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トップハート物語(4816)立志伝敢闘編
18/12/07
2012年(平成24年)7月中旬。
 ipadの調子が悪く、結果的に1日記録する日が空いてしまった。朝から晴れ間が出ていい天気になった。いつもと同じ時間に起きて東京大学で行われる市民後見養成講座履修証明書授与式に出席する準備をした。久々のネクタイ姿だ。
スーツに伊達家御紋をあしらったものを胸に着けた。父兄として参加する社員6人はドームホテルに滞在。私だけ東京大学正門の前にあるフォーレスト本郷に滞在。彼女たちの出たという連絡で私もチェックアウトをして出た。
暫く正門前で待っているとタクシーに分乗して駆けつけて来た。みんな私がコーディネートした服装で来ている。まずは正門で並んでパチリ。満足。
 歩いて赤門前に行ってパチリ。通りすがりの方が
 「モデルさんですか。」
 と、聞きみんな
 「嘘でも嬉しい。」
 と、言ってみんな満足。
 正門を入った銀杏並木でパチリ、一人ずつパチリ。安田講堂前でパチリ。少し早めに入場の手続きをとった。中に入った、初めて入った。重厚というより、それほど装飾が施されていないので古い貧弱な講堂というイメージだ。
安田財閥が寄付したという歴史ある講堂で、滅多に入れない。一生入れないのが普通だ。社員が2階の父兄席から下りて来て何度か写真と撮ってくれていた。そのうちに、またまた恩師が私を見つけてくれた。一緒に写真を写して貰った。
 式は予定を1時間10分もオーバーして終えた。途中予定があるのだろうか、退席する者もいた。私もポリテク埼玉のクラス会があるので気が気でなかった。12時終了の予定だし、会場の池袋東武デパートにある関西料理「味の田や」に1時半に着けばいいので安心していた。
ところが、終わったのが1時10分。もう諦めて会場を出てから写真を撮る。ポリテクの恩師を待って社員と一緒に収まって貰った。恩師と言っても、私と干支が同じだが私より12歳も年下だ。
 親しく話す間もなく会場に向かった。結果的には30分遅れで到着した。予定していた全員が揃った。クラス仲間が20人と特別枠4人いたが出席者は講師を含めて12名だった。
やはり、介護関係の仕事をしているのでどうしても都合のつかない人がいる。それでも、その集まった中でもケアマネジャーが4人いる。独立してマッサージ店を営んでいる者や、まだ現場で訪問介護している者。デイサービスや特養で活躍している者。懐かしい顔が最初に入って来た。
 私がこの地に来てどうしてもパートナーが欲しかった時に誘った「陽子ちゃん」だ。全く変わらない笑顔が印象的だ。それから、入学して最初に隣に座っていた彼女もいた。まだ20代半ばだった彼女にとって20歳以上も年上で男性だった私しは恐る恐る接していたと思う。
それを、何の偏見も無く受け入れて呉れた。それがなかったら、私はここにいない。何しろ、それまで全く関係のない業界に飛び込み、それも介護だ。しかも男性だ。介護保険も始まっていなかった。その年齢の高い男が何故ここまでして来ることが出来たのか。それは、このクラスと講師の力によるところが大きい。
 楽しく勉強をし、すべての方向を介護に向ける。しかし、お互いに仲良く一生懸命に過ごした半年間。私の自宅の近所に住んでいた彼女も私より25歳くらい若い。彼女も来ていた。
みんな13年ぶりなのに全く変わらない。意識も気持ちも雰囲気も特徴もなんにも変らない。大病を患ったという彼女はその闘いの痕が見える。あの体重で圧倒していた彼女はかなり修正されていた。
移乗のみんなのモデルだった。幹事の彼女も相変わらずで関西の社員も驚いていたような速射砲のような間断ないしゃべりだった。
 男性陣は女性的な彼はケアマネジャーとして活躍しているという。あの時代から「ゆず」を推奨してクラス皆を引率してコンサートなどに行っていた。それでも、周りにはいつも若い女性が取り囲んでいたような印象だった。
男性というより女性として見ていた。優秀な技術を持ちながらその賃金の安さに耐えきれず転職した彼も遠く成田から来ていた。特別養護老人ホームで働いている彼は、卒業以来転職することなく勤め上げている。
それでも、13年経過してもまだ30代だ。
 そして、自分で指圧業を開業して2店舗を展開している彼。その特養の彼と2人、社員2名計5名で二次会、三次会を。終わったのが22時銀座のすし屋だった。


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