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トップハート物語(4539)立志伝敢闘編
18/07/13
2012年(平成24年)1月上旬。
 今日から今まで通りの出勤なので、事務所での記録記載だ。
 3日も、箱根駅伝を見た。7時までに、洗面などの必要な事を済ませ朝食を摂ってテレビに相対した。朝食は、いつも簡単に済ませる。秋に秋刀魚200本を三陸から取り寄せてみんなに配ったが、私も10匹ほど手に入れて冷凍していた。
それを溶かしたものを1匹とクリスマス会の時のお土産であるのりの佃煮、年末の煮物の残り。10分も掛からずに終わる。母親から送られて来たお米なので、美味しい。おかずは何でも食べられる。
 箱根駅伝は山下りが始まり、応援している早稲田の戦いに期待を持った。私は、中学時代から箱根駅伝を愛した筋金入りのマニアだ。当時の放送はラジヲだった。就職してからは暫く応援が途絶えたが、結婚して子供が生まれ落ち着きを取り戻した頃には、ダイジェストや一部の区だけの放送をローカルでやっていた。
それが、日本テレビでするようになってから大勢の観衆がお正月の風物詩として道路に出て応援するようになった。
 始まって、直ぐに分かった。もう駄目だと。期待は外れた。腕の振りが山下りに相応しくないのだ。その後、どんどん離される。期待の総力を持ったメンバーが次々離される。
思えば4年前、高校長距離のベスト4が早稲田に入学した。黄金時代の到来かと言われた。しかし、結果は昨年の優勝だけだった。資質や実績だけではなく、必要なのは向上することと怪我をせずにいつでも最高の力を出せる事だ。
 途中でがっかりして、昼食の用意や掃除機を掛けた。見る必要性も無くなり、2時頃に始まった箱根駅伝の特番の時には眠って仕舞った。3時前に起きて、出勤した。メールを確認する。
 昨年、突然彼氏が出来たと報告がありクリスマス会の出席を巡ってひと悶着あった。彼女がクリスマス会と同じ日に彼氏過ごすか、会に出席するか悩んだ末に介護管理者に相談。
私はその相談結果を知らずに、名簿を受ける。230人程度の参加だったが、彼女の項目に兄として氏名や年齢など書いてあるが、住所が彼女の部屋だった。彼女は、家に居るのが嫌で出たのは昨年だった。その時に転居の相談を受けて、私が居る事務所の同じフロアを紹介した。私の紹介なので、紹介料は無く保証金も半額だった。
 彼女と知り合ったのは、もう何年前だろう。思い出せないが、昨年ケアマネジャーの試験を受けたのだから6年目か。当社の訪問介護員講習2級を受けて資格を取得した。当時、あるメーカーの受付嬢をしていた。
将来に不安を持って、資格を取ったが直ぐには仕事に就かなかった。転職にも不安があった。受付しているとちやほやされる、しかし年齢が行けば辞めざるを得ない。その時に何が出来るか、そう悩んで居たのだ。当時24歳だと思う。
 それから、半年後退職して当社の社員となった。しかし、仕事に対する姿勢はいい加減で使い物にならなかった。サボる、仕事中に家に帰る。休憩時間になっても出勤しない。半年も持たずに退職。施設に行ったのだ。それも、評判の悪い施設だ。
 数年後、当社の仕事が忙しくなり登録でも何でも猫の手も借りたいくらいになっていた。それでも、いい加減な人材は使いたくない。どんな技量があるのか分からない人材は下手に勧誘出来ない。
そんな中、私が彼女を誘ったのだ。施設での勤務時間外で働いてくれるようにお願いした。当時、既に一緒に勉強した同期の者が支援費の管理者となっていた。使い辛いのか、全く無視して業務を依頼しない。
その為に、介護の方に紹介した。段々と、馴染んで来た。特に夜間や困難事例を引きうけてくれた。講習の助手としても活躍するようになった。
 いつの間にか、当社の同年代の社員と懇意に成り、ヘルパー会議やケアマネジャー受験対策講座などを受けるようになった。もうすっかり当社の社員に戻ったようだった。一昨年、常勤の人員不足から戻って来るように言った事があった。
 「あの施設は私が居ないと駄目に成る。入所者も私を頼っている。いま、辞める事は出来ない。」
 そう言っていた。
 凄い自信だった。
 昨年は、
 「辞めるには理由や切っ掛けが欲しい。」
 に替わった。
 そして、クリスマス会に兄と称して申し込みをした。
 その兄が彼氏だと私に指摘された。兜を脱いだ。謝罪して、出席を断って来た。それを、説得して参加させた。
 2日、メールで当社に来たいと言って来た。その日時を打ち合わせてメールが来た。4日、面談をする。成長して有能な人材になって戻って来る。施設に出て戻って来るのは、先日第一子が誕生した本社サービス提供責任者に続く。その彼女からも、電話があった。5日に来たいと言う。

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