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トップハート物語(4122)立志伝敢闘編
18/05/13
2011年(平成23年)10月上旬。
 4時頃になると、この時間から2時間ほどになる相談というか話しというか、真剣な中でこれからの人生の事を色々と話し合った。若手と思っていた彼女ももう30代終わりに近付いている。
すでに、7年目を迎えていた。この会社に居て色んな人生を味わっていた。順風満帆な生活をして手の掛かる子育てが一段落する頃に、当社のヘルパー研修講座のチラシを目にした。
丁度、一粒種のお子さんが幼稚園を卒業する頃だった。同じクラスのお子さんを持つ母親が、何か仕事をしたいとそのチラシを持って来て一緒に行こうと声を掛けたようだ。
 一緒に通い始めて、修了と同時に登録だけした。余り熱心な登録ヘルパーではなかったが、段々と責任のある仕事を与えて行くとそつなく真剣に処理して行く。仕事のおもしろさを覚えて、みんなが辿って来たパターンだが家庭不和が起こる。
家庭を守るために退職を申し出る。しかし、仕事に対する湧き上がる気持ちが勝って仕舞い復帰。その言動に不審を抱いた配偶者が異常行動を起こすようになる。全くその疑いは的外れだったのだが、元に戻らない家族。
ついに崩壊するのだが、その間も色んな身に迫る問題とか事象が産まれて来る。自分の責任ではない国籍の問題とかもクローズアップして来る。
 その間、私は冷酷のように厳しい課題を与える。それらをクリアして次期トップの評価を得る。その能力はあるのだが、やはり女性で気を他に持って行かれてスランプに陥り一旦奈落の底に落ちるような結果が現れる。
やる気も無くなり掛けたが、踏みとどまった。子供の存在だったと思う。
 さて、その相談というか話しの内容は、最初は、仕事の事が中心だった。続いて、昨年失意というか途中で投げ出す様な行動に走ったケアマネジャー試験への勉強で到達した現在の状況。
 「模擬試験で五分五分というところまで漕ぎ着けました。去年は途中で投げ出してしまって。」
 そんな話から、家庭の話しになった。
 ここからが本題だった。子供の将来だ。何をしたらいいのか、何をさせたいのか。あれこれと、これまでの小学校での出来事や自分の子供の選択した道や、自分がそれにどう対処しているのかなど。
 口を挟まず聞き入っていた。これから、一番大事な時を迎える時に問題はこの地域の環境だ。
 「小学校6年生で、すでに学級崩壊です。他の社員に『何も好き好んで一番悪い学校に行かなくても』そう言われて、そうなのかと初めて知りました。」
 どうしたらいいのかと、今夢中になっているものなどの話しを聞いた。
 「自分の才能を伸ばすのなら、そのような学校を目指したらいい。学者になるのなら大学もあるが、三流大学に行ってもまともな勉強もしないし帰ってそのブランドが邪魔になる大学もある。大学に行ったからといって社会に通用するものを教える訳じゃないし。本当に好きな道で飯を食おうと思うなら専門学校でも問題はないと思う。」
 そんな話をして、長男の卒業した埼玉県立伊奈総合学園の日本で一番個性を伸ばす学校方針の紹介をした。息子はそのように伸びているが、そこが幸いしたのかは不明だ。
 2時間を経過して、彼女が6時半からのケアマネジャー受験対策講座の教室に行く事になり、席を立った。そして、入れ換わりに70歳爺さんに連れられて、受講生が来た。
今度、市が市営住宅の空き家を利用して福祉目的に使うためのプロポーザルを行うのに際して、応募する事にした。その応募書類の作成をさせて、もしある程度の能力があるならその受講生を採用しようとして居るのだ。
その打ち合わせをする為に来たのだ。問題は、言われた事を様式に言葉を入れるのではなく、素案から作成をして叩き台を示して貰うような知識や能力を求めている。その能力判定の機会でもある。
 厳しい判定だが、仕方がないかなと妥協もしていた。人材の確保が急務なのだ。企画力のある者、実行力のある者がどうしても必要なのだ。僅かでもチャンスがあれば、与えて見たいと思う。
その代わり、無理だと思ったらある一定の時期に雇用の終わりを告げたい。こうなると、やはり男性の能力の無さが目に付き嘆く。来月、有期雇用期間の切れる者は継続しない。もう一人の男性もお荷物になりつつあるので、厳しい。そして、70歳爺さん社員や研修センターの高学歴社員。
 残るは、本社管理者と研修センター管理者。私と男性は3人になる。
 今日当社創成期を記録した書籍が発売された。来月から本格的な広告を打つ事になった。少し高いが、ノンフェクション経済書として読まれたた嬉しい。


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