お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(4167)立志伝敢闘編
18/06/05
2011年(平成23年)11月上旬。
 隣市の市営住宅の空き室を利用して、コミュニティービジネスを展開するコンテストが開催された。今回のプロポーザルの応募は3団体だった。5団地に対して、3団体の応募だった。
公開プレゼンテーションが中央公会堂大会議室で仰々しく行われたのだ。報道陣や一般傍聴席も設置されていた。審査の4人の知識人も最前列に並んで、定刻の2時に開始された。型どおりの主催者の市役所のお歴々の挨拶が10分程度あり、いよいよ提案内容の発表だ。一団体8分の持ち時間だ。私が先鋒となった。
 この日の朝、提出資料に目を通した。日々時間に追われて、自分が作成したとはいえ充分な時間で見当構築した内容のものではないので、自分の言葉でどう表現するかを肉付け居ていなかった。
ただ、日頃いつも思っている内容なので、どう説明するかの表現を確認する時間を要する必要はなかった。一応の裏付け資料を準備しないと行けないので、その点に時間を少し取られた。
介護サービス提供責任者が10時過ぎに来た。新米を配ったが、そのお礼と新たな注文だ。折角来たので、新人社員の様子や彼女には長い付き合いのある方が居るので、
 「もう結婚しないと、どうしてしないんだ。」
 そう言って、問い質したりして居た。
 やはり、それぞれ人には事情があるもので、この日本の経済情勢の中で苦悶している人が身近にも沢山居るのだ。
 話は飛ぶが、先日、仙台の母親から米や海産物など地元のものが送られて来た。その時お添えられた手紙に、仙台に居る工務店をしている弟の事が記されていた。震災の被害は小さかったものの、苦しい生活が一変してこの震災特需で寝る間もなく仕事が入って来たと言っていた。
また、昨日、妻から連絡があったが12月に沖縄に旅行に行って来るといいう。自分の身内がある程度この経済の波に飲み込まれていないことと、身内ではない他の人との比較をしてしまっていた。
 長い時間止め置いてしまって、1時間後に退室した彼女を送ってからまた机に向かったが、やる気が無くなりプレゼンテーション会場に向かって出発した。歩いて20分程度の私鉄の駅に向かう。12時前に会場近くの大阪市役所の建物に入り、食堂に向かった。
何千人もの職員が一堂に介し食事を摂るので、スペースがあるので食事をしながら資料を読もうと思っていた。550円のレトルトの味がするカレーを食べて、1時間ほど資料を読んだ。
一番苦労するのは、導入部分の言葉だ。やっと決まって、一旦文字にして書いた。次に、言葉にして出してみた。大丈夫だと思って、少し早いが食堂を出て隣の図書館の裏になる中央公会堂に向かった。
 大きな川のほとりにあるが、臭い。汚れている川の臭いだ。外にセットしてある、パラソルがある席に座って資料を読もうとしたが、同席するNPO法人常勤監査役の70歳爺さん社員が声を掛けて来た。
折角最後の勉強をと思って45分も早く来たのに、仕方がなく資料を仕舞って話し始めた。話題はやはり仕事の話しだ。研修の大口である就職支援の選に2回も漏れたので、新たな研修提案をして来た研修担当高学歴社員がその提案に沿って何をしているのかを確認したが、
「何もしていない。」
という事だった。
 怒りが言葉になって、
 「もうあいつは辞めて貰わないと。」
 そんな言葉になり、気付いて止めた。
 これから、プレゼンテーションが始まるのに折角言葉をどう表現するか覚えていた事が、すっかり忘れてしまう恐れがある。それを思い起こして、冷静にと言い聞かせた。
 今度は、18日から当社の研修センター会場を使ってアパレルの展示会をする事になったが、その案内するチラシの原稿を送って貰うように何度もメーカーに言っているのだが、一向に来ない。
斡旋をして貰っている先輩にその話をしていたのだが、間の抜けたデータを送って来たり一向に進まない。もう時間がない。何度も電話やメールで話をしたのだが、何も来ない。その件について、先輩から連絡が来た。話しをしていても、先ほどと同じように怒りが起こって来て言葉になった。
 「どうしてこんな程度の人間ばかりなんだ。販売する気持ちがあるのか。もう日も無いし、期待されても困る。」
 そんな感じだったが、担当者が会場に入るように促して来た。
 始まるまでは緊張していたが、始まってしまえばそんなモノ関係がない。当NPO設立の経緯。案件の概要、その裏付けの話しをした。

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報