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トップハート物語(4618)立志伝敢闘編
18/08/23
2012年(平成23年)3月上旬。
 どうした事だろう。2000文字に掛かる辺りまで打ち終えて、投稿をしようとした瞬間フリーズしてしまった。その、投稿しかけた内容はあの3.11で亡くなった同級生の事を中心に書いた。彼が傍に居るのだろうか。もう一度、書き込んだ内容を思い出しながら書き綴るので見ていて欲しい。内容が駄目だったら、もう一度フリーズさせて欲しい。
 日曜日辺りから、あの3.11に関する特集がNHKを中心に放送されている。その中で、一番多い出演や長い特集を組まれて主演しているのは同級生の南三陸町の町長だ。
しかし、彼は生きていたからこそそのように時の人のような扱いになっている。私の亡くなった同級生は、その地域の商工会の理事長だった。そして、同じく部会長をしていて二人とも全国に先鞭をつける実績を残していた。
その同級生の南三陸町志津川の家に泊まりに行ったのは、随分昔だった。それからも、交流を続けていた。奥さんも結婚前一番に東京で紹介を受けたのは私だった。
 その彼の記事が掲載されていると仙台の先輩からメールが来た。どんな内容か聞くと、その紙面を送るという。送られて来たのは数か月前だった。しかし、その封を開ける事は無かった。
辛いのを目のあたりに出来なかったのだ。気の弱い私は、小さい頃から怖がりで引っ込み思案だった。本をよく読んで居たが、歴史やノンフェクションが好きだった。しかし、戦争などの写真は見られなかった。旅行で長崎や沖縄に行ったが、戦争の記念館や博物館は行けなかった。
 胸が張り裂けるような思いになるのだ。しかし、この日曜日辺りからテレビで3.11の特集などが放映されると、それを見る。その中に、必ず南三陸町の町長が出演している。その頻度は高い。
それを目にしていると、同じ同級生の亡くなった彼をどうしても思い出してしまう。今日、その封を開けた。新聞が入っていた。大きな記事があった。活躍して、あの災害に遭った人材を取り上げていた。
彼の写真がカラーであった。茶髪にしていたのだ。ここ10年、私がこの大阪に来てからは電話か年賀状くらいのやり取りが精一杯だった。
 彼と過ごした教室での事や生徒会での事が浮かぶ。長い年月の間に、私は転々として彼はどっしりとして家業を守って拡大していた。亡くなった経緯は、私が同級生から聞いていたことと同じだった。
親を高台に逃がして、戻って来て店を守る積りだったようだ。防潮堤を信じていたのだが、その防潮堤を遥かに超える津波が彼と彼の妻を襲った。ひとたまりも無かったのだろう。その波に襲われて、その一瞬を考えると辛い。
私も、2年前、突然敗血症に罹患して死の可能性を告げられて、直ぐに手術だと告げられて何をどう行って良いのか考えが言葉に出なかった事を思い出した。
 有無を言わずに、死に向かう。傍には妻が居て、手の届く位置に居ながら何も出来ない、意識が薄れて行く。人生は偶然の積み重ねだ。どこでどうなるかは分からない。そんな思いをずっと抱いていた。
 午後から、遠くの関西電力病院に定期健診に出た。NPO常勤理事に連れて行って貰ったので、終わってから遅い昼食をファミレスで摂った。その時にも、私の様子がいつもと違っていたと感じていたのか、彼女もいつもと違って大人しくしていた。暫くして、その雰囲気に気付いて私が話しをした。
 「人間の人生なんて偶然の連続だ。俺も、このようなファミレスに勤めていた。しかし、前の自動車関連の会社の上司の罠に掛かって辞めてしまった。自動車関連に居た時には、俺に相当な教育費をつぎ込んでレベルアップをさせたのだが、これからその資格や能力を生かして働いて貰おうと思っていた時に退職した。心臓に疾患があった。働き過ぎとタバコの吸い過ぎで、このままでは死に至ると医者から言われた。そして、転職先に自動車関連の会社の役員からある団体で働くようにと勧誘を受けて辞めた。ところが、辞めた途端、連絡が途絶えた。生活の糧を失うようにという嫌がらせだろう。ところが、その会社を辞めたお陰で次の証券会社に入った。しかし、不況が襲って早期退職。その会社に外資系が入ったので、退職金が多額だったので今がある。そのほかにも、色々あるが。偶然が重ならないと今のおれは無い。」
 「私も佐藤さんを知りあわなければ、今頃プー太郎でいたと思います。」
 そう聞きながらも、彼の事を思い出していた。

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