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トップハート物語(4048)立志伝敢闘編
18/04/02
2011年(平成23年)8月上旬。
 この記録を残し始めた時だから、既に11年も過ぎた。その時に、一番お世話になった在宅介護支援センターの当時の館長、一番大きい組織の当時のケアマネジャーとひょんなことから飲み会の話しになり、今日の夜の席に繋がった。
当時の館長は、まだ30代後半。当時36歳だったと思う。私が49歳。最初の仕事を頂いた事を切っ掛けに、大量に紹介を頂く結果となった。
独立後それをもしのぐ、大量の利用者紹介をしてくれた組織のケアマネジャーの方は、現在は本社のある地区のケアマネジャー会の会長で中央地域包括支援センターの所長だ。それぞれが、当社の研修会のまたは受験対策講座の講師をして頂いている。
 業務の繋がりがあった時代には、こんな席を設けるなど思いも寄らなかった。それが、研修講師として開拓をしたのは私だが、顔を合わせる事はしなかった。遣り辛いだろうと思ったからだ。
それが、SC内で階段の上り下りをしている最中に、当社の研修センターへ講師として来ていた元館長が食事を摂りにSCに来たのだ。階段を駆け上がる元気さを出していた元館長とすれ違ったのだ。
その時に、立ち話をして今回のような席を設ける事にして、ゆっくりと話が出来るようにした。
 最初は少人数でセットするようにしたのだが、やはり教え子としての当社の社員の成長を見て欲しかったので、段々と参加者が増えた。合計12名で、近くのしゃぶしゃぶの木曽路で開催したのだ。
いつも当社のこのような宴会は、二手どころか三手四手に分かれて、余り楽しい宴会ではなかった。お局様筆頭サービス提供責任者が、自分の周りに管理者を侍らせて勝手な言動をするのだ。
ある時には、宴会の最中に腕相撲大会をさせたり、二次会に乗りこんで来て数人を集めて仕事のひそひそ話を長々として、席から連れ出すなど訳の分からない行動をするようになって、段々と参加者が減って行った。雰囲気も悪くなり、宴席を設けても楽しくないので企画しない事が多くなった。
 お局様筆頭サービス提供責任者が邪魔をする事が早く無くなる事を願っている。辞める、辞める、と何度も公言しながら、辞めなかたったのだが、先月末に他の者と一緒に辞めると言って来て、まだ長い。
「早く退職願を出すように。」
と言っても中々出さない。
そんな中、もう我慢出来なくなって、魚を漁港から先日取り寄せてここの訪問介護グループで食べた。そして、今日の宴席だ。
 最初から、大声で笑い話しをして、本当にこれが宴会だと思うような雰囲気だった。ただ、昔を懐かしむ話しが多いかと思っていたのだが、そうではなく現在の話しが中心となった。
特に、ケアマネジャー会の会長は、結構お歳だと思うのだが、現在が一番モテ期だと言い出して、一回り年下の男性に告白されたなどと言ったモノだから、大変な盛り上がり。そう言えば、かなり痩せて15キロ減だという。
筋トレを毎日欠かさず行っているというのだ。それを聞いて、当社の社員は真剣そのもの。
 「人に胸キュンが一番のダイエットよ。」
 とか言われて、あれやこれやの大騒ぎ。
 話しの中心は、そこになった。私はいつものように、一番端っこで向かいのNPO法人常勤理事の智子さんとか隣の居宅介護支援事業所管理者宏美さんなど10年選手との会話にいそしんで居た。
 その間、トイレに行った元館長や地域包括支援センター所長などが挨拶に来てくれた。そこで、僅かに懐かしい、歩いて営業に伺った時のことを話しして、お礼を言えた。
社員のレベルの高さを感心してくれて、身に余る評価をして頂いた。そして、これから目指すべき道を少し示してくれた。
 「そのように、本当に介護支援専門員の深い掘り下げを目指すなら幾らでも受け入れる。無料でもいいと思っている。お宅の社員なら、みんな意欲がありレベルアップのお手伝いをしたい。」
 そう言ってくれた。
 現在は、ケアマネジャー会の理事や地域のリーダーとして動いている。ケアマネジャーの研修などの講師としても見る事がある。
 また、これからのリーダーとして有能な方だと一人の講師を紹介してくれた。
 「必ず佐藤さんにとって、有益な方となる筈です。」
 そう言ってくれた。
 そのような感じのする方で、遠くからわざわざ来て頂いた。名刺を頂いた時にどこかで見たような名前の方だと思ったが、よく思い出せない。もしかしたら、更新研修会の時に講師として、私は生徒として顔を合わせた方かもしれない。
 時間を過ぎるのも忘れて、10時半なって仕舞った。お開きの合図を何としたが、なかなか盛り上がって仕舞って終わらない。部屋に辿りついたのは、11時だった。

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