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トップハート物語(4730)立志伝敢闘編
18/10/24
2012年(平成24年)5月中旬。
前夜、京都市民後見センターの代表と愛知豊橋の代表の方と懇談を持った。その予定の為に、一日帰りを延ばし宿泊した。ドームホテルに宿泊したが、夜はそういう訳で飲んで美味しいドームホテルのバイキングを食べられなかった。
朝は、京都「たん熊」の朝定食を食べた。驚いたのは、その店で食後の珈琲を頼んだがコーヒーカップが信じられないほど珈琲の垂れた汚れで、汚かった事だ。余りに汚いので、指摘して下げて貰った。
取り替えたのか、拭いただけなのか分からないが不快だったことは確かだ。600円もする珈琲なのに。
 朝起きて外を眺めると、目の前に東京ドームが見える。6時頃だというのに人が並んでいる。何だか分からないが、並んでいた。暫くしてみると並んだ列が長くなって折り返す様な感じだった。その都度確認すると、益々長くなり一番後列が見えなくなっていた。
あとから、何のイベントがあるのかネットで調べて見ると、訳の分からないグループのコンサートのようだ。聞いた事が無いのだが、若い女性だけが長蛇の列を作っていたのだ。その開演時間を見ると午後3時だというが、そうすると9時間も前から並んでいたのかと驚いた。
 お風呂に入ってから、10時半にチエックアウトした。タクシーで東京駅に向かって、早いので横浜に行く事にした。東京駅から東海道本線で横浜に向かう。途中、私の懐かしい過ごした町の駅を通過する。
品川は40年前に勤務し始めた土地で13年間通勤していた。今は開発された東口にあったビルに勤務していたのだ。大井町は先日訪問した一番懐かしい、結婚する前の4年間過ごした町だ。
大森は、最初の会社を辞めて勤務した会社の寮があった。荷物を送って一日だけ過ごしたのか記憶が定かではないが、荷解きをせずに直ぐに部屋を見つけて引越した。それが大井町だ。その会社も3日間で辞めた。何と無く気が進まなかったのだ。
 次の蒲田は、仙台から上京して就職した次の年から通った日本電子工学院がある。その次の川崎は、仙台から出て来て初めて勤務した会社があった。そんな思いに耽っていると、目的の横浜に着いた。乗り換えて桜木町に。荷物をコインロッカーに入れて歩き始める。
 30年以上来ていない。当たり前だがビルやホテルが林立して変わって仕舞った。赤レンガ倉庫に行った。若者が沢山居たが、何も興味が湧くものが無かった詰まらないイベント会場的だった。
山下公園に行って、『赤い靴履いていた女の子の像』で写真を撮り、中華街に。直ぐに「招福門」に行って1時間並び飲茶などの食べ放題を食した。お腹が膨らみ過ぎて歩くのも大変だった。再び戻って、新横浜から新幹線で戻って来た。
 昨夜、またあのバカ者からメールが届いた。月曜日の11時頃時間が空いているかというのだ。用事があるので時間を取って欲しいという。何も用件を言わないのがこの地の流儀らしい。
先日も、しつこいくらいに何度も時間を取ってくれと言って来た。何の用事だと言っても言えないと何度も言って来る。無視すると、自分と子供の事だという。仕方がなく会うと、録音して話しをしたいという。アホか。
 今度は退職の話しだろうと目論見をしていたが、確定はしていないので時間が勿体ないので、用件を言え。他の者達は仕事をしているんだぞというと、やはり、退職したいという。今月一杯で、色々ぐちゃぐちゃにして申し訳ないという。 
 何を言うのか。先週、メールで
 『営業やケアで駐車する処が無く、駐車料金が嵩んで仕方がない。バイクを手当てして下さい。』
 そう言うので、そんなにケアや営業をしているとは知らなかったとメールを返信すると
 『済みません、それほどケアには入っていません。』 
 と、言って来た。
 ケアに入って居ないのは分かっている。週1回30分のデイの送り出しの生活援助だけだ。問題は、営業なのだ。その点は意識して何も言わないでいる。私は営業をするようにと言っているのだ。
育児休業を早々と切り上げて、強引に戻ってきた。配置する処は無く、旧所属の大東本社は拒否。仕方がなく、新たに大阪市に設置した事務所に行かせた。ひっかきまわし自分勝手に動く、判断は滅茶苦茶、仕事はしないで話しばかり。
この地区の事務所ばかり幾つか出入りして、如何にも忙しそうに振る舞うし、沢山ケアに入っているような事を言う。回りは本気にする。


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