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トップハート物語(4777)立志伝敢闘編
18/11/18
2012年(平成24年)6月中旬。
今日はショックだった。これまでも、たくさんのアクシデントや人材問題で慣れては来ているが、それにしても嘆かわしい。実習型雇用で採用した者の、半年後の手続きが求められていた。
その対象者は、期待の人材であり、出来るだけ働ける環境と整えていた。大学卒業して直ぐに結婚して世間を知らない。夫の事業が行き詰って当社の求職者支援事業の介護職員基礎研修の講習を受けた。
卒業直後から当社への入社を希望してそのまま入社。クラスでも逸材として当社も目を付けていたのだ。相思相愛で採用した。直後、夫が自己破産して離婚。そのうえ、実家に戻ることになったのだがその家が遠方。
 電車を乗り継いで1時間半。当然交通費も掛るし、本人の通勤負担も大きい。まだ20代ギリギリだったので何とか継続勤務になった。お子さんが小さく、実家に戻ったとはいえ土日祝日休みで平日勤務のみで通常は夕方5時に帰る。
つまり、1日7時間労働で月間の労働時間は140時間台。それでも、社員として最低保証をしていた。その彼女の実習型雇用から正規労働者への移行の報告の書類を作成するために来て貰った。
彼女はその能力は高く評価はしている。ただ、勤務時間があまりに短過ぎるのだ。だから、報酬は据え置きとなった。そして、7月からサービス提供責任者として選任することも決まった。能力は決してそれ迄に到達していないが、勉強を兼ねてだと管理者は判断したのだろう。
 書類の作成が終わって彼女からもたらされた言葉は、
 「サービス提供責任者に選任されてもお給料は同じでしょうか。」
 普通だったら、頭に来て強い口調で言うのだが彼女は人材として捨て難いし当社を背負って立つ者だ。そう思って我慢した。
 「まず、皆さんと同じ時間を働くようにしないと評価の対象ではない。皆さんよりどの程度少ないかわかりますか。通常でも30時間少ない。そのうえ、通勤費も掛っている。それでもなにがしかの評価をして給与を高くしたらどうなりますか。みんな同じような勤務時間で評価して欲しいというと思います。」
 「子供が小さいですから、心配で5時に帰っています。もう少し、2年間は無理だと思います。そうですよね、こんなに早く帰ったんでは採用してくれないですよね。」
 「また、サービス提供責任者として何ができますか。ケアマネジャーの顔も名前も知らない。訪問介護計画書も作ったこともない。シフトも分からない。技術は登録ヘルパーさんの方が上。サービス担当者会議に出ても、法律も規則も勉強していないから分からない。名前だけのサービス提供責任者で資格だけ持っていても何にもならない。サービス提供責任者とはどんな仕事をするか知っているんですか。」
 「いえ、知りません。ネットとかでみれば分かりますか。」
 「サービス提供責任者の業務と検索してみてください。この会社は、何もしなくても温室のように育っているから、本来のサービス提供責任者の仕事ができない。単なる、ヘルパーさんへの連絡役ではどうしようもない。それができなければ評価などできない。」
 「分かりました。」
 少しでも柔らかくと思って話をしたのだが、かなりショックを受けているような感じだった。
 私もショックだった。彼女レベルは自分の評価をきっちりしてから要求するものは要求するものだと信じていた。いつもの私のセリフである、自分はいくら稼いでいるのかという言葉は言わなかった。
 売り言葉に買い言葉はなるべくしないようにしているのだが、あの辞めたバカ者が他の者を通じて離職票などを要求して来たのだが、退職前からそのような物を要求して来た。頭にきて、
「約束した、営業先の引き継ぎをしろ。」
と言った。
全く何もしていなくて、報告など出来ないのは分かっているのだが、2か月間だけでもバイク購入など人件費と諸経費を含めて100万近く使った。


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