をした。
 腰が引けていて、遣る気がないと何も出来ない。
 居宅介護支援事業所に連れて行って顔を合わせた。
 初めて聞いたが、パソコンは出来ないようだ。厳しい。まだそれでも35歳。日本でも指折りの高級住宅街でクラブを経営しているママさんと同棲を始めたという。
だから、その地区で開業を目論んでいる。私に店舗を出させて自分はそこで働きたいと思っているようだが、余りに遠い。

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