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トップハート物語(3863)立志伝敢闘編
17/11/28
2011年(平成23年)4月中旬。
『原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。
 南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。
 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。
 この家族をよく知る男性は「タクシーの乗車や病院での診察を拒否された知人もいるようだ。大人たちでもこうなのだから、子供たちの反応も仕方がない。でも、当事者の子供はつらいだろう」と話す。
  震災直後は「原発近くに住む親類を家で受け入れたいが、自分の子に影響はないか」という内容が多かった。その後、避難者の数が増えると「アパートの入居で難色を示された」「福祉施設や病院で被ばく線量を調べるスクリーニング検査の証明書の提出を求められた」などの相談が急増した。
 東日本大震災から1カ月を機に、避難生活を送る100人に毎日新聞がアンケートしたところ、3分の2は避難所を出た後の落ち着き先が決まらず、6割近くは自宅の再建・修繕が難しい状況であることが分かった。半数近くは生計のめどが全く立っていないことも判明。8割が元の居住地域に戻ることを望むが、地域が復興できると考えている人は5割余りにとどまる。先の見通しが厳しい避難者の割合は岩手、宮城両県より福島県の方が高く、原発事故にも苦しむ福島の復旧・復興の困難さも浮かんだ。
 アンケートは5~9日、岩手県の40人、宮城県の30人、福島県の20人と、福島から県外避難した10人に実施。うち39人は家族や親類に死者・行方不明者がいる。自宅の被害は全壊57人、半壊19人、一部損壊15人で、岩手の78%、宮城の67%が「全壊した」と答えた。
 避難所を出た後の一時的な落ち着き先が決まっているのは32人。行き先は仮設住宅や賃貸アパート、親族宅、自宅などだった。
 自宅については、「再建・修繕する」が19人、「別の場所で再建する」が12人いる一方、37人は再建・修繕の見通しが立たず、19人は「無理」と答えた。
 大震災で自分や生計を支えていた家族が休業・失業したのは59人に上る。今後の生計のめどが立っているのは28人で、「落ち着き先が決まれば何とかなりそう」と答えたのは23人だった。福島の県内外避難者計30人で見ると、休業・失業が8割に上り、生計のめどが全く立たない人も3分の2を占めた。
 住んでいた地域に「必ず戻りたい」は54人、「街や産業が復興すれば戻りたい」が26人で、「もう戻りたくない」は19人。一方、44%は地域の復興は難しいと考え、福島の県内外避難者に限ると57%が難しいと答えた。政府や行政に望むことは住宅建設が37人と最多で、経済支援25人、就労支援と情報提供が各9人と続いた。
 岩手県山田町の避難所にいる養殖業、福士光則さん(42)は「カキ養殖のいかだが流された。再び収穫するには3年かかる。生活できるようになるのか」と不安を漏らす。福島県南相馬市で避難生活を送るパート従業員、黒沢千恵子さん(40)は「地震と津波だけなら何とかなるが、放射線の問題があり復興は難しい」と話した。
 現在の避難生活に関しては、68人が温かい食事を3食取れていたが、全く取れていない人も2人いた。震災後の心身の変調を複数回答で聞いたところ、かぜなどの病気36人▽不眠40人▽高血圧11人--などで、1人が病院に運ばれた経験があった。余震や新たな津波には46人が「かなり不安」と答え、宮城では6割に上った。』

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