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トップハート物語(4046)立志伝敢闘編
18/04/01
2011年(平成23年)8月上旬。
 今日は、何故か厭世気分が蔓延していた。仕事に全く意欲が無く、日曜日という事もあるだろうが、何もする気が無くいつもの席に座っていた。気持ちが、こころここに有らずという感じだった。
何の意味もなく、パソコンのキーボードを操作していた。それでも、やる気が完全に無くなって床に横になった。仰向けになって、横にCD・MDラジカセを置いた。沢山のジャンルがあるMD・CD・カセットテープの中から選んだのは、舟木一夫のCDだった。
 「北国の街」を掛けた。フレーズの時に既に、胸が熱くなった。北国とは勿東北の町だ。生まれ故郷、育った学生時代などが脳裏に浮かんで来た。熱くこみ上げるものがあった。帰郷に帰りたいと思った。
そうだ、今日は仙台七夕の中日だ。多くの同級生の顔が浮かんだ。近かったら帰っていただろう。思い立ったら動いてしまうのが、私の特徴だ。高校卒業間もない頃に、好きな人を求めて山元町の海に行った。
その時の写真がまだ残っている。その彼女の実家はどうなったんだろう。先日の被災地にたびたび取り上げられるが、山元町の彼女はどうなったのだろう。私が居るこの地域の近隣に結婚して転居していたと聞いている。数年前、中学校の同窓会の写真が中学校のホームページにアップされていたが、よく分からなかった。
 何故か、次に思い出したのは「愛と死を見つめて」の彼女だった。私とは相当の年齢差があるが、この地域の病院に入院していた。そこで、逝ってしまった。病床に着くまで、病院内で同じ入院患者の面倒を見ていたという。高校を卒業してからその本を手に取った。あれ以来、ずっと忘れられない。こうして静かに落ち着いて、過去を懐かしむ時にいつも思い出す。そこにあった彼女の写真の顔も鮮明に覚えている。
 同じように思い出すのは、本当にかなり年上だが、あの昭和35年の安保闘争で死した東大女子学生の事だ。その彼女の本も目を通したのは、高校卒業してからだった。その顔も覚えている。そんな事を、思い出していた。曲は「修学旅行」「学園広場」に続いて、「仲間たち」になった。この歌が一番好きだ。次に流れたのは
 「清らかな青春、爽やかな青春・・・・」
 「君たちがいて僕がいた」だった。青春時代を思い出して浸っていた。どうしてこんな気持ちになったんだろうと思っていた。遣る事も、やりたい事も、買いたいものも、行きたいところも無いのだ。何がしたくて、どこに行きたいのかが分からない。行こうと思えが行けるのに、やろうと思えばやれるのに、買おうと思えば買えるのに。それが無いのだ。
 「高原のお嬢さん」「哀愁の夜」が流れて来ると、もう堪らない。そう言えば、この舟木一夫の奥さんは私の中学生の時の同級生だ。だからファンになった訳ではない。中学校の3年の時に、出来の悪い私の事をいつも気遣ってくれた頭の良い同級生がいた。その彼が、好きだったのが舟木一夫の歌だった。発売されると、いつも一番に買って私に貸してくれた。一緒に、「絶唱」を見に行った事があったけ。私が就職しても、付き合いがあり一度秋田に転勤した親と一緒に住んでいた彼の家に行った事がある。竿灯を見た。
 あれから40年にも成るんだ。あの時のお礼はまだしていない。仙台に戻ったと聞いた事がある。年賀状のやり取りをしていたが、いつの間にか止めてしまった。突然、私が多くの人とのやり取りを止めてしまった時期があった。その時も気まぐれだったのだ。
 一通り聞くと、落ち着いたのか立ち上がった。私の個人事務所は、普通のマンションの一室だ。畳の部屋に簡易的な絨毯で覆っている。その部屋には、専用の枕がある。
 本社から、今度管理者に予定している男性社員が指示したデータを送ると言って来た。その後、キラキラ目の玉緒ちゃんから、認知症ケア専門士の事例問題のアドバイスを求められていたので、回答を探った。色んなデータを求めてパソコンを操作した。やっと出来あがったのは1時間後だった。それでも、まだ時間がある。ネット販売のメールを貰うのが1日50通位ある。その中から、また選択して頼んだ。生ホタテだ。社員が多いので、5セット頼んだ。先日は、石鯛を3キロクラス2匹。壱岐島から取り寄せで4万円もする。人数が多いと思っていたが、4人辞めるので少しは少なくなる。それでも、新たに2名社員を入れるのが決まっているので余り変わりない。
 御膳はこれで終わって、午後はもう出勤する気力が無かった。夜まで、テレビを見ては寝て、起きては食事してまた寝て。

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