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トップハート物語(3836)立志伝敢闘編
17/11/15
2011年(平成23年)4月上旬。
『東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で、「日和山」と呼ばれる小高い丘の頂上に手製の「慰霊碑」が建立され、多くの人たちが津波の犠牲者たちに手を合わせている。
 「何もしてあげられなくてごめんね」「一人じゃないよ」「みんながいるよ」
 慰霊碑は、ペンキで白く塗られた木の柱に、さまざまなメッセージを書いた板きれが打ち付けられ、道しるべのよう。その前で4日に手を合わせていた木皿美恵子さん(63)=同県多賀城市=は、丘の近くに住んでいた弟の相沢清丈さん(60)の遺体を前日に確認した。木皿さんによると、相沢さんは地震発生直後、仙台市泉区に住むいとこに「屋根が壊れた。これから避難する」と電話し、それから連絡が取れなくなっていた。木皿さんは「弟はきっと無事だろう」と思っていたが、家からかなり離れた場所で2週間後に遺体で見つかった。
 木皿さん自身も車で避難中に津波に遭い、近くのスーパー1階に逃げ込んだが、濁流が押し寄せ、流された。夜まで水につかって立ち往生していたところをスーパーの店員に救助され、九死に一生を得た。
 「遺体を引き取ることができ、これでやっと気分が落ち着きました」と木皿さんは話した。
 東日本大震災は4日、発生から25日目を迎えた。警察庁の午後8時時点のまとめで、死者は1万2259人となり、行方不明者1万5315人と合わせ、2万7574人となった。17都県の約2100カ所で、約16万6000人が避難所生活を余儀なくされている。
 同庁によると、死者は宮城県が7481人、岩手県が3592人、福島県が1126人など12都道県に上る。警察に届け出があった行方不明者は宮城県が6387人、福島県が4480人、岩手県が4444人など6県にわたっている。
 東日本大震災で被災した岩手、宮城両県の沿岸部のほとんどの学校で今月中に子どもたちが戻ってくることになった。しかし、教科書が津波で流されたため教科の授業が困難だったり、校舎の一部が避難所や病院として使われているため「共存」に苦心するなど、各学校とも手探りと不安の中でのスタートになりそうだ。
 「再開のめどはついたんですが、教科書がないんです」。岩手県宮古市教委の佐藤智一指導主事は表情を曇らせる。
 宮古市は25日に小中全38校で授業を再開する予定だが、新学期に配る予定だった新しい教科書が保管されていた市内の大型書店が津波で水没してしまった。文部科学省を通じて再発行を依頼しているが「今月中の納品は難しいかも」。
 学校が水没するなどして使えない学校は、別の学校を仮校舎に授業を再開する。陸前高田市立第一中は教室の一部が避難所になっているため、広めの教室を仕切って2教室にする。宮古市は小学校27校のうち千鶏(ちけい)小と鵜磯(ういそ)小の2校、中学校11校のうち田老第一中が土砂流入などで使えず、この3校の児童・生徒は当面、別の学校の空き教室や体育館の一角の「仮教室」で授業を受ける。
 病院や仮設住宅と共存する形の学校もある。21日の始業を目指している岩手県山田町の町立山田南小は体育館が避難所になっており、1階は仮設病院として使っているため、2、3階を使い「同居」する形になる。山田南小の教員は「児童が避難者と交流して元気づけるような活動も考えたい」と話す。同県大船渡市では小中学校計22校のうち12校の運動場が仮設住宅の建設予定地になっており、ある副校長は「部活動が制限されるが、学校だけがわがままは言えない」と話した。
 水没したり、倒壊した学校の再建も道のりは険しい。宮古市では校舎が使えない千鶏小と鵜磯小の2校は海岸線までの林や建物が流され、海と“向き合った”状態。学校関係者は「中には海が見えると怖いという児童もいる。学校の再建の際には建物の位置や向きなどを慎重に検討しなければいけない」と話している。』

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