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トップハート物語(3797)立志伝敢闘編
17/10/25
2011年(平成23年)3月26日。
まだ、仙台沖を震源とした地震の影響は続いている。2週間が過ぎたが、毎日何百人と死亡や不明の人数が増える。昨日、冠婚葬祭業界のカリスマ会長が来た時に、お付きになっていた秘書の方が、
 「地震直後の発表では数百人単位の死亡者数でしたが、国から棺の準備依頼が来たのは最初から4万5千でした。」
 と、言っていた。
 その通りに、日に日にその数字が増えて行く。この日は、研修会の講師を1日中務める予定だったのだが、変化が現れた。実は、実施記録関係の講習だったのだが、私が主でサポートが私の恩師ともいうべき人だった。それでは恐れ多いと思いながらも、昨夜資料の準備をしていた。何とか、主体的な講師をお願い出来ないだろうかと考えていた。そこに、思いが叶ったかのように、その講師から電話があった。用件は他愛も無い事だったのだが、最初はそうだった。その間、
 「先生にお願いがあります。明日の講習のメイン講師をお願い出来ないでしょうか。私がサポートの方に回ります。」
 「いいよ、いいよ。分かった。」
 「良かった、私が資料を準備していますがどうしましょうか。」
 「資料も私が準備して行くから大丈夫。」
 「何から何まで済みません。」
 「その代わり、お願いがあるの。事務局から、講師料の振り込み明細を頂いたけれど、来月5日までとなっているんだけれど、ちっと要り様が出来て早く振り込んで欲しんだけれど。」
 「分かりました、先生が講習をしている間に入金して置きます。」
 そう言って、お願いしお願いされた。
 9時前に出て、ひと駅隣を目指した。その出発する間、社会保険労務士とメール、電話で打ち合わせをして車両に消えると、昨日のカリスマ会長との面談を設定したコンサルタントからお礼の電話が来た。
これから、どうなるか分からないが、その会長運営の巨大なグループが本格的な稼働を始めた時には、私もその地方に行って活動する事になるとの話だった。それがベースとなって、私の家のある関東地方でも動きが出てくるとの事だった。
今年から、少しでも衝撃が少ないように手を引いて行こうと思っていた。10周年記念のイベントも、その区切りの積りだった。今までの激動の過去とのお別れの機会だった。
 それが、イベントは中止となりそれと並行して、このような重大な責任を負った機会を得るようになってしまった。そして、巨大地震だ。人生とはどこにどのような機会が眠っているのか分からない。
 講師を紹介して、私は外に出た。介護料金自動引き落とし先の郵便局で出金したり30人余りの講師への入金などを終えて、いつもの百貨店の地下に珈琲を飲みに行った。
30分ほど休んで、講師の食事を購入して研修会場に戻った。食事をしながら、僅かに話をしたと思ったら、もう午後の授業開始だ。一旦事務所に戻って、必要な仕事をして再び会場に戻る。
 その間、私の高校時代の無二の親友が南三陸町の商工会の理事長で、この度の津波被害で行方不明となって探していた。家族や高校時代の同級生などが血眼になってインターネット上で探しているのだが、見つからない。
そんな時に、仙台の先輩が生存しているとメールをくれた。それを確実な情報かどうかを確認にすると、親友の友人が先輩の知人でその者から聞いたと言う。
 「家族や同級生が捜して居て分からないのに、どうしてその人が分かるんですか。」
 「奴の生徒会の1年先輩の会長で、よく知っている。その親戚の情報だ。」 
 インターネットに掲載すると何度も言って確認したが、大丈夫というので掲載すると、同級生だけでなく息子さんからも情報があり、親族5人と共に津波に飲み込まれたとの事だった。
 その事を、先輩に話しをして、無責任では無いかと抗議するも、
 「知人にもう一度確かめて見る。今日来るから。」
 そう言って数日が過ぎても、返事が無い。同級生などの問い合わせに、先輩の電話番号を教えたが、確認してみると言うだけで自分のミスを認めない。思い余って、再度電話したが、
「風評で仕方の無い事だ。」
と言うような事を言い始めて、間違いだとは言わない。
こんな大事な事を、どうしてそんな無責任な事をするんだと、先輩と自分に向けた。もう少し、具体的に確認して置けばよかった。


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