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トップハート物語(3821)立志伝敢闘編
17/11/07
2011年(平成23年)3月29日。
『東日本巨大地震で親を失った児童生徒は、1995年の阪神大震災の68人を大きく上回る見通しとなっている。
 厚生労働省などによると、阪神大震災が早朝に発生したのに対し、平日の日中に発生した今回の地震では多くの児童生徒が下校前で、学校ぐるみで避難して助かった事例が多く、「震災孤児」は数百人単位にのぼるとみられる。
 ただ、震災後も混乱の続く被災地の自治体からの聞き取りは難航しており、厚労省は、被災地以外の自治体から専門職員を募って現地に派遣し、実態把握を急いでいる。
 阪神大震災では、親を失った児童生徒の大半が親類や知人に引き取られた。
 「お母さんどこ。お父さんは?」。津波で沿岸部が壊滅した宮城県女川町。小学5年の平塚亜美さん(11)と2年の司君(8)姉弟は、いなくなった両親の帰りを待ちわびる。祖父の平塚俊明さん(64)には、あの濁流の中で両親が助かる見込みはないと分かっている。だから幼い孫を見るたび胸を締め付けられる。「この子たちの将来はどうなるのか」と。戦後最悪の自然災害となった東日本大震災の被災地で、多くの「震災孤児」が生まれようとしている。
 姉弟の両親、俊也さん(36)と恵理さん(35)は地震の際、女川湾の観光物産センターで店番をしていた。俊明さんらを含め家族で経営する鮮魚店だ。
 「10分後に津波が来ます」という防災無線の声が今も耳を離れない。みんなで約300メートル離れた俊明さん宅まで逃げたが、2方向から来た水に家ごと流された。「おもちゃのように家が浮き上がり、バリバリと音を立てて消えていった」。俊明さんが見たむごい光景だ。中に俊也さんと恵理さんがいた。
 高台の小学校にいた孫の亜美さんと司君は無事だった。避難所の町体育館に迎えに行った俊明さんは、2人に言って聞かせた。「お父さんとお母さんは、そのうち迎えに来るからな」。亜美さんは両親の身に起きたことに感づいたのか、夜、シクシクと泣いた。
 その後、姉弟は東松島市にある恵理さんの父親(58)に預けられた。無邪気だった司君も最近、「お母さん、早く来ればいいのに」とぐずるようになった。津波の映像がテレビに映ると、2人の口数が急に減る。
 俊明さんから見た俊也さん、恵理さん夫婦はとても子煩悩だった。「鮮魚店が忙しくて、なかなか子どもの相手はできなかったけれど、学校の休みには、よく家族旅行に出かけていた」
 親がいなくても、孫には元気に育ってほしいと思う。だが自分も避難所暮らしで、まだ先のことを考える余裕がない。
 東日本大震災で両親が死亡したか行方不明になっている「震災孤児」について毎日新聞が調べたところ、25日現在、被害の特に大きかった岩手、宮城、福島の東北3県で22人確認された。95年1月の阪神大震災では68人の孤児が報告されているが、死者・行方不明者が阪神を大きく上回る今回は、被害状況の判明とともに大幅に増えるのは確実だ。子を預かった親戚が被災者というケースも想定され、早急な実態調査と支援策の確立が求められる。
 3県の教育委員会や学校、避難所の関係者らに、この春卒業する高校生以下の孤児の把握状況を尋ねた。
 その結果、25日現在、岩手県では山田町、大槌町、釜石市、陸前高田市で計9世帯10人▽宮城県では女川町、東松島市、七ケ浜町、名取市、山元町で計10人▽福島県ではいわき市で1世帯2人の孤児が確認された。いずれも津波に襲われた沿岸部に集中している。
 3県とも児童相談所の職員が避難所を回るなどして調査を進めているが、津波の被害が極めて大きかった岩手県陸前高田市をはじめ大船渡市、宮城県気仙沼市、石巻市などでは被害の全容そのものが判明しておらず、調査が進んでいない。
 岩手県は、今後多くの孤児が確認される恐れが強いとして、県里親会に打診し、既に一部から里親の了承を得ている。児童養護施設の活用も検討している。宮城県も調査と並行して孤児を保護する準備を進めている。
 兵庫県によると、阪神大震災で片親を亡くした18歳未満の遺児は400人。両親とも失った孤児は68人だった。
 県児童課の竹内良二課長は「阪神大震災は早朝の発生だったので、親子が一緒に死亡するケースが多かった。今回は津波による沿岸部の被害が甚大で、さらに昼過ぎの発生だったこともあり、高台の学校にいて子どもだけが助かったというケースも多いのではないか」と話し、遺児や孤児が今後大幅に増える恐れを指摘した。』

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