お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(4912)立志伝敢闘編
19/02/05
2012年(平成24年)9月中旬。
『軽自動車ながら大きくて、ターボ・・・ちとガソリンがかかりますが・・・落着きましたね・・スカイライン・・・Z・・・ランエボ・・・でしたからね。』

『政治家 信用できませんね・・・ 』

 そうですか。そうですね。今までの実績を見ればそうかもしれません。しかし、法律を決めているのは議員であり、行政マンを動かしているのは議員です。行政マンの怠慢を追求できるのは一市民では限界があります。議員の一言は行政マンのクビが掛っています。

『だらしない怠慢な議員が多すぎ・・・昔、井戸塀議員って言葉聞いた・・今は自分のため・・メタボになり・・高級車に乗り・・愛人つくり・・・
議場では、ヤジとばし・・居眠りし・・携帯で遊び・・血税で飼っておくむなしさ・・国民は食い物・・選挙前ペコペコ・・・・日本沈没 』

 社員で先日40歳を迎えて「女を卒業した祝い」を敢行した。彼女はその時には既に精神的には落ち込んでいた。ひと月ほど前の健康診断で、 乳ガンの怖れがあるとの指摘を受けて、結果通知とともに紹介状と乳がんの専門科がある病院一覧が送られて来た。それを直ぐに見せに来た彼女に即座に
 「再診察に行く日程を決めろ。俺が付き添って行く。」
 そう言って、強引に決めさせた日がこの日だった。
 それまでの間、かなりの落ち込みや不安があったと後から聞いた。彼女は、私の跡を継いで居宅介護支援事業所の管理者兼ケアマネジャーとして働いていて、通知が来た時には既に日程が決まっていて10日後となった。
 朝10時に待ち合わせて出発。NPO法人常勤理事も同行する事になった。私一人では最悪の場合に対処できるかどうか心配していた。
 病受付を終えて指示に従ってマンモグラフィーを再撮影。
 「全く痛くなかった。」
 前の時、健康診断を受けた総合病院だが痛くて痛くてと言っていたが、さすがに最新の設備を整えているだけ有って、患者の意見を取り入れて痛くないような最新のマシンを整えているのだと思った。
次に、乳腺科のある外科で受付をして順番を待った。暫くして館内放送で、呼ばれてかなり時間が掛るので食事をしてくれと言われたが、待っている事にした。
 大分待って、12時が回り1時近くになった。彼女の前の方がそれまでの方と大分違って大きく時間を経過しても診察室から出て来ない。やっと、30分以上過ぎて出て来た時には、何とも言えない視線が定まらない。
若い女性だったが、座っている私と視線が合ったような気がしがが、視線をそらさず見つめているような感じだったが、遠くを見ているようで心ここにあらずのような感じだった。足取りは、一歩一歩崩れそうになるのを膝関節で抑えているような。どんな宣告を受けたのか予想が出来た。
 続いて、彼女だった。待っている間いつになく口数が多く、
 「自分でも意識して多いなと思っているんですが、不安で怖いんです。」
 そう言っていた。
返す言葉が見つからずに、返事が出来ずにいた。
 呼ばれて、足取りもしっかりして診察室に入って行った。あっという間だった。前の方から比べれば、あっという間だった。その間、実際は10分あっただろうか。戻って来たその顔を見た。
 僅かに笑顔だろうか、どうだろうかと判断できるかどうか程度の顔だった。隣に座って、
 「大丈夫でした。本当に良かった。」
 そう言って、泣きだした。
 声は震えているような、うれし涙を何度も拭いていた。
 「先生に話を聞きました。診察機器の性能や診察した医師の判断力などが有り、今日の結果では私は問題ないと判断するので大丈夫何の問題もありません、と言われました。」
 それから、
 「ここに決めて貰って本当に良かった。ずっと、落ち込んでいたんです。子供も小さいし、祖母も親も乳がんだったし、遺伝で自分もそうなるのかと思って。ネットで見ると、リンパなどへ転移しているかもしれないとしたら、乳房だけではなく内臓も切らないと行けないし・・・」
 ずっと、これまでの心の変遷を聞いていた。
 言って、これまで人に言えなかった鬱積していた不安や恐怖心を吐き出して貰いたかった。
 NPO法人常勤理事が長くなるだろうと思って珈琲を飲みに行っていたのだが、戻って来て朗報を聞いて万歳をした。
 「まてまて、喜びは分かるが先ほどの方のように放心状態の方もいるんだから。喜びはこの場では抑えて。」
 記念に沢山の喜びの顔を写した。
 食事時なので外に出た。もうすでに2時になっていた。みんな食事が終わって、飲食店はひと休みの時間だ。最初、木曽路で牛肉でも食べようと思ったが、昼の閉店時間で近くのシェラトンホテルに行った。そこも、やはりレストランは休みだった。デパートの飲食街に行ってお寿司にした。
 美味しい食事が出来た。記念にもなった。
 「この気持ちを忘れずに。」
 そう言って、その思いを忘れずに人の苦しみや悲しみを分かったケアマネジャーになって欲しいと言った。
 「自分がガンで闘病生活をしている間は、誰が私の利用者を担当するんですか。50人くらいいますよ。」
 そんな事を言ったり
 「必ず戻って来ますからね。いいですか、必ずこの会社に戻って来ます。」
 そんな言葉も言っていた。
 「私はまだ40歳になったばかりです。子供も小さくて、これからが心配です。」
 そんな話ばかりに集中していた、診断前と打って変わって、ずっと喜び万面の笑みをたたえていた。
 ついでに、ホテルに戻って喫茶店で高い珈琲とケーキとアイスクリームを食べて記念日として心に刻む効果はあったような気がした。

『その方は・・相手を思いやれる人になりますね。 』

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報