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トップハート物語(3826)立志伝敢闘編
17/11/10
2011年(平成23年)4月1日。
 暖かくなって来た。ここ数日、やっと春めいて来て近くの桜の木が花を付け始めた。多くは蕾だが、早いモノは咲き誇ろうとして居た。モクレンも大きな花を開き始めている。歩くのも楽しくなり、郵便局の用件をワザと遠くに求めて歩いて行く。
歩いて30分未満の利用者宅には極力歩いて訪問する。月末のモニタリングも終わって、歩く目標場所が無くなって来た。今日は、ワムネットで最近開設した事業所を検索して、近所にある施設を目指して歩いた。
住宅地にある訪問介護事業所は、空き家を借りて開設したようだ。私が始めた頃を思い出した。最初はそこから始まった。
 商店街を歩いたが、もう見慣れて居るのだが大半はシャッターが閉まっている。東日本の地震と津波被害で益々経済活動が停止してしまっている。
今日、仙台の先輩に電話した。先輩は私の恩人で、被災に遭ったが、丁度奇跡的に岩手県の水沢に集金に行って居て、難を免れた。アパレルの販売をしているのだが、倉庫として使用していた実家は海が目の前で、完全に崩壊して商品は流出。多大な被害を齎した。
再開の資金に使って貰おうと、緊急にユニフォームを発注した。一人6点で社員23人分。約100万円には成るだろうと、
 「先払いするので、その代金を運転資金に使って下さい。商品はいつでもいいです。」
 そう言って発注したのだが、発注して数日商品が突然届いてしまった。
 私の趣旨が、全く生かされずに、先輩としての意地を出しただけだった。つまり、メーカーが儲かっただけで私の気持ちが実行されなかった。その苦情を言う為に電話した。
 「もう着いちゃったの。真面目な奴だから、商品が無くなってしまうので確保して送ったんだろう。申し訳ない。」
 「俺としては、去年のように検品がてらここに来て貰って、ゆっくりして貰おうと思ったのに。何にも成らなかった。」
 去年の秋にも同じくらいの発注をしているので、結果的には不要な品を入れただけだった。
 「今どこに居るの。」
 「気仙沼や陸前高田、久慈のお得意さんを回って野菜を届けて居る。完全に駄目だ。何も無くなっている。壊滅だ。商店に連絡を取って、野菜を買い付けて届けようとして来たが、家も店も何にもない。これじゃ、集金も出来ない。」
 何度も何度も、臨場感あふれる言葉と現実に嘆いていた。
 その後、夜に仙台に戻ったようで、私の先輩2人の消息を教えてくれた。家を失った先輩と、難を逃れた先輩だった。両者とも、私が高校を卒業した時に就職した会社に居た、学校の先輩だった。仙台に戻り、生活していたのだ。
 昼間、母親にも連絡した。被災して、避難所生活を送っていたが、2日で自宅に戻って来た。住まいは高台にあったので、ライフラインの問題で避難所に行っただけだった。茶碗を2個割っただけの被害だったという。
地震が起きて数分で電話したので、その時は通じた。直後から通信が出来なくなった。しかし、直後に無事が確認されていたので私は落ち着いていた。その後、妻や弟などが連絡をしたようでその情報を貰っていた。今日で3度目の電話だった。落ち着いて居て、元気で安心した。避難所での生活は、
 「集会所で何百人もの人と一緒だった。座布団1枚のスペースしか無く、ずっと膝を抱えて座っていた。お年寄りが、トイレに行けないので連れて行ってあげて水道も止まっているから流してあげて、2日間全く眠って居なかった。食事は、おにぎり1個を二人で分けて終わりだった。」
 仙台の真ん中でもそんなひどい生活を強いられていたのだ。
 国は、食料は十分確保して居るなどと言っていたが、確保しているのは当たり前でどうやって届けるかが問題なのだ。親も、
 「みんな菅の馬鹿野郎、早く辞めろと言っている。」
 そのような事を何度も言っていた。
 「(私の弟の)子供が中学に入るのでランドセルを買ってあげる約束をしていた、5人目の玄孫が出来た(私が事業をしている近所で生活している)ので、飛行機で行って、おばあちゃんに一番最初に抱いて欲しいと言われているので抱いてあげる約束をしている。栃木県の烏山の姉がいつ来るんだと言っているので、5月の連休に行きたい。その時には、大宮に泊めて貰って浅草に行った事が無いので連れて行って欲しい。東京の姉が、米や水が無いと言っているので買って送ってやろうと思っている。」
 そんな話を聞いていたので、私個人の母親に対する義援金を振り込んだ。
 ATMだと、1回10万円までなので3回同じ操作をした。

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