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トップハート物語(4145)立志伝敢闘編
18/05/25
2011年(平成23年)10月下旬。
 いつもの時間に、埼玉の自宅の自分の部屋で起きた。お湯を沸かしコーヒ-を淹れ、妻が起きて来ないように静かにipadを開いた。打ち込む事1時間。新聞を郵便受けから持って来て、広告を読む。
以前多くあったヘルパー募集は余り無い。施設関係は病院と共に結構ある。時給は当社の方が高い。そんなことを確認しながら、テレビを点けると妻が2階から下りて来て食事の準備を始める。
 「折角、田舎から持って来た山紅葉がとうとう枯れてしまった。」
 という。
 毎年、深紅の紅葉が目を引いて近所の散歩する方達が思わず歩を止めて見とれていたのだが、残念だ。
 「顕紀(次男)の家がやっと完成したとメールがあった。予定の8月末から2か月遅れだった。被災地の手当が優先で、資材が手に入りにくくなって遅くなったんでしょう。」
 そんな話もあった。
 子供の為のとはいえ、頭金にと500万円ほど振り込んであげたという。
 朝はサンマの焼いたのと、昨日の残りの刺身と鍋のお汁。
 「米を今度扱うようになったので、送るから。新潟県のブランド米で幻の「菅谷産」だ。」
 そこで、今度扱う商品のアパレルや北海道の野菜、愛知県の知的障害者施設で製造するワインなどの話しをした。
 おばさんや近所の方達から何度か電話があり、結構寂しくなく過ごしていると安心した。
 長男は、昨夜遅く会社から帰って来た。まだ眠っている。日曜日で休みだが、午後から出勤するという。月曜日から私の事業展開している大阪に出張だという。妻にも話をした。
 「仕事が無いと困っている処が多いのに、忙しいのはまずは結構だ。俺も、あの年齢の時には死ぬほど働いた。体に変調が無いのかな。」
 「かなり疲れているような感じだ。」
 「それで、慌てているような感じで東京に物件を探していたんだ。東京営業所を作るが、俺に資金的余裕が出来てからと言ったのに勝手に進めていたから、ストップさせた。どうしてこうも勝手に進めるのかと思っていたが、体が相当疲れていて、帰宅することすら簡単に出来ないような身体的状態だったんだな。」
 体を気遣いたいが、仕事が無い若い者が多い中忙しいとはいえ報酬も普通の同じ年代の3倍は手にしているので、辞めるか続けるかの選択肢しか無い。
 「俺も、あの時にはこのままでは死にますよ、と言われた。体の問題で2度も退職している。」
 そんな事を思い出しながら、箸を進めた。
 食事が終わっても、何もする事が無いし面白くないテレビのチャンネルを替え続けた。
 長男が起きて来たのは、11時過ぎだった。昼を食べて帰るか、そのまま出て新幹線の中で弁当を食べるか考えたが、長男と一緒に食べる機会を持った。IT関係の仕事をしているので、iphoneやipad等の操作を来た時に少しずつ教えてくれたり新しいソフトをセットしてくれたりしてくれる。
 昼前に、仙台の先輩から
 「今日の大学女子駅伝の2区辺りに応援に行こうと思います。」
 と、メールが来て立っている場所を示した写真が送られて来た。
大橋を渡って隅櫓の辺りだった。12時から中継が始まったが、12時半には出る積りなので先輩の応援する雄姿が見られないと思った。
 昼飯は、昨夜私が帰る時にスーパーに立ち寄って買って来た刺身用イカを中心に舞茸、茄子、掻揚げなどのてんぷらをおかずに3人で食べた。
 独居のおばさん家に残ったてんぷらを持って行くついでに、長男と私が、妻が運転する車で駅まで送って貰った。庭の柿が今年は多く生っていた。
 駅から長男と一緒に上野経由で東京駅まで行った、私は下りて、長男は事務所のある田町駅に向かった。最近、仕事で方々に行き市民後見人養成研修会で東京大学に行くが、ここ数カ月はこのように帰省した事が無かったので社員にお土産を買う事はしていなかった。
今日は、帰省だけの目的で戻って来たのでお土産を買った。選ぶのに相当の時間が掛かり、いつも悩んでしまう。
 やっと決まって、新幹線に乗車し2時間半。新大阪駅に戻って来て、NPO法人常勤理事に迎えに来て貰い事務所に戻って、メールの確認、宅急便の受け取りなどして隣のCSに行って食事をした。

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