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トップハート物語(4721)立志伝敢闘編
18/10/19
2012年(平成24年)5月初旬。
 私は余り毎日の世間の事象を捉えない。しかし、今日のニュースでは竜巻被害の余りのすざましさ隠れているが、若者の無謀運転でまたしても学生の集団に車が飛び込む。重ねて、狭い車の入れない商店街にスピードを出して走行しあて逃げやひき逃げを繰り返した事件もあった。
「若者」とはこんな奴等に当てはまる言葉では無い。本当にこの世の中はどうなるのだろう。将来が不安でならない。
 朝、移動中に、居宅支援事業所の管理者兼ケアマネジャーから電話があった。
 「相当昔の事ですが、Iさんて覚えていますか。13年前に佐藤さんにお世話になったと言っていますが。」
 「ピンと来たのは、確か川の傍の家で近くに大学のボートの練習場があって保管倉庫もあった。」
 「そうです、住所的にそうです。」
 段々と思い出して来た。
 「確か、他の県で入院中にこの市の実家に戻るので当社のケアを受けたいと連絡があった。どうして、そこから連絡があったのかな。思い出せない。ただ、家が建設会社でありながら住宅改修を依頼して来た。依頼したようなかたちに出来あがっていないとクレームがあった。そうだ、骨折して認定を受けたが結果的に短期間でケアが終わったと思う。」
 「誰がケアに入っていましたか。」
 「13年前の当社が訪問介護を始めたばかりの時だったし。だれだったかな。」
 隣で、聞いていたNPO法人常勤理事の智子さんが、
「Oさんだ。」
と声を掛けて来た。
既に在籍していない。
 段々記憶が蘇って来た。娘さんが住んでいる隣の県に遊びに行っている時に転倒骨折。こちらの主治医となる総合病院で当社を紹介受ける。その県のケアマネジャーが同行して来た。担当者会議を開催。印象の悪いケアマネジャーだった。
 「実は地域包括支援センターから、お宅のケアを受けたいと希望されているとケアプランも依頼されました。」
 私も久々の昔関わった方からの依頼に喜んで、隣のNPO法人常勤理事の智子さんと
 「やはり人の為に生きれば必ず自分の為になると実感する時が来ると言っている私の考えが表に出た。」
 実は、その私がケアをした本人は要支援だったが夫が要介護2だという。どんな方か事前に情報が欲しかったようだったが、旦那さんとは会った事が無かった。
 NPO法人常勤理事の智子さんに話しをした。
 「13年前にケアをした時には訪問介護しか無かった。ケアプランセンターに地域包括から依頼が来たという事は、ケアプランセンターと訪問介護事業所が一体だと知っているという事だ。折角ブランド名を替えて事務所も別に設置しているのに、それは困った。」
 午後ケアマネジャーが訪問して来たようだ。その結果は、メールで来た。
 「佐藤さんの話しで大いに盛り上がりました。ただ、要介護2の旦那さんは相当の曲者です。」
 そう言って来た。
 朝から連休を終えた社員が次々訪問して来た。やっとの思いで、事務所を出て法務局に向かった。車で40分は掛かる。銀行に立ち寄り、次の予定まで時間があるので喫茶店にでもと思ったが、
「契約書に押す代表者印が欲しいので、お願いします。」
という電話で休まず戻った。
戻っている途中から登記簿謄本が欲しいと言っていた社員からの電話だ。2通欲しいというのだ。貰って来たのは1通だ。引き返せばいいのだが、ケアカンの時間もあるので戻れない。結果的にはケアカンが終わって夕方ギリギリに法務局に飛び込んで事なきを得た。
 先月入社した社員にNPO法人の加入に関して説明を個別に行った。私が説明した2名は加入となった。もう一人、新規事業所に入った者は遠いので会員となっているバカ者が説明をしたのだが、
「会費は何に使うのですか。」
と言われて説明が出来なかったようだ。
 朝、そのバカ者からメールが来た。
 「営業やケアで車を停める場所が無く、駐車料金がかさんで居ます。バイクの手当をお願いします。」
 このメールの前段がある。
 私が今日から営業をするように指示した事に対する返信だ。

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