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トップハート物語(3947)立志伝敢闘編
18/02/04
2011年(平成23年)5月下旬。
 午後に入り、NPO法人総会の日程を決めた。その内容を、メールで会員宛送信した。その日程で決めて出席可能かどうか。1時間の間に会員全員から返事が来た。一人どうなるか不明の者を除いて全員参加だ。
安心した。その安心もつかの間、介護管理者から電話だ。普段はメールなのだが、夜に電話とは緊急かと緊張した。
 「いつもの、Uさんから電話があり、認知症の妻が勝手に出て行った。来て下さい、というのもだったので今から行きます。話しだと、外に出て通行人に助けてと声を掛けたんですが、全く相手にされなかったので自宅に戻って来たと言います。落ち着くまで、誰か来て下さいと言うので行きますがいいですか。」
 「分かりました、宜しくお願いします。」
 「それと、ケアマネジャーに伝えてくれというのは、妻を早くどこかの施設に入れてくれと言っています。」
 「何を言っている。その方向でカンファレンスを開くと、何年も顔も見せない息子や娘と話し合って諒解を貰わないと駄目だとか、妻が居ないと寂しくて生活出来ない、3日くらいだったら良いけれど、などと絶対受け入れなかったじゃないか。それでも、何とか申し込みまで行ったけれど奥さんにもう戻れないとか言って、不穏な精神状態に陥れて、デイでは助けて下さいと大変だった。邪魔をして、行かせないようにして、何かというと施設に入れてくれと自分の責任を回避して、第3者が来ると何もしてくれないと言い出す。どうしようもない。」
 「落ち着くまで居てくれと言われていますが、いつまで居ても同じです。1時間くらいで戻って来ても良いですか。」
 「勿論、いいですよ。もう手立てが無い。鍵を新たに付けて有る程度出るのを阻むと言っていたが、それはどうなった。」
 「まだしていません。」
 「出来る事はしてくれませんか。」
 直ぐに近くに居たが、もうある程度諦めているので、行かなかった。
 昼間、新人ケアマネジャーの宏美さんが飛んで来た。
 「実は先日から相談している、末期と言われた利用者ですが、カンファレンス時に療養型施設に入るように医師から示唆されたのですが、本人は拒否していました。しかし、その時でも、四六時中むせていて大変な状況でした。医者は『このような状態で、在宅で対応出来ますか』と言っていたので、無理だと判断して利用者本人と家族が受け入れるならと了解しました。しかし、佐藤さんの話しを聞き老人保健施設とコンタクトを取って受け入れ可能という返事でしたので、入院先のMSWに伝えましたが、『そこは言語リハビリはない筈です』と拒否されたのですが、『言語リハビリではなく嚥下リハビリではないですか』というと、医師に聞いてみますと言うだけで、返事がありませんでした。それが、昨日の暴風雨の中利用者が病院を脱走したと連絡がありました。今日その件で医師から話があり『それほど自宅に帰りたいというのであれば、退院しても構いません』と言われて、急きょ明日退院です。その為に、ケアプランを早急に作成しないと行けないのですが、アドバイスをお願いします。」
 そう言って、去って行った。
 「その病院に入院したら、必ずある療養型病床群を紹介される。」
 と、事前に説明していた。
 「療養型に入って、3か月後に退院すると想定してケアプランを建てようと家族と話をしているんですが。」
 「何を言っている。そこに入ったら、絶対出られない。併設してある病院とキャッチボールだ。退院した人を見た事が無い。ケアマネジャーなど、入院したら何の権限もないし、相手にもされない。あくまでも、ケアマネジャーは在宅での仕事オンリーだ。ちゃんと意思を確認して、そうなるように喧嘩してでも、意見を通す覚悟で。だから、俺もまさよしさんの時に、何とか療養型や施設に入れようとした病院側と対決して、絶対に認めなかった。あれからずっと在宅で生活しているが、何も支障が無い。だって、治療は終わったとなにもこれ以上治療る事はないと言われているんだろう、それだったら何故療養型に入る必要があるんだ。医者やMSWの言葉を鵜呑みにするな。」
 そう言って、檄を飛ばした。
 施設や利用者を回って、6月の利用票や提供票を配った。もっと、ケアマネジャーとしての業務を軽減しようと思い、新たに名指しで依頼されたケースを、他の者に担当して貰うように頼んだ。
 息子にipadを見繕って貰うように頼んだ。一式11万円余りだという。今度帰省する10日に受け取れるように、頼んだ。


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