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トップハート物語(4698)立志伝敢闘編
18/10/08
2012年(平成24年)4月下旬。
『なんとかしろ!
そのうちバチが当たって、病気か事故で死ぬでマジ!
なかなかいい事、言ってんだからよ。
糞料金も昔に比べりゃ、とんでもない高さ。
電車の中での携帯・買い物しながらの携帯(客が後ろで待っているのに、片手で金を出しやがる!)etc.
誰かこういう馬鹿を殺してくれないかと、思うときもあるくらいだわな。 』
このような、相談ともクレームともつかないメールが有った。
『ビックリ、驚き。
私では、非力です。
教育の荒廃が、こんな結果をもたらせたようです。日本人にあった、礼儀や相手を思いやる心は家庭や学校環境で破壊されてしまったようです。戻るには、同じ期間が必要です。実現不能で、身につまされて気付かせるしか修正は効かないように思います。
私が出来るのは、社員教育だけです。力不足です。 』

ゼミが中止になったので休養を取る事にした。昨夜からいつものホテル「フォーレスト本郷」に宿泊。余裕のある心で過ごすつもりだった。時間的には問題がなかったが、腰が痛い。
ここひと月の間、何か不安な違和感があった。あの2年半前に入院を余儀なくされた、脊髄分離ズレ症が発症した時のひと月前の違和感に似ているのだ。椅子に座って居られない。痛痒い感覚だったのだ。
 そして、昨夜調子に乗ってリラックスするための椅子に腰を掛けても一つの椅子を足元に持って来て、背中を椅子の背もたれにもたれて足をもう一つの椅子に乗せた。それが悪かったようだ。背中が湾曲して、分離部分が再度ずれたのでは無いのだろうか。違和感を覚えて、出かけた。
 妻に事情を話をして、今日会う事にしたのだ。本来は、日曜日の夜に帰って月曜日の朝早くに戻る積りだった。早朝に戻るという事は、平日なので東京駅まで満員電車に乗車する事になる。一番嫌な満員電車だ。現役サラリーマンの頃は、一番電車に乗車して通勤したほどだ。それほど嫌なのだ。
 それを、解決するために日曜日に帰る事にした。妥協案として、今日の昼に一緒に食事をする事にした。赤羽駅に行く事にした。赤羽は長男が誕生して新松戸に転居するまでの4年近く過ごした街だ。
出来れば、住まいのあった北区志茂に行って見たいと思った。
ホテルを出て、歩き出した。目指すは千駄木。
千駄木の団子坂下は、私が34才の時に最初の創業をした土地だ。辞めてから、25年近く過ぎ去っている。行ってどうなっているのか、映像に収めていたいと思っていた。
腰が痛いのを感じながら、歩く。途中、根津神社に差し掛かりお参りした。さらに歩き始めて、目的地にすんなり着かず回り道したり戻ったり。ひどいのは何と出発点に戻ってしまうミスを犯した。
詰まり、広い東京大学本郷キャンパスや農学部などを一周回った形になってしまった。
 しかし、そのお陰で「弥生式土器発見場所」の碑を見つけた。実は、探したが地図上にその位置の表示がなかったのだ。道に迷って、行く時は見逃したものの間違いに気づいて不満タラタラで、当たり散らす相手も居なくて、と気づくと目の前に石碑が。行く時は、壁に囲われるようになって隠れていたが戻り時には、完全に視界に入りシャッターを切った。
 足は、マメらしいものが感じられた。私は、1年中裸足だった。一路千駄木を目指すがまた迷う。戻りつ行きつ、迷いながら通り過ぎる。また。戻る。ここいらへんだと思ったが、はっきりした位置が分からない。
あったはずの、珈琲館がない。景色も変わっていて、どの位置かはっきりしない。それでも、時間を掛けて思い出し、珈琲館がサンマルクに代わっていたと気づくとあとは記憶が戻って来た。写真撮り、あまりの代わった風景に感慨も浮かばない。
平屋で古い事務所は綺麗なマンションに代わっていた。
日暮里駅に向かう。坂を登って、所々にある名称旧跡を見る。山岡鉄舟の墓所、三遊亭円朝の墓所、廣田兼太郎の墓所。江戸時代を思わせる店々。腰が痛いので、ゆっくり歩いて駅に。
その間、妻からメールが届く。長男が整体に行って、遅れるとの事だった。待つ間もなく、赤羽行きに乗車。既に昼を回り、1時に近付く。駅のホームのベンチで休む。全く来る気配もない。暫くすると、やっと家を出るとの連絡。
改札を出る。全く違った風景に、改札口を捜した。長男を抱いていつもこの赤羽駅に来て電車を見せていた。その記憶はないと本人はいうが、新松戸に越して物心ついた時には電車にはまっていて、かなりのお金を使った。そのうえ、京都の梅小路電車機関区に行った。
 周りを回って、何十年前の記憶と整合させていた。駅は大きく変わっていても、駅前の繁華街は大きくは変わっていなかった。つぶさに歩いて、私が居住していた頃は何もなかった西口のイトーヨーカ堂に行った。
あまりに高齢者が目立って、ショックを受けた。歩き歩いて、来るのを待った。何と、事故で遅れるというのだ。電車で来ると分かったので、住んでいた志茂の行くのを諦めた。駅から、20分は掛かる。その上、もう歩くのが限界。
 遅れに遅れて、来たのは2時半。寿司屋か中華料理か迷ったが、駅隣のホテル内にある中華飯店に入った。
30分後にラストオーダー、1時間後には退席を求められた。
「このあと、お茶でも飲むか。志茂に行くか。」
「腰が痛いなら、このままホテルに戻ったほうがいい。私は子供と商店街を回って来るから。」
そう言われたら、帰る他ない。
 戻って、上野駅で降りた。公園を横切って、不忍池を尻目にホテルを目指した。疲れ、腰が痛くて翌日が心配だったが強行した。
 主治医にも家族にも、太り過ぎを注意されていた。その事が、やはり頭にあって。食事を制限始めた。明日は、20才頃から結婚まで住んでいた品川区の下神明駅に行ってみようと思う。

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