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トップハート物語(3971)立志伝敢闘編
18/02/20
2011年(平成23年)6月中旬。
夜遅く寝たわりには、4時過ぎに目覚めた。もう一度寝ようとしたが、無理だった。ipabを使って、打ち始めたがかなり遅い。これまで、ローマ字入力だったがかな入力のうえに、キーボードの大きさが違う。慣れるまでが大変。
8時過ぎに、洗顔、シャワーを終えて着替えてチェックアウトしてからラウンジに行って朝食を摂った。和洋のバイキングだったが、イギリスパン、ハム、スクランブルエッグ、サラダ、ヨーグルト、グレープフルーツジュースを頂き、コーヒーを飲んでいると、今日案内してくれる先輩から連絡があった。
「荷物が多過ぎる、6人がゆったり座れるように荷物を預けた方がいいよ。」
私たち6人のために、セレナを買い換えてくれ綺麗にクリーニングしていてくれいた。私は、国際ホテルから向かい側にあるウェスティンホテルに向かった。
社員5人が宿泊しており、昨日フロントで旅行予定表を求められている。荷物の中に入っていてホテルに置いてきた。今日の朝届ける約束だった。
届けたあと、先輩に迎えに来て貰い私が次に宿泊予定のメトロポリタンホテルに荷物を預けた。引き返して、ウェスティンホテルに社員を迎えに行きいよいよ出発する。
10時。仙台駅のコインロッカーに荷物を預けた。青葉繁れる定禅寺通、大橋を渡りながら広瀬川散策。青葉城隅櫓、天守台。至る処に地震の爪痕が残り、特にトビの青銅像が台座から落下していたのがショックだった。
また、正面から登る急峻な坂道も通行止めだった。
続いて、伊達政宗公の霊廟を訪れた。荘厳ときらびやかに、しばし感嘆。それでも、地震の影響で見学範囲が制限されていた。
『伊達の牛タン』で、最高級の牛タンを味わい、隣の『白松がモナカ』で胡麻餡を購入し、母校五橋中学校を観ながら一路被災地である先輩の実家に。途中から瓦礫を目にして、悲鳴を上げる社員。先輩の実家跡、海岸線を見て打上げられた瓦礫を目に焼き付ける。
左右の砂と瓦礫に埋まった田や畑を見ながら松島へ。車中は静かになり、私も含め眠ってしまっていた。松島では、国宝瑞巌寺、横にあるどんくう茶屋で団子を喰らう。向かいにある庭園を散策し、沢山綺麗な写真を残した。
彼女らは、松島から船に乗り塩釜に向かう。私と先輩は、先回りして待っていた。
一旦、仙台駅に戻って荷物を積み、宿泊する作並温泉「鷹泉閣岩松旅館」に行った。料理長は中学、高校の先輩だった。夕食だけ一緒に食べ、私は仙台駅前メトロポリタンホテルに戻った。
 翌日、5時台に、メトロポリタンホテル仙台で目覚めた。カーテンを開けると快晴の明かりが差し込んで来た。8時過ぎに、作並温泉「鷹泉閣岩松旅館」宿泊している社員の代表である、NPO法人常勤理事の智子さんに電話をした。
今日は、仙台駅まで作並温泉駅から電車で来る事に成っていたのだが、もしかしたら日曜日なので混んで居るかと思ってタクシーで来るように言おうと思った。しかし、準備に忙しいのか出なかった。シャワーを浴びて、チエックアウトの準備をし、食事に行こうと思ったら電話があり、既に駅に着いたとの事だった。
 2Fの「はや瀬」で美味しい仙台の和食での朝食を頂いて、いよいよ部屋を出た。9時過ぎに仙台駅に彼女らは着いた。まだ、喫茶店もお土産の売店の「エスパル」も開いて居ない。10時からなので近くの喫茶店に入って、時間を待った。
ここで、1時間の時間を作ってお土産などのショッピングをして貰った。11時過ぎに新幹線の駅中で「ずんだロール」を食べてから乗車しようと思ったが、店は駅外だった。仕方が無く、そのまま新幹線が来るのを待って乗車し大宮へ。2時間後、私が住んでいる大宮に下車。
 昼食の為に降りたのだ。浦和の鰻を御馳走しようと、何件か予約の電話をしたのだが、時間が間に合わなかったり、満席で断られたり。以前、社員を連れて来た時に結構空いて予約なしでて入れたので、タクシーを飛ばした。
やっと着いて、浦和の名店「満寿屋」の前に立つと満席の張り紙。隣の座敷のある店に行くように書いてあったので、隣の建屋に行った。そうすると、大勢の客が並んで座っていた。なんと、残念な事だ。
 時間も無いので、急いて浦和駅前に行って「伊勢丹」に入った。7F食堂街に行ったが、どこも満席で外に並んでいた。時間は既に2時を過ぎているので、空いて居ると思ったがそうは行かなかった。仕方が無く、みんなが
 「空いている処どこでもいいです。」
 と、いうのでかつ屋に入った。
 急いで食べる。胃の悪い社員が一人いて、一生懸命に食べるのが痛々しい。そう言えば、仙台での「伊達の牛タン」でも一人「タンシチュー」を頼んだが、それでも大変だったようだ。
最初、何を食べるのか聞いた時にはトイレに行っていて不在だった。その為に、焼いた牛タンをみんなと同じように来たのだが、食べられないのでタンシチューを追加した。ところが、みんなが味見だと言って取り上げて回してしまった。
 時間がぎりぎりなので、最後のデザートは断って急いで出た。浦和から大宮に宇都宮線で移動。今度は、大宮駅でコージーコーナーの「ジャンボシュー」と「エクレア」を買わないと行けない。
しかし、新幹線の時間はそれほどない。10分程度の余裕だ。二手に分かれて、東口に私とNPO法人常勤理事の智子さんが買物に走り、残りは西口のコインロッカーに預けた荷物を取りに。見事な連携で、5分前にホームに立つ事が出来た。一路東京駅に。
 今度は、東京駅地下に有る黒塀横町「繁乃井」の焼き鳥だ。ここは予約をしていたので、4時半に入れた。ところが、4時半から炭の入れ替えがあって、備長炭が使えるまでになるのには30分掛かるという。
 「とにかく何でもいいから、早く焼けるモノからお願いします。」
 そう言って、焼いて貰った。
 それでも、7本コースが食べられた。ここでも、胃の悪い社員が苦しそうに食べる。他の者は、何とか食べられたがもうお腹が一杯なのか言葉も出ない。相当疲れているのだろうかと思っていたが、それもあるだろうけれどそれ以外にも、女性同士というのは中々うまく行かないものだと後から知った。
 仲が良いと思っているのは、私だけらしい。旅館でも、ホテルでも、移動して来たローカル線の社内でも、新幹線の中でも、自由行動だった土産物を買う時にしても、みんなバラバラで一緒に座る事さえも嫌みたいだった。
ローカル線の車両の中では3人が2人掛けの席に一人ずつ座ったという。そして、余り会話も弾まないし、話もしない。みんなで食事をしていても、余り口も利かない。疲労ではなく、やはり部署が違うと男のように仲良くはなれないのか。
そう言えば、一緒に出掛けるとか飲みに行くとかは全く聞かない。それでも、それぞれの気質が分かっただけ良いではないか。
 出発駅に戻って来たのは、8時過ぎだった。新幹線の中で、それほど楽しく過ごした訳ではなかったのが分かったので、最後の顔も笑顔はなかった。それぞれの方向へ散って行って、今年の研修旅行は終わった。

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