お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(4671)立志伝敢闘編
18/09/24
2012年(平成24年)4月上旬。
 平成12年6月から平成18年8月まで、訪問介護と自立支援のサービス提供責任者をしていた。そのハードな業務は自分の今の糧となった。一目散に、ただただ利用者の希望を受け入れて必ず対応する精神を植え付けた。
 一昨夜、突然社員が、
「子供が高熱を出してしまって予定されていたガイドが出来なくなりました。」
と大阪市の新規事業所の管理者に申し出て来た。
管理者は経験が無いのと直ぐに対応出来る手持ちのガイドがいないので私に相談して来た。悪い事に、新規事業所の社員は研修対応、ガイド2名など既にシフトに入っている。
誰も動けない。私も既に現場から離れて相当過ぎているので依頼を掛けるヘルパーさんは限られている。その誰もが、無理だった。仕方が無く、介護管理者に選択を依頼。ついに、確保できて今日彼女を連れて利用者宅に行った。
 台湾から18歳で日本に留学。1年半日本語学校で日本語を学び青山学院大学に入学。東京で生活を送ってこの大阪に来た。当社の隣に出来た高級マンションの最上階に住んでいて、大金持なのだがヘルパーをしている。
そのマンションには水島ヒロと絢香が住んで居て、あの伸助も部屋を所有している。その事実も、彼女に聞いたら本当だという。
 やはり、外国の方は女性でも働くという意識が強い。日本人は、専業主婦などという言葉が羨望されて、職業として本格的な仕事として介護は考えられない。しかし、彼女は当社の研修を受けて2級ヘルパーの資格を取得して仕事を始めた。
慣れない仕事に当初はクレームがあり、私もその対応に苦慮して外すように何度も介護管理者に指示した。介護管理者は認知症の方に援助に行かせていたのだ。私は、認知症への対応はコミニュケーションが全てだと思っている。そのコミニュケーションは昔の話しに集中する。
それが出来ない。日本の昔の話など分からないのだ。それでも、介護管理者は出し続ける。
 8時半に待ち合わせした。数年前に私が初めてケアマネジャーとして会った時から大分経過しているが、別人のような印象を受けた。それ以来、ほとんど会う事が無いので印象が違う。私が思っていたのと同じように、同行したNPO法人常勤理事の智子さんが
 「綺麗になりましたよね。別人の様ですね。」
 そう言っていた。
 車で軽度の知的障害者の自宅に向かった。30分弱の移動時間内に、色んな話をした。お子さんは、医大の大学院に行っているようで今年卒業の大学生も理工系なので就職が出来ているという。
日本語が怪しかったが、余り気にならないくらいに上達している。台湾の話しや親の話しなどを聞いて、大丈夫だと安心した。そして、利用者が住んでいるマンション前で待っていると出て来た。
先日も、私が挨拶すると耳をふさいで不快な意思を表す行動を取った。同じように、新たなヘルパーさんを紹介するのに挨拶をすると、耳をふさぎ持っていた支出を書き入れるノートを路上に放り投げた。
 傍によって、肩に手を置いてヘルパーさんを紹介して
 「大丈夫、私はここで帰るから。宜しくお願いしますね。」
 そう言って、バトンタッチ。
 もう既に青年から壮年に替わる年代なので男性は拒否。引き継ぎして、直ぐに手をつないで駅に向かって歩きだした。その光景を見ながら、母親の優しさが感じられて、これは大丈夫だと思った。
 事務所の戻りながら、これからNPO法人常勤理事の智子さんも精神障害と視覚障害を持っている利用者に対応するので僅かな時間を、業務に不安を持っている彼女にアドバイス。
 「私大丈夫かな。失敗ばかりしているので、きっとクレームが来る。」
 「何をそんな事を考えている。いちいち意識したら、疲れてしまうし取り繕っても直ぐに化けの皮がはがれる。普段通りの対応でいいから。ただ、相手の言葉を否定してはいけない。どんな言葉でも受け入れて、ねぎらう言葉に終始するように。相手は、産まれてからずっと盲目だし精神状態が安定している方がおかしいから。どんな事を言われてもどんなおかしいと思う事を要求されても、おかしいと思わないように。その方の精神状態を考えて受け入れるように。それを求めているんだから。」
 それでもしきりに出来るかなと心配している。
 これまで多くの事業所が初日で契約解除になっているのに、彼女はこれで3日目だ。当社としては6日目だったのだが、順調に対応している。
 「報酬が1時間当たり5000円近くだから、凄い仕事をしているという自信を持って。」

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報