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トップハート物語(4025)立志伝敢闘編
18/03/21
2011年(平成23年)7月下旬。
 という訳で、東京に出発直前に本社管理者から最高のプレゼントを貰って、重苦しい気持ちで出発。上野黒船亭で次男夫婦と会って話をした1時間半は気持ちが全く乗って居なかった。
そして、23時半に大宮の自宅に戻って休む。いつも早く起きるのだが、目覚めたのが7時過ぎ。やっと起き出して、簡単な朝食。ほとんど話す事も無く、頭の中は今後の動向だけ。
 こちらは、こんな時はいつでもだが、あくまでも受け身なので、どの程度の退職騒動の浸透か不明だ。それが分からないと動きようが無い。大東本社はツートップを除けば男性と女性の社員が2名ずついる。その者が、どんな行動を起こすのか不明だ。皆目考える事も無く、ただじっとしているだけだ。
 「姪の結婚式が8月27日、東京の白金で執り行われるので空けて置いて。」
 「何時から?」
 「10時から。」
 「随分早いな。それだったら、前日に品川プリンスホテルに泊まるか。」
 会話らしい会話はその程度だった。
 今ここ大阪に仮住まいをしている部屋には、プラズマクラスターと空気清浄機が24時間作動していて、綺麗な空気の部屋で過ごしている。しかし、自宅に戻ると、埃が強く感じられて鼻がむずむずしてどうしようもないので
 「我慢出来ないから、もう帰るは。」
 そう言って、誕生日祝いに長男が買って置いてくれたチョコレートケーキを2個頂いて、帰る準備をしたのは昼過ぎだった。いつものように駅まで長男に送って貰い、東京駅へ。お土産を買って、乗車した。
 今回の騒動の中心の70歳爺さん社員から、メールで誕生祝いのメッセージが来た。自分の事が原因でこんな事になり、一体どういう了見なのか頭に来たので、大東本社と守口のの自立支援のツートップが相次いで退職願を提出して立ち上げるとの簡単にメールで告げた。暫く、返事が来ないので、
 『少なくても、貴方が原因でこうなったので、責任を感じて貰い死に物狂いで私の指示に動いて欲しい。』
 そうメールしたのだが、ピンと来なかったようで、明日聞きますなどとやはり歳は争えない理解力で、がっかり。新大阪駅にはいつものようにNPO法人常勤理事の智子さんに車で迎えに来て貰って、約束のあった税理士事務所を訪問。
直ぐに用件が終わり、いつも行く駅前ホテルのスカイラウンジに行って、北海道の食材を使用した美味しいアワビや和牛の鉄板焼きを食した。久しぶりにワインを飲んで酔い、ケーキを買ってマンションに戻った。
食事中に、ホテルの当社の担当者とやらが挨拶に来たのだが、プライベートなのだから少し控えて欲しいと思う。
 翌日、遠巻きに動向を探るように誰も事務所に来なかった。いつもなら、何人かは来るのだが、情報が伝わってやはり何かを気にしているのか。
70歳爺さん社員が来た。土曜日にあったことなどを話して、
 「自分の非を認めて改めるべきところは改めて、これからどうするかを考えて私の指示従って欲しい。いいですか。」
 そう言って、次の一手として理解できる範囲と思われる二つの策を授けた。
 「私の責任として、社長が思っていられるなら私なりに責任を取りたい。退職をさせて下さい。」
 「それが責任を取るという事なのですか。それは無責任じゃないですか。いいですか、貴方の起こした事が原因なんですよ。ちゃんと出来る限り修復してから、辞めて下さい。滅茶苦茶にして、会社に大きな損失を与えて逃げるんですか。それが、貴方の責任ですか。いいですか、汚名を着させられて逃げるのが本当に責任を取るという事ですか。」
何度も言うようにどう考えても、70歳の爺さんが好き勝手に何かをしたからと言って辞めるという事はあり得ない話しだ。
「特に、もう一人の社員が妊娠していて9月には出産休暇に入る。辞めて立ち上げて利用者やヘルパーさんを持って行くには丁度いい機会だ。それを、貴方の問題を絡めて利用しただけだと思っている。そんな手に乗っていいんですか。」
 「分かりました。」
 そう返事があったので、再度策を授けた。
 直ぐに動くようにさせて、ソフトの開発状況を見るために初めてシステム事業部の部屋に行った。事務所を設置しても、行った事が無かったのだが心配になったので、チェックをしに行ったのだ。
 説明を聞いて、少し遅いが杞憂だったようで安心した。

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